Story.13 アリエタの夜

「本当かどうだか怪しいもんだけどな」
「まあ、怖い。……今日は歌劇『魔導士たちの狂騒』のなかの『エルフの森深く』を歌って差し上げましたの。作者のバジオールは旋律が独特なことで有名ですが、これはそのなかでも比較的彼の特徴が目立っていない部類に入りますわね。彼の音楽はかなり好みが分かれるとよく聞きますけど、この曲はだからこそ愛好者のなかでも評価が割れていますわ。聴きやすいととるか、彼の良さが消えているととるか……。一般的にこれだけで歌われることはあまりないですし『魔導士たちの狂騒』といったら二幕の『ああ、我が麗しの月』ではありますけど、こちらがお好きなんですって。『ああ、我が麗しの月』の方はとても有名ですから、お聞きになったこともあるのでは?」
 聞いたことなどあるわけないと知っていて、微かに毒が香る笑みを向ける。さすがに向こうも彼女の笑みが当て付けだと解っているゆえ、何も言わない。
 ――今の台詞は嘘だが音楽に関しての知識は本物だ。これも言葉遣いや上流階級の発音、所作等と同じくいつか役に立つだろうと、歌手としての教育を受けた母から教え込まれた。まさかこのような形で役立つことになろうとは、母も思わなかったに違いない。
「私に何かあったなら、ご主人様は私だけではなく貴男方も……可愛がってくださいますわ」
 緩やかに弧を描くフェスタの唇。彼は苦々しげに顔を顰めると舌打ちし、グラスに口を付けた。
「この意味が通じる頭をお持ちでしたら、貴男もまだ捨てたモノではありませんわね」
 睨まれたが無視を決め込む。彼が一気に煽ったそれを乱暴に置くと同時に、後ろから別の男の声が上がった。
「で、今日はいくら賭ける?」
 ――きた。ここに来る目的はこれしかない。このためだけに、面倒な芝居まで打っているのだ。
 振り返れば、並んだテーブルの横に伸びる何も置かれていない空間。その先の壁に備え付けられているのは、樽の底を抜いて円を描いただけの陳腐な的。そこに付きたてられるのは――小型のナイフ。
「そうですわね、まずは――――」
 ――こんなことをしていると知ったら、あのひとは心配するだろうか。
 一瞬そんな想いが燻った。しかしそれはすぐに振り払う。まったく、今更こんなことを考えるなんて。
(……そういえば)
 あのお人好しに話したせいだろうか。
(人に話したのは……初めてでしたわ)
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