Story.13 アリエタの夜

 背中越しに、周囲の者には聞こえない程度に抑えた声。たった今ハールが峰打ちをした男は崩れ落ちたままであったが、残りは軽傷もしくは無傷なため各々の得物を手に二人を囲んでいた。種類は様々であったがみな小型から中型の刃物で、この空間ではハールのものが一番長さがあった。リーチの長さは本来有利に働くはずだが、この狭い室内では逆である。大きな動作をすれば壁や天井にぶつかる可能性もあり、小回りの利く短剣の方に分があった。
「……次、扉の一番近くいる奴やるから隙見て逃げろ」
 フェスタは僅かに眉を寄せる。彼は予想以上に剣が達者なようだが、この人数を相手に一人残して行くなんてそんなこと、できるとでも思っているのだろうか。そして咄嗟に反論できなかったものの、先程の彼の発言だって問題大有りだ。自分に何かあるのは嫌だというのに、彼に何かあったら気にするな、だと?
 お前は同じことを言われて逃げられるのかと、気にしないでいられるのかと問い詰めてやりたい。恐らく返事は否だろう。なのにそれを人に強制するなんて。
(……この方は、一体どれだけの人間を傷つけてきたのでしょうね)
 その、両刃の優しさで。 そしてそれが行き過ぎたがゆえの我が儘で。
「ずっと待ってて、その上身代わりですか……」
 まったくとんでもない男だ。
 小声で会話を続けつつ、辺りへ注意を張り続ける。二人を囲んだもののイーヴォ達は剣を構えたまま動かない。彼の実力を察したのか、闇雲に仕掛けてこようとはせず、機を窺っているようであった。
 フェスタが納得していない気配を感じたのか、ハールの口から呟きが落ちる。
「……傍にいたのに気付けないで手遅れになるのは、もう、嫌なんだよ」
 それは彼女への呟きか――それとも別の誰かへか。
 遠い昔の、無力感。絶望感。二度と味わいたくない。
 誰かに目の前で傷付いて欲しくない。でも、目は届かないのに手が届く場所で、手が届いたはずの場所で傷付かれるのはもっと嫌だ。あとからその時何も出来なかったと嘆くことが、何より怖くなった。怖くて、守りたいと思えば思うほど、身体は上手く動かない。どうしようもなく情けない癖だと思う。
 誰かが傷付くところは見たくない、見えない場所でも傷付かれたくない。悲しむ顔は見たくない。後悔もしたくない。
 ――こんなの、ただの子供じみた衝動だ。
「……知り合いに限って?」
「……そうかもな」
 ややあって、呟きに返答がきた。無関係と言ったはずなのに知り合いとは、皮肉のつもりか。こんな状況にも関わらず、ハールは僅かな笑みを漏らす。それは己への呆れか、嘲笑か。
 身を呈して誰彼構わず助けるほど、殊勝……否、自己犠牲的ではない。場合によっては見殺しにするかもしれない。
 あの時フェスタと別れた後、店に背を向け――そのまま壁に寄り掛かり、考えて出した答えだ。フェスタのお陰で、エゴを振り撒いて、時には押し付けてきたのだろうと痛感した。例の件をリセに黙ったままなのも、そのうちに入るのだろう。しかし、彼女の――リセの顔を不安で歪めるのが正しいなどとは、思えない。
「オレが嫌だから……いや、」
 自分勝手だと気付いたところで、今の姿勢を変えるつもりなどない。それが正しい正しくないにかかわらず。
「オレがそうしたいからするんだよ」
 ――それが、自分だから。
「……今度は開き直りですか。まぁ、うじうじ悩むよりはマシですわね。……ところで先程の、私と貴男が一切何の関係もないというのは大いに同意いたします。お互いに助けたり守ったりする義務などありませんわね」
 ハールの斜め右にいた男のナイフに光がちらつき、微かに動かしたらしいことが窺えた。集中力が薄れ始めた兆しである。好都合だ。先手必勝とはよく言うものの相手によっては当て嵌まらない場合もある。例えば――初動で太刀筋が予想できる程度の力量の者。
「……つまり、私が貴男の命令を聞く必要もないということです」
 背中越しに彼の動揺が伝わってくる。仕返しだとばかりに、あの言葉を返してやった。
「これからやることは、私が“勝手にやった”ことですわ」
「……勝手にしろ」
 それが、二人の合図になった。
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