Story.13 アリエタの夜

 彼らが本当にそれをしようとしているなら、フェイクがばれるばれない以前の問題だ。この店に出入りする者は想像以上の馬鹿達だったようである。さすがに殺しに手を染めるほどひととして堕ちてはいないだろうと踏んでいたのだが、どうやら誤りだったらしい。間接的にではあるものの、これは“そういう”事態だ。予想より頭が切れて追い詰められる、なら解らなくもないが、まさかその逆とは。
(馬鹿に常識を当て嵌めて考えた私が馬鹿でしたわ)
 常人の話が通用しない人間もいるものだ。こんな自分が常識人ぶるのもおかしな話だが。
「引き渡したらどこからかっ捌かれるんだろうな?」
 ナイフを退けようと手を出すが、フェスタから見て右側にいた者に手首を掴まれてしまった。
 金属の纏う冷気が感じられる程にナイフが頬に近づけられる。そのまま顔の横を上に移動し、獣の耳の根本に宛がわれた。
「切り取り易そうなものからか」
 頭の形を確かめるように滑らせると前髪を伝い、白刃に瞳の紫が映る。
「目玉抉られるのが先か」
 睫毛にそれが触れるのを感じると、今度はゆっくりと下げられていく。
「中身からか」
 左の腹辺りで結ばれた外套の紐が切られる音。
「……っ」
 そのままナイフを滑り込ませると、切れそうで切れない程度の角度で腹に刃先を押し付ける。服越しではあるものの嫌でも金属の硬さ感じ、身体が萎縮する。憎悪を込めて睨み上げれば、嬲るような眼差しとぶつかる。楽しんでいることがありありと窺え、憎悪よりも軽蔑が沸き上がってきた。
「何だよ声も出ねぇのか?」
「……ええ。あまりの趣味の悪さに、驚きで」
 その反応は彼が求めていたものではなかったようで、不満げにナイフを下げた。安心で大きく息を吐きそうになるのを堪える。
「へぇ、耳とかマジで動物じゃん気色悪ィ」
 安堵したのも束の間、不意に左から手が伸び耳に触れる。
「触らないでください!」
「うわ、怖ー」
 幸い左手は掴まれていなかったため払い退ける。言葉の内容に反して嘲笑混じりであったゆえ、馬鹿にしているのは明白だった。
「気をつけろよサウル、獣人なんだからよ?」
 サウルと呼ばれた赤毛の男は二十歳そこらだろうか、イーヴォより年下に見えた。彼の台詞からもまた獣人への侮蔑の含みを感じ、イーヴォは続けて言う。
「昔から“獣人は野蛮な裏切り者”、“獣人を見たら犯罪者だと思え”ってよく聞くよなぁ」
 野蛮とはそちらが言えたものではないだろうと睨めつけるが、犯罪者が多いのは事実だった。しかしそれは差別ゆえ働き口が無いからだ。だからフェスタのように盗みを働いたり、表沙汰には出来ない仕事を請け負ったりするしかない。
「そういや数年前結構騒がれた連続放火の犯人も獣人だったとか?」
 サウルが発したその単語に思わず耳が反応したのが自分でも分かったが、周囲には気づかれなかったようだった。
「もしかしてお前なんじゃねぇのー?」

 ――何も知らないくせに。
 
 周囲から下品な笑い声が幾つか上がる。その瞬間、まるでそれが燃料となったかのように一瞬にして心身のすべてを焼き尽くす感情があった。
 怒りなどという生易しいものではない。

 殺意が、燃えた。

「あれは……ッ!」
「あー、お前ら知らねぇの? アレは獣人じゃなくて人間の犯人捕まったんだと。どうでもいいけどさ」
 後方にいた誰かの声に遮られた。数秒間その話題でさざめく場。後ろにいた男と二言三言会話した後、サウルの明るい緑の瞳が嘲りに細くなり、フェスタを見下ろす。
「まぁ、獣人じゃあ犯人だと思われても仕方ねぇよなぁ? 何せ――」
 人間にとっては、何の疑問もない解答。悪事が起きて、当然のごとく導き出される答え。
 自分とて綺麗な生き方はしていないゆえ、どうこう言える立場でないのは承知している。しかし、今までそうして烙印を押されてきた獣人のなかには無実の者もいたはず――――いや、いたのだ。

 獣人を、彼らの言う『獣人』たらしめているのは、一体、何だと、誰だと、思っているのだろうか。

「――獣人なんだから」

 怒りも殺意も通り越す。その一言に、頭のなかの何かが切れた。
14/45ページ
スキ