Story.11 花雨が包む影、潮風に乗せる想い。
……――早速はぐれた。
フレイア、イズムと別れた際にハールと交わした、「迷子になるなよ」という会話から、僅か数分であった。
「うー、ハールどこー……?」
露店が並ぶ海沿いの通りで、リセは不安気にきょろきょろと辺りを見回す。周りは店を見物する客でごったがえしており、それらしい人影は見当たらない。左右に視線を遣ったり振り返ったりしていると、中年の男にぶつかった。反射的に謝ると、少し機嫌悪そうに眉を顰められ、彼はそのまま人混みへ消えていく。
「人多いし……立ち止まってたら迷惑だね……」
しかしあまりここから動いてしまうと、ハールと出会い辛くなるだろう。
「どうしよう……」
少し捜したら、いっそのこと宿に帰った方がいいだろうか。そうすれば一時間後には確実に会える。 とりあえず道の端に寄って考えよう――……としたその時だった。
「ねぇ、お嬢さん旅の人? ちょっと見ていかない? てか、見ていきましょう?」
ふいに露店の一つから声がかかる。振り向けば、アクセサリーや若い女性が興味を持ちそうな諸々が広げた鮮やかな青色の布の上に並んでいた。先程からよく見る種類の露店である。場所によってはこのような店が続いて片手の指の数ほど並んでいる処すらあった。 そして商品の向こうにはリセと同じか、一、二歳上に見える男性。適当に会釈でもして通り過ぎれば良いのが常だが、それを彼女が知っているかと言えば……お察しの通りである。
「え……あ、はい?」
「一人旅?」
「いえ……あと、三人います」
愛想よく笑いかけてくる店主に、リセは三本指を立てる。さながら自分の年を訊かれて答える三歳児だ。「だよねぇ、こんなカワイイ娘が一人旅とか危ないですしねー。目的地に行く途中で立ち寄ったんですか? アリエタの思い出に、一つどう?」
指輪の一つを摘んで見せる。可愛い。フレイアと(ハールも連れ回して)決行したウィンドウショッピングで立ち寄ったシリスのアクセサリーショップに陳列されていたもの比べてしまえば当然安っぽいが、逆にそれが可愛らしく見えた。「でも、私、こういうの落としちゃいそうだから……」
「じゃあペンダントとかは?」
彼は指輪を置き、手近にあったペンダントを手に取る。指輪と組になるよう作られたらしく、こちらも同じ花弁を模した飾りが付いていた。アリエタを象徴しているともいえる千年樹のそれを意識しているのだろう。
「うん、でも、もう、してるから……」
首にしたペンダントに軽く触れる。細い銀鎖に紅い小さな玉が通してあるそれは、ただのアクセサリーではない。別のものに付け替えるという発想自体なかった。
「いやー、女のコはいくつ持っていてもいいと思いますけどねー。でも今のそれもシンプルでいいと思いますよ。お嬢さんは肌が白いから、真紅がよく映えてる」
「あ……ありがとうございます?」
よく口が回る人だなぁ……と、少しずれた部分に感心しつつも、そろそろ解放して欲しいと思い始める。いくら勧められても、褒められても買うことはできないし、それに、自分は今――……
「あのっ、私……!」
「よし! お嬢さんはカワイイから特別に半額!」
捜している人物の顔が脳裏に浮かんだ瞬間、満面の笑みで手を握られる。
「ふへっ!?」
「ね、名前は?」
「リ、リセ……です」
突然のことに驚き、思わず素直に答えてしまった。答えてから、会話を長引かせる種を自分で撒いてしまったと内心後悔する。
「そ、リセちゃんねー、名前もカワイーこと」
相手はリセのそんな心境などお構い無しに話を続けた。
「髪、キレイだね」
手を握っていない方の手で髪を掬うが、すぐにさらりと流す。
「今日、この街に泊まってく?」
「た、多分……」
早く捜しに行かなくてはならないのに、握られた手を振り払う勇気もない。今まで覚えたことの無い感情で胸がいっぱいになる。
「宿とか決まってるの? だったら、教えてくれない? ……で、もし決まってないんなら――……」
「――何やってんだ」
彼の言葉は、ふいに聞き慣れた声によって掻き消された。わざと遮ったのかたまたまであったのかは、分からなかったが。
「……ハール!」
振り向けば、すぐ後ろに、若干不機嫌そうな表情をした声の主が立っていた。彼を認めた瞬間、リセは冷たい灰色の感情が潮のように引いてくのを感じた。
「やっと見付けた……迷子になるなって言った矢先にこれかよ」
若干温度の低い声で言うと、一瞬だけ店主に目を遣る。
「まったく、何に捕まってんだか……」
行くぞ、と言うと、さっさと背を向けて歩いていってしまった。リセはまたはぐれないよう急いでその後を追いかけつつ、苦笑する店主に軽く目で礼をする。
「残念だなー」
店主のその言葉の後に、「……いたのかぁ」と続いたのが聞こえたが、『何が』いたのかまでは聞き取れなかった。勿論わざわざ聞き返すこともなく、急ぎ足でハールについて行く。
「何に捕まるって……お店?」
リセは彼を見失わないように気をつけながら答える。
「店『として』じゃねぇだろ明らかに」
心なしか、いつもより歩く速度が早い気がする。
いつもより速い――……違う、“いつも”が、彼の中では遅いぐらいだったのだ。
(いつもは合わせてくれてた……?)
が、今はそんなことを考えている場合ではない。
「え、どういう意味……」
「別に」
今の流れで「別に」は、明らかに会話として成立していない。しかしハールは気にしていないのか食い違いを無視しているのか、それきり何も言わず歩いていった。
「ハ、ハール、ちょっと待っ……」
自分は彼を怒らせるようなこと言ってしまったのだろうか。それとも、押し売りをきっぱりと断れなかったことに苛ついたのか。
(ハール、それくらいで怒る……かな?)
少し考えているうちにも、ハールは先に行ってしまう。
「ハールってば……!」
聞こえていないはずはないのに、名前を呼んでも歩みが遅くなる気配はない。「……む」
どういう形であれ自分に非があるのは認めるが、さすがに無視されるほどのことをしたとは思えない。
若干意地になる。とにかく言っても待ってくれないなら、このくらいしてもいいはずだ。
「ね、ハール! はぐれちゃう……ってば!」
言うと、リセは手を伸ばし、
「……っ!?」
ぱし、と言う軽い音と共に、彼女の右手は彼の左手をしっかりと掴んだ。
瞬間、目を丸くして振り返るハール。
「そんなに早く歩かないでよ……怒ってるの?」
――……そこには、不安げな瞳で見上げてくる少女がいた。
「あ……」
まるで、普段より早足で歩いていたことや会話を噛み合わせなかったことにたった今気付いたかのような表情。
ハールはリセから視線を外し、少しの間口篭もる。が、すぐにまた彼女と目を合わせた。
「…………悪い」
ぽつり、と謝罪の言葉がリセの上に落ちてくる。
「……う、ん?」
気まずそうに言うハール。
「……えと、私も迷子になっちゃってごめんね」
一体彼は何に苛立ったのだろう、何故、突然謝ったのだろう。
分からなかった。
だから、ただ、繋ぐ手に微かに力を込めた。
先程店主に手を握られた時と行為自体は似ているのに、伴う感情は全く違うのが、不思議だった。
ハールは何も言わずにまた前を向き、リセはそのあとをついていく。二人はそのまま簡易な露店が連なる道を歩いていった。
そしてどちらともなく手を離す――――……
ことは、なかった。
フレイア、イズムと別れた際にハールと交わした、「迷子になるなよ」という会話から、僅か数分であった。
「うー、ハールどこー……?」
露店が並ぶ海沿いの通りで、リセは不安気にきょろきょろと辺りを見回す。周りは店を見物する客でごったがえしており、それらしい人影は見当たらない。左右に視線を遣ったり振り返ったりしていると、中年の男にぶつかった。反射的に謝ると、少し機嫌悪そうに眉を顰められ、彼はそのまま人混みへ消えていく。
「人多いし……立ち止まってたら迷惑だね……」
しかしあまりここから動いてしまうと、ハールと出会い辛くなるだろう。
「どうしよう……」
少し捜したら、いっそのこと宿に帰った方がいいだろうか。そうすれば一時間後には確実に会える。 とりあえず道の端に寄って考えよう――……としたその時だった。
「ねぇ、お嬢さん旅の人? ちょっと見ていかない? てか、見ていきましょう?」
ふいに露店の一つから声がかかる。振り向けば、アクセサリーや若い女性が興味を持ちそうな諸々が広げた鮮やかな青色の布の上に並んでいた。先程からよく見る種類の露店である。場所によってはこのような店が続いて片手の指の数ほど並んでいる処すらあった。 そして商品の向こうにはリセと同じか、一、二歳上に見える男性。適当に会釈でもして通り過ぎれば良いのが常だが、それを彼女が知っているかと言えば……お察しの通りである。
「え……あ、はい?」
「一人旅?」
「いえ……あと、三人います」
愛想よく笑いかけてくる店主に、リセは三本指を立てる。さながら自分の年を訊かれて答える三歳児だ。「だよねぇ、こんなカワイイ娘が一人旅とか危ないですしねー。目的地に行く途中で立ち寄ったんですか? アリエタの思い出に、一つどう?」
指輪の一つを摘んで見せる。可愛い。フレイアと(ハールも連れ回して)決行したウィンドウショッピングで立ち寄ったシリスのアクセサリーショップに陳列されていたもの比べてしまえば当然安っぽいが、逆にそれが可愛らしく見えた。「でも、私、こういうの落としちゃいそうだから……」
「じゃあペンダントとかは?」
彼は指輪を置き、手近にあったペンダントを手に取る。指輪と組になるよう作られたらしく、こちらも同じ花弁を模した飾りが付いていた。アリエタを象徴しているともいえる千年樹のそれを意識しているのだろう。
「うん、でも、もう、してるから……」
首にしたペンダントに軽く触れる。細い銀鎖に紅い小さな玉が通してあるそれは、ただのアクセサリーではない。別のものに付け替えるという発想自体なかった。
「いやー、女のコはいくつ持っていてもいいと思いますけどねー。でも今のそれもシンプルでいいと思いますよ。お嬢さんは肌が白いから、真紅がよく映えてる」
「あ……ありがとうございます?」
よく口が回る人だなぁ……と、少しずれた部分に感心しつつも、そろそろ解放して欲しいと思い始める。いくら勧められても、褒められても買うことはできないし、それに、自分は今――……
「あのっ、私……!」
「よし! お嬢さんはカワイイから特別に半額!」
捜している人物の顔が脳裏に浮かんだ瞬間、満面の笑みで手を握られる。
「ふへっ!?」
「ね、名前は?」
「リ、リセ……です」
突然のことに驚き、思わず素直に答えてしまった。答えてから、会話を長引かせる種を自分で撒いてしまったと内心後悔する。
「そ、リセちゃんねー、名前もカワイーこと」
相手はリセのそんな心境などお構い無しに話を続けた。
「髪、キレイだね」
手を握っていない方の手で髪を掬うが、すぐにさらりと流す。
「今日、この街に泊まってく?」
「た、多分……」
早く捜しに行かなくてはならないのに、握られた手を振り払う勇気もない。今まで覚えたことの無い感情で胸がいっぱいになる。
「宿とか決まってるの? だったら、教えてくれない? ……で、もし決まってないんなら――……」
「――何やってんだ」
彼の言葉は、ふいに聞き慣れた声によって掻き消された。わざと遮ったのかたまたまであったのかは、分からなかったが。
「……ハール!」
振り向けば、すぐ後ろに、若干不機嫌そうな表情をした声の主が立っていた。彼を認めた瞬間、リセは冷たい灰色の感情が潮のように引いてくのを感じた。
「やっと見付けた……迷子になるなって言った矢先にこれかよ」
若干温度の低い声で言うと、一瞬だけ店主に目を遣る。
「まったく、何に捕まってんだか……」
行くぞ、と言うと、さっさと背を向けて歩いていってしまった。リセはまたはぐれないよう急いでその後を追いかけつつ、苦笑する店主に軽く目で礼をする。
「残念だなー」
店主のその言葉の後に、「……いたのかぁ」と続いたのが聞こえたが、『何が』いたのかまでは聞き取れなかった。勿論わざわざ聞き返すこともなく、急ぎ足でハールについて行く。
「何に捕まるって……お店?」
リセは彼を見失わないように気をつけながら答える。
「店『として』じゃねぇだろ明らかに」
心なしか、いつもより歩く速度が早い気がする。
いつもより速い――……違う、“いつも”が、彼の中では遅いぐらいだったのだ。
(いつもは合わせてくれてた……?)
が、今はそんなことを考えている場合ではない。
「え、どういう意味……」
「別に」
今の流れで「別に」は、明らかに会話として成立していない。しかしハールは気にしていないのか食い違いを無視しているのか、それきり何も言わず歩いていった。
「ハ、ハール、ちょっと待っ……」
自分は彼を怒らせるようなこと言ってしまったのだろうか。それとも、押し売りをきっぱりと断れなかったことに苛ついたのか。
(ハール、それくらいで怒る……かな?)
少し考えているうちにも、ハールは先に行ってしまう。
「ハールってば……!」
聞こえていないはずはないのに、名前を呼んでも歩みが遅くなる気配はない。「……む」
どういう形であれ自分に非があるのは認めるが、さすがに無視されるほどのことをしたとは思えない。
若干意地になる。とにかく言っても待ってくれないなら、このくらいしてもいいはずだ。
「ね、ハール! はぐれちゃう……ってば!」
言うと、リセは手を伸ばし、
「……っ!?」
ぱし、と言う軽い音と共に、彼女の右手は彼の左手をしっかりと掴んだ。
瞬間、目を丸くして振り返るハール。
「そんなに早く歩かないでよ……怒ってるの?」
――……そこには、不安げな瞳で見上げてくる少女がいた。
「あ……」
まるで、普段より早足で歩いていたことや会話を噛み合わせなかったことにたった今気付いたかのような表情。
ハールはリセから視線を外し、少しの間口篭もる。が、すぐにまた彼女と目を合わせた。
「…………悪い」
ぽつり、と謝罪の言葉がリセの上に落ちてくる。
「……う、ん?」
気まずそうに言うハール。
「……えと、私も迷子になっちゃってごめんね」
一体彼は何に苛立ったのだろう、何故、突然謝ったのだろう。
分からなかった。
だから、ただ、繋ぐ手に微かに力を込めた。
先程店主に手を握られた時と行為自体は似ているのに、伴う感情は全く違うのが、不思議だった。
ハールは何も言わずにまた前を向き、リセはそのあとをついていく。二人はそのまま簡易な露店が連なる道を歩いていった。
そしてどちらともなく手を離す――――……
ことは、なかった。