Story.11 花雨が包む影、潮風に乗せる想い。
そう言ってしばらく歩いていくうちに、露店がまばらになってきた。
「……このへんでいっか」
フレイアは海に背を向け、腰より少し上辺りまでの高さの壁に寄り掛かる。イズムもそれに合わせ、彼女の隣に落ち着いた。
並んだ二人は顔を合わせる訳でもなく、視線は流れていく人波に何となく向ける。
「…………本当はね、」
数秒の沈黙の後、フレイアは静かに唇に言葉を乗せた。
「さっき、海の前の宿に泊まりたいって言ったのも、すごく勇気がいったの」
ぽつり、と脈絡のない言葉。そういえば先刻の宿に宿泊することを決めた理由は、この街に着いた直後にフレイアが海の前に泊まりたいという希望を出したからだということをイズムは思い出す。海辺の観光地に来たのだからそう思うのは当然のことと言えるし、あまり気に留めていなかった。
「大したことじゃないよね、分かってるんだけど、」 同じ方向を向いているので、イズムの視界にフレイアは映らない。耳に届くのは、穏やかな声と、昔話をするように、ゆっくりと紡いでいく言葉。
「本心を見抜かれたら喰われる、ような……とこに、ずっと、居たから……」
その声が、少し震えた。「自分が思ったこととか感じたこととかを……どうしていいか、分からなくて。……相手に伝えていいのかも、分からなくて」
すべてを隠すため、明るく振る舞うことに慣れてしまって。いつしか自分を偽ることに意識的だとか無意識だとか、そんなものの境界線は無くなっていた。
呼吸をするように、また嘘を吐く。吐いて、吐いて、吐いて、自分を守るための言の葉は、いつからか自分に突き刺さるようになっていた。
「アタシ、本当はね、そんなに明るいワケじゃないよ。でも、そんな自分に見せたかった。……その方が相手も油断するし、旅人狩するには適してたからっていうのもあったっんだけど、……なんか、そうじゃなきゃ、やってられなかった」 波の音、海鳥の嚶鳴(オウメイ)、雑踏。少し震えた声。イズムは相槌も打たず、黙ってそれを聞いていた。
――……今彼女は、どんな表情で話しているのだろう。
声だけが情報源であるからして、詳しい感情は読み取れない。ただ何となく、フレイアのそれは旅人狩だけが原因ではないような気がした。
「だからね、そんな言動を重ねてきた。勿論それは全部が嘘だった訳じゃないよ? 確かに本心からの行動もあった。……ただ、誇張はしてた」
フレイアはようやくイズムの方を向く。
「でもやっぱりね、それって疲れた」
その顔は、困ったように笑っていた。しかし暗い重さや沈んだ陰は感じられなかったので、イズムは微笑を浮かべる。
「……フレイアさんが昔どんな場所にいて、どうしてそういう生き方をしなくてはならなかったのかは、分かりませんけど……先程も言いましたが、とりあえず、ここではそうする必要はないと思いますよ。……第一、リセさんやハールが、人を喰えるようなタイプに見えます?」
「見えない」
フレイアはくすくすと笑った。そして、「でもイズム君はちょっと見える」、と付け足した。
「心外ですねー……。それと、わざわざ言わなくったってこういったことを話されている時点で、外見より明るい方でないのは分かります」
「それもそうか」
そう少しおどけて言うイズムに、フレイアはまたくすりと笑った。
「でも、明る過ぎる方よりかは……話しやすいですよ、僕は」
「ん、そう?」
「明るいとは少し違いますけど、リセさんとか」
「リセ?」
「たまに、どう話していいか少し困ることもありまして」
「あー……わかる」
フレイアは何かを懐かしむような瞳で微笑った。それは冷静に対象を観察するようでもあり、愛しいものを見つめているようでもあった。
「でも、好きですけどね」「うん、でも好きだけどね」
どちらともなく顔を見合わせ、笑った。
あまりに真っ直ぐな彼女に、戸惑うこともある。だが、それでも好きでいられる。その言葉が真実であるということは、互いの笑みから見て取れた。
そして、『彼女は自分達とは違うし、そうなって欲しくない』――……そう思っているのも、何となく分かった。
微笑みながら、イズムは先程の彼女の言葉を胸中で反芻させる。
『――……でも、そんな自分に見せたかった』
そして脳裏に、フレイアが失踪した前夜のハールの言葉が過ぎった。
『何つーかさ……『楽しいと思ってる』って思わせたいから笑ってる、というか、常に『そう思わせたい自分』っていうのに従って表面に出してるというか…………』
――あぁ、本当にその通りだったのか。
ハールの直感は間違っていなかったのだ。事実、偽りの笑顔は、フレイアの武器であり、鎧であった。
――……なんだ、なかなか強い人間だと思っていたけれど、意外と、
(……脆いんですね)
「……えへへ、いっぱい喋っちゃった」
フレイアは少しだけ決まり悪そうに笑った。
「ごめんね、突然だらだらと語っちゃってっ」
「いいえ、……僕でよろしければ、いつでも聞きますよ」
「ありがと」
背後に広がる海原から吹く潮風に遊ばれる髪を手で抑えると、静かに目を閉じる。
「なんか……イズム君といると、落ち着く」
「そうですか?」
「……うん。最初の印象はまた別だったんだけど……もしかしてイズム君って、ちょっと、似てるのかなぁ」
「何と、ですか?」
フレイアはゆっくりと目を開けると、唇にゆるやかな弧を描いた。
「アタシと」
イズムは目を見開く。見上げてくる蒼海の瞳には、少しだけ、意地悪い光が踊っていた。
「……――面白い方ですね、フレイアさんは」
微かな驚きの表情を苦笑に変えるイズム。
脆い、が――……一筋縄では、いかないようだ。