Story.12 港町の黒猫

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「……ですから、牢屋に放り込むでも何でも、お好きなようにと申し上げているではありませんか」
 ――ベッドに座った少女は本当にどうでも良さげな態度でそう言うと、つんとそっぽを向いた。早々に出ていくつもりなのか室内でも外套を脱ぐ気はないようで、フードも被ったままである。
 あの後、そのまま自警団の詰め所へ連れていくべきか一同は迷った。金銭は無事手元に戻ってきたとはいえ、盗みを働かれたのは事実だったからである。そんな中リセから「何か事情があったのかもしれない、話を聞こう」という意見が上がり、とりあえず宿屋まで同行させた。……というのがここ半刻程度のあらましである。
 相変わらずこちらと顔を合わせずそのまま動かない彼女に、そんなつもりはないとハールは溜め息をつく。
「いや、だから別に今すぐにどうこうする気はないし……」
 すると彼の方を向き、刺すような視線を投げた。
「“すぐに”? では“しばらくしたら”そうしようという訳ですわね?」
「……そういうことじゃねぇよ」
 言うとすぐにまたそっぽを向いて黙り込む。先程から彼女の態度はずっとこうだ。何かを言えば揚げ足を取って刺々しい返答をするし、こちらが黙っていれば本当に何も喋らない。
「……可愛くねぇ」
「貴男に可愛いなどと思われても一ガイルにもなりませんので結構です」
 さすがのハールも、会話になっているようでなっていない会話を重ねに重ねたために苛立ちを隠せなくなってくる。するとふいにリセは少女の元まで歩み寄ると、その場に屈みベッドに座っている彼女と目線を合わせた。
「……ね、何かどうしようもない理由があって、こんなことしたんだよね?」
 部屋の空気がピリピリとし始めたのを察し、言葉をかけるリセ。大切な人との想いのすれ違いが原因で盗みに手を染めてしまった少年を、自分は知っている。彼のように、この少女にも何か理由があるのかもしれない。
「はっ、“理由“? そんなの一つに決まっていますでしょう」
 だが、彼女はそれを短く嘲笑った。
 そしてすっと目が据わり、アメジスト色の瞳孔が開く。
「――生きる為」
 その瞳はまるで、獲物を目の前にした猫のようだった。窓から差し入る夕陽を受け、野生的とも言える光が揺れる。
「まともな働き口も無い、雇われたって明らかに見合わない報酬か、最悪はぐらかされて終わり……なら、やることなんざ一つでしょう」
「なんで、そんな酷い……」
「なんで? 至極明快な理由ですわ」
 乾いた笑いを零すと、右手をフードにやる。そして、試すような眼差しを、目の前のリセに投げかけた。

「……私、野良猫ですもの」

 彼女は出逢ってから今まで一度も外すことなく被っていたフードを背に落とした。
 そこに在ったのは、人間には有り得ない場所に生えた耳だった。黒い獣の耳が、頭部から左右に一つずつ。
「か……」
 それは、獣人族である証。以前ハールから聞いた歴史の話に出てきた種族だとすぐに分かった。犬の耳は確か『クー・シー』と言ったはずだ。彼女は猫のような耳だから、多分、『ケット・シー』。容姿は十代前半に見えるし背も低いが、それは種族のせいなのだろうか。もしかしたら、自分達とあまり変わらない年齢なのかもしれない。
「――……かわいいっ!」
 連合軍を裏切り、全種族から迫害されるようになった獣人族。そう知識では知っていたが、目の前に座る猫耳の少女は、リセにはとても可愛らしく思えた。
「……は?」
 可愛いものが付いているだけで、自分と変わらない、そう感じる。
 予想の斜め上を行く感想にきょとんと目を丸くしている少女。その時今まで彼女が纏っていた攻撃的な雰囲気が一瞬和らいだ気がした。
「あっ、あの! お名前は……!?」
 身を乗り出し手を握るリセ。感じたことを素直に言葉に出し、彼女をもっと知りたいと思うから、質問する。いつものように、真っ直ぐな態度。
「フェ……」
 その態度と勢いに唖然とし、呆気に取られたという顔で少女は唇を動かした。
「フェスタ……フェスタ・ローゼル……」
 が、言い終えるとすぐにはっとした表情になる。気圧されて思わず口を滑らせてしまった、そんな様子であった。
「フェスタ……」
 リセは嬉しそうに名前を繰り返す。
「私、フェスタとお友達になりたい……!」
 取ったその右手をしっかりと両手で包み、笑顔で見つめた。
「…………はい?」
 突然の申し入れから数秒すると我に帰ったようで、握られた手を払うとリセを睨め付ける。
「貴女バカですの? 自分達の旅費を盗んだ……しかも獣人にトモダチ? 常識的に考えて、友達に欲しいとは思いませんわよね。私、悪者ですわよ?」
 そう言うと小馬鹿にするように鼻で笑う。悪者というのは、歴史上での自分の種族の立場と盗みを働いたこと両方に対してだろう。
「悪者じゃないよ!」
「はぁそうですか」
 リセの真剣な声に、興味無さそうに気の無い返事をする。
「私が転んだの、治してくれたもん」
「目の前でぐずぐずされてうざったかったからですわ」
「お金も結局は返してくれたよ」
「抵抗したところで、四対一で勝てる訳ないではありませんか」
 返答されるたびに、リセの言葉が弱々しくなっていく。
「……悪者じゃ、ないよ……」
 それでもなお主張する彼女に、どうして否定できるのか言ってみろとでも言うように、冷たい目を向ける。
「だって名前教えてくれたよ」
 まだ言うのか、と見下すような視線。うざったい、紫の瞳がそう物語っていた。
「……偽名だったら?」
「偽名、なの?」
 その刹那、部屋に響く乾いた音。
 振り下ろされた右手と、窓から差し込む無機質な斜陽。それを受けて床に伸びる、五人分の影。
 あまりにも長く感じられた一瞬の後、リセの左頬に痛みが走った。
「――ッ、頭おかしいんじゃありません!?」
 彼女の苛立ちが極点に達したようだった。今まで刺々しくはあっても静かであった声を荒げて叫ぶ。
「私、貴女のような人間を見ていると苛々しますの……!」
 ベッドから立ち上がり足早に窓際までくると、窓を勢い良く開け放つ。瞬間、海風が部屋を吹き抜けた。彼女は枠へ足をかけるとふわりとそこに乗る。
 紅に燃ゆる逆光が、その異形の耳を、小さな背中を、黒い影に染める。足首まで覆い隠す茶色の外套が、風に翻った。
「――さようなら」
 振り向きもせず、リセの制止の声も聞かない。
 次の瞬間、彼女は窓枠を跳び越えた。そして蒼海を思わせる鮮やかな髪を靡かせると、その姿を一瞬のうちに夕暮れの橙の中へと消した。
「待って……ッ!」
 突然の行動に驚き手が出せなかった他三人を余所にして、急いで窓へ駆け寄ると身を乗り出して下を覗き込むリセ。だが眼下に広がるのは、人影一つない夕焼けに染まった海岸通りだった。ここは二階であるゆえ、一気に飛び降りて無事なはずはない。一階の屋根にでも一度飛び乗ってから地面へと着地したのだろう。まるで、本物の猫のようだ。
 膝を着くリセ。夕陽を受けて橙に染まった服の裾が、滑るように床に広がった。開け放たれた窓から吹き込む潮の香を纏った風が、銀の髪に夕焼けの色を燈して揺らす。
 燃えるような夕暮れの中、その風は妙に冷たく感じた。
「――リセ、大丈夫……!?」
 ようやく時計の針が動き出したらしいフレイアがリセに駆け寄り、頬を見せるように言う。
「……あのね、リセ」
 言葉をかけても俯いたままで、反応は無い。仕方なくフレイアが手で顔にかかった髪を除けると、頬は仄かに赤みを帯びていた。
「アタシ、リセのそういうところ好きだよ。でもね、リセが言うような……その」 
 ――……綺麗事、そう言おうとして口を噤む。別の単語を探したが見付からなかった。
「その……ね、そういうコトが、通じない人も、世の中にはいるんだよ」
 まるで幼い子供に、知らせたくない大人の事情を話して聞かせているようだと思った。彼女を傷付けるようなことは言いたくない、だけど曖昧に肯定することは、もっと出来ない。探り探り、言葉を慎重に選んで紡いでいく。
「いい人ばっかりじゃ、ないんだよ」
「……フレイアは……フレイアは、フェスタが悪い人だと思う? 泥棒は、確かに駄目だと思う……でも、怪我も治してくれたよ、聞いたら名前もちゃんと教えてくれたよ」
 俯いたまま、リセは小さく、囁くように言った。
「……もっとフェスタのこと知りたかった、助けになれるなら、そうしたかった」
 顔を上げる。その瞳は、先程転んだ時のように涙を湛えてはいなかった。
「まず、友達になればいいと思った…………なりたかった」
 涙の代わりに揺れていたのは、深い悲壮と、哀しく純粋な疑問符。
「いい方を信じちゃいけないの? 私、間違ってた……?」
 フレイアはどう答えたら良いか――……“どう答えるのがリセにとって正解なのか”――が分からず、言葉を詰まらせる。
 無言の時間が生まれ、フレイアはリセの瞳を見つめ返すことすら出来ずに、視線を床へ落とした。赤々とした仄闇に、二人の影が浮かぶ。
「……リセさん、少し頬、冷やしましょう? ……ね?」
 静寂が煮詰まり別の何かに変化する前に、イズムが助け舟を出した。静かにリセに歩み寄る。フレイアは何も言わずに場所を空けると、イズムを見上げた。
 黒い瞳が映していたのは、「大丈夫」という言葉。
 自分では、下手なことを言いかねない。今は彼に任せることにした。
 イズムはリセを支えて立たせると、二人は部屋を出て行った。
 静けさが満たされた琥珀色の部屋に、ハールとフレイアだけが残される。
 微かに聞こえるのは波の音。水同士が折り重なり、ぶつかり合い、弾かれ、やがては消える海の音。
 それが幾度となく繰り返された後、先に無言を破ったのは、
「――っ、あのさ、アタシ……、」
「オレはさ、お前、間違ってねぇと思う」
 フレイアだった。だが、ハールは途中でその言葉を遮る。
「リセも間違ったことは言ってない」
 赤い夕陰が染みる部屋に、淡々としたハールの声が落ちていく。
「……だけどさ、」
 ハールは振り向かない。
「アイツが言ったことも、オレには否定できない」
 開け放たれたままの窓から入り込んだ橙色の夕吹が、その言葉を浚っていった。
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