Story.3 WHITE NOISE




「それは――……レイ、ちゃんと説明して」
 平静を装おうとはしているが、動揺の色が隠せないココレット。
「リセが下に水を取りに行ったまま帰ってこないってフレイアが……でもその時あたしは一階にいて、リセは来てなくて――」
「家の中は全部捜したのか? 庭は?」
 ハールの問いにレイシェルはかぶりを振る。
「フレイアはどうした」
「先に捜しに行くって……」
 武器を持っている人間だとはいえ、夜間に単独行動など褒められたものではないが、今回ばかりは仕方がない。
「聞かれちゃった……かな」
 気まずそうに呟くレイシェル。もう一度周りを捜してくる、と言うと、小走りで家の裏へ消えて行った。
 あの会話が聞かれていた。もしそれが事実だとすれば、突然リセが姿を消した理由に十分なり得る。やはりあの時に聞こえた扉の音は気のせいではなかったのだ。だが、今はそんなことを考えている場合ではない。――何かあってからでは遅いのだから。

 なにしろ彼女は、『普通』じゃない。

「――なぁ、ココ」
 ハールは、昨夜彼女に起こった異変を告げた。完全に機を逸しているのは分かっていた。だがそう易々と口にできることではなく、そしてあまりに現実味がなさ過ぎて、その場にいた自分でも理解が追い付かなったのだ。
「……何でそれ、早く言わなかったの」
 案の定、ココレットの眉間に皺がよる。
「悪い。本当は治療の前に言うべきだったよな。オレも……どう言ったらいいか、整理が追い付いてなくて」
「……まぁ、言われたところで成す術もなかったっていうのが正直なところね」
 片手で髪をくしゃりとやると、ココレットは嘆息をもらした。
「施術中に声、聞こえた?」
「叫び声だけ、なら」
「あの子、言ってたわ。『一緒に行く』、『置いていかないで』って」
 言葉に詰まるハール。それは、つまり――――
「記憶を封じられる寸前であるからして、おそらく封印を施した者への感情ね。……彼女がその人間に対して、離れたくないと思っていたと考えられるわ。それが単に利害関係からなのか……好意なのかはわからないけど。ただ、少なくとも私は――」
 言いかけて、口を噤んだ。
「いいえ、これは記憶師の意見としては出過ぎているわね。個人の主観にすぎないわ」
 目を伏せるココレット。途中で切ったものの、彼女が言わんとしたことは容易に汲み取れた。
「……何だよ、それ。じゃあリセは信用してた奴に無理矢理記憶消された上に捨てられたって言うのかよ」
「勘ぐり過ぎよ。それにそのことと人格豹変の関連性はわからないし、何をしようとこれ以上彼女から記憶を引き出すことは不可能。私が記憶師としてできるのはここまでね」
 そうは言われたものの、水に垂らした一滴の血にも似る、靄のような掴みどころのない苛立ちが燻るのをハールは感じた。
「リセは普通じゃない。昼間は行けなんて言ったけど、今ならまだ……」
 ココレットは目を開けると、ハールを見上げる。
「これは、貴男の友人として言っているの」
 いつも浮かべている隙のない穏やかな表情は消え、奥には切実さが揺らいでいた。初めて見る彼女の顔に、驚きで目を見開くハール。
 果たしてどこから “記憶師”で、どこまでが“ココレット”としての言葉なのか――――
「……いや、行く」
 しかし、彼はすぐに表情を和らげた。
「 “待ってるだけじゃ絶対何も起こらない”んだろ?」
 今度は、ココレットが目を見開く番だった。
「それに別の奴に任せて何かあったら、さすがにオレも良心が痛むしな」
 ハールは彼女に背を向けると、家とは逆の方向に歩き出す。
「……ありがとな。リセ、捜してくる」
 振り返り、軽く笑む。ココレットは何も言わずに、ハールが森の闇に消えるのを見送った。
「……貴男に何かあったら、どうするのよ」
 まるで全ての責任が夜空に浮かぶ月にあるとでもいうように、その銀色の天球を上目使いに睨んだ。
 
 ――――八つ当たりだというのは、分かっていたけれど。

 満月はそんな視線を少しも気にかけることなどせず、ただただ、馬鹿みたいに円く、ひどく綺麗に輝いていた。
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