Story.13 アリエタの夜
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あれから彼とは仲良くなった。
「はー、さすがにこの時間は観光客もいないですわね」
「昼間に来たら絶対誰かいるもんなー」
朝焼けに照らされた、千年樹の高台。透明でややひんやりとした朝特有の空気は気持ちを清々しくさせる。
少女が背伸びをすると、輝く花弁を乗せた潮風がフードをさらう。長く伸ばした髪が、せき止めていたものがなくなった水のように空に流れた。朝日にきらきらと反射するその青に、同じように人外の耳を晒したままの彼は眩しそうに目を細める。
「海の色みたいだ」
言うと、少女――フェスタは嬉しそうに笑った。フードを被り直すことはしない。この時間なら、誰の目もない。
あれ以降二人でいることは日常になり、つい先日も例の住宅街や果樹園で出た廃棄の果物などを一緒に集めていた。そのとき果物の話から観光客向けに売る名産品のオレンジの話になり、名物の流れで千年樹の話題に到ったのだが、その元で暮らしているのにもかかわらず見に行く機会がほとんど無いというところに行き着いた。本体ではなく花弁なら見ない日などほぼないし、いつでも見に行ける距離にあるからこそ、逆に行かないのだ。
ならばと。思い立ったが何とやらというわけでその場で約束をし、二人で夜明けの千年樹まで来たのだった。
正直なところ、毎日波のように押し寄せては消えて行く観光客や巡礼者を遠くからご苦労なことだとやや見下げていた節があったのだが、それは撤回することにした。たしかに、長旅をしてでも来る価値はある。
昼間より薄い青と、淡い紫の空。彼方にはほのかな黄色。夕方の空も絶妙な色合いを見せるが、それぞれの色に柔らかな白い光を溶いたようなこの時間の方が優しい色だった。
そんな朝空を背景に、千年樹は朧月にも似た光をぼんやりと纏っている。夜ほどはっきりとではないが、昼間よりは感じられる、薄桃色の光。いつもは個々で舞い落ちてくる花弁が花という本来のかたちで合わさり、それがまた群となり大きな薄桃になって風に揺れる姿は、まるで幾億という花が一つの意志を持っているかのような存在感だった。
どちらともなく零れる、感嘆の息。
ふと、獣人も人間も、千年樹を美しいと思う心に違いはないのに、なぜこうも違う世界で生きているのかという思いがフェスタの胸を過ぎる。
「実は前にも姉さんと来たことがあるんだけど、今日の方が綺麗な気がする」
「私も、初めてというわけではないのですが……昔のことなので、あまり記憶にはありませんの」
「綺麗だね」
「綺麗ですわね」
その微かな痛みを伴う疑問は、彼の微笑みに掻き消えた。
互いに口にしたのは月並みな感想だ。しかし、それは本心からの、頭を介さず直に心から浮き上がった言葉であったからだ。そして、この優しい時間を誰かと共有しているという事実が、目の前の景色を彼女の――否、二人の目により美しく映していたのだった。
しばらくその光景に立ち尽くしていたが、先刻より輝きを増した海を正面に、千年樹の幹に背を預けて座ることにする。敷き詰められた花のかけらは朝露を帯びていたが、そのくらいのことを気にするような生活は送っていない。