Story.13 アリエタの夜

 気付けば、立っているのはハールとフェスタだけになっていた。改めて見渡してみると、まるで戦闘があったかのような目茶苦茶な有様で――――いや、事実あったのだが。テーブルや椅子が倒れ様々なものの破片が散乱するなか、気絶して倒れている者も入れば、痛みで立ち上がる気力がない者もいる。しかし致命傷にならないように注意を払ったし、フェスタも投げる場所を選んだらしく後々支障がでるような部位に怪我を負っている人間はいないようだった。もう戦いは起こりそうもないと判断し、息を整えようと深く空気を吸う。しかし心臓は早鐘を打つのを止めようとしなかった。それほど体力とともに精神力も使ったのだろう。やはり、対人戦は魔物相手とすべてにおいて勝手が違う。強引なことをしたのは百も承知だし、この行動が正しかったのかは分からない。だが結果としてフェスタは酷い目に遭うこともなく、彼らは罪を重ねることもなかった。ただ、その事実があればそれでいい。
(……はず、だよな)
 ――それで、自分は傷口を抉られずに済むから。
「……出よう、もういいだろ」
 ハールは扉の方へ歩を進め、疲労の色が濃く滲む溜め息を吐きつつ言う。
「お待ちになって」
 早々に立ち去ろうとするハールにフェスタが制止の声をかけて背を向ける。彼女は先刻投げ捨て床に落ちたままであった外套まで歩いていくと、それを拾おうと蹲んだ。その刹那、彼女の背後に影が躍る。
「――フェスタッ!?」
 フェスタの後ろから酒瓶を大きく振り被る男。彼は確か、最初に対峙した者だとハールは思い出す。武器を弾いて解除した際に手を痛めたと見えたゆえ峰打ちをしていなかった。脚を僅かに引きずっており、フェスタによるものだと思われる刺し傷があった。剣を構え踏み込むが、あと数歩分足りない。彼女もすぐには投げナイフを取り出せない。フェスタが気配に気付き振り返る。そのアメジストの瞳に男が映った瞬間、鈍い音とともに瓶が砕け――――
「……淑女に対する振る舞いがなっていませんわね」
 ……――なかった。
「御用なら正面から堂々とお声がけしていただきたいものですわ、マティアス?」
 振り返った彼女の手には、ナイフ。それは砕けて床に散らばったもののなかにあった、食器のナイフであった。素早く拾い上げられたそれは、振り被った男の喉元にしっかりと突き付けられていた。頭に触れるか触れないかの位置で制止した酒瓶と、喉を切り裂く寸前のナイフが店内の明かりに照らされ、仄暗い光を宿す。その光が揺れることはなく、時間の止まった空間でただ一つ、男の右脚から紅い血が流れ滴っていた。
「……貴男は特に深く刺さったようですわね」
 フェスタは刺傷を一瞥すると、右手のナイフをそのままに、左手に水色の魔力を燈すとそれに宛がう。
「おい、何を……ッ」
「大人しくなさって。動いたら刺しますわよ」
 その言葉と微かに動いたナイフに、抵抗を諦める。昼間リセの擦り傷に起こったのと同じ現象が彼の傷口にも起こった。瓶を握った手をゆっくりと降ろすマティアス。動きはしたものの、フェスタがそれ以上ナイフを進めることはなかった。こんなに脅迫的な治癒行為を見るのはこれが最初で最後だろうとハールは思う。水色の魔力を消すと、フェスタは感情の見えない声で言った。
「……履き違えないでください。貴男方と同じになりたくなかっただけですので」
 突き付けていたナイフを床に戻すと代わりに外套を持ち上げて羽織る。結び紐はイーヴォに切られたが、適当にまた付ければいいだろう。
「それでは……“ご主人様のところへ戻らせていただくと致しましょう”」
 彼に背を向けると振り返りもせず、何事もなかったかのように言った。扉の方へ歩くフェスタに、ハールも着いていく。
「……獣人と連む物好きも、意外と世の中にはいるもんだな」
 ふと、背中に投げられた呟き。その言葉に僅かな温度と奥行きがあるのを感じ、振り返る。
「“この方、実は私の用心棒ですの。……私が屋敷の者でなかったなら、獣人なんて好き好んで助けにいらっしゃるわけないではありませんか“」
 ハールは口を開きそうになったが、店に入る前の彼女との会話を思い出す。とりあえずこの場は納得し、黙っていることにした。
「もうお暇いたします。それでは」
 フェスタはマティアスに向き直ると、紐が切れた外套の両裾を摘み、持ち上げて片膝を折った。屈んだせいで肩からは蒼海の髪が緩やかに流れ落ちる。

「……ご機嫌よう」

 蝋燭の明かりがつくる彼女の影は、ドレスを着た淑女のそれによく似ていた。
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