Story.11 花雨が包む影、潮風に乗せる想い。
宿屋を一旦出た四人は、先程の海沿いの露店街を食料調達がてら見物していた。きょろきょろと落ち着きのないリセと、彼女の感想にたまに相槌を打つハール。その後ろをフレイアとイズムは取留めのない話をしながら歩いていた。
「……ハール君も会話下手だねー。さっきから『あぁ』と『うん』しか言ってない」
「ですねぇ。無愛想って訳ではないんですけどね」
「うん、それは分かってるんだけど……話を広げる気ないのかな」
「そういうの、よく分からないんでしょうね」
「リセも懲りないなぁ」
フレイアは苦笑すると、話を切り替える。
「ところでさー、イズム君のお店で出してる料理の食材って全部イズム君が選んでたの?」
「そうですね、大概は市場まで行って僕が選んでいましたよ」
「じゃあさじゃあさ、美味しい野菜の見分け方って――……」
ふとフレイアの言葉が止まった。不思議に思いイズムが目を遣ると、彼女の視線の方向には、たった今通り過ぎた野菜を売っている店、の、隣の――――
「……あっ、えっと、野菜の見分け方、イズム君知ってる?」
こちらを向き直して会話を続けるが、間が不自然だった。イズムはたった今起こった事象を繋ぎ合わせる。答えは簡単に出た。
「……フレイアさん、さっきの店、気になります?」
イズムは言った。
「え……?」
フレイアは彼を見上げ、少しだけその蒼穹色の目を見開いた。すると今度は目線を落とし何か言いたそうに微かに唇を動かしたが声は出さず、代わりに小さく頷く。その様子に、イズムは微笑した。
「ハール、リセさん」
彼が呼び止めると、先を行く二人は振り返った。
「すみません、この辺りの食材を少し見て行きたいのですが、先に他の場所を見ていてもらってもいいですか?」
「あ、なら待ってるよ?」
イズムは横目でフレイアの顔を窺う。リセには見えない角度から服を軽く引っ張られたのを感じた。
「……いえ、どうも長くなりそうですから。料理好きとしてはもう気になってしまいまして」
「そっか、イズム君料理人さんだもんね! ゆっくり見たいよね! ……ハール、先行ってよっか」
「あ、あぁ」
「フレイアさん、付き合ってくださいますか?」
「え、あ……う、うんっ」
イズムとフレイアに目を向けると、一瞬、ハールは瞳を思案の色に染めた。
――ま、コイツのことだから、何かあるんだろ。
「……じゃ、一時間したら宿屋の前な」
「はい」
が、それも本当に一瞬のことであった。そう納得すると、さっさとフレイアとイズムに背を向ける。リセも二人に軽く手を振ると、慌ててハールの後を追っていった。
「待ってよー」
「ったく、迷子になるなよ」
そんな会話が、雑踏にフェードアウトしていく。
「……良かったんですか? リセさんと一緒に見なくて」
「たまには離れてるのも、いいかなって。……って言うか、よく分かったね。さっき引っ張った意味」
「何となくですよ」
並んで歩いていくリセとハールを見つめながら言った。
「……言っていいんですよ、思ったこと」
二人の姿はだんだんと小さくなっていき、やがて雑踏に紛れていった。
「前までどうだったかは分からないですけど、少なくとも、今は」
先日の一件で、フレイアが自分を隠して必要以上に明るく振る舞うのが癖であることが分かった。そしてそれは、自分でも治せない程に深く染み付いているということも。理由は分からないが、自分達の前でそうする必要はない。彼女も既にそれは理解しているだろう。その上でどう振る舞うか、あとは彼女自身が決めることだ。
リセとハールが完全に見えなくなると、イズムは隣の少女に視線を移す。フレイアは、二人が歩いていった方向を見つめながら、小さく呟いた。
「……ほんとは、ちょっと、手、見るの辛くて。申し訳ないなって」
それはリセの右手の包帯、そしてその下の怪我を指す。
傷の原因は他でもない、フレイアだ。
「あれ、まだ痛いんじゃ……ないのかな」
(……そちらが、本当の理由ですか)
金の睫毛を伏せ、その下から覗く瞳には寂しげな光が揺れている。それはまるで夜の水面に映り込んだ月のようであった。
“リセさんは気にしていないと思いますよ”――そう言おうとしたが、それは止めておいた。リセが気にしているいないの問題ではないからだ。ことの根本にあるのは、フレイアの良心だから。今フレイアに必要なのは、心を落ち着けること。それが唯一の解決策である。
「……じゃあ、少し戻りましょうか」
彼女は黙って頷く。
二人はリセとハールが消えていった方とは反対側へと、歩を進めた。