Story.11 花雨が包む影、潮風に乗せる想い。

「ふおー……ほんとにおっきい町なんだねぇー」
 リセは流れていく町並みを忙しく目で追いつつ、三人とはぐれないよう歩を進める。
 今はアリエタの中でも千年樹のある山側ではなく海側の位置にいるので、それほどの量の花弁は届かないが、それでもちらほらと柔らかな破片は舞い落ちてきた。
 『紺碧の海と花雨の港街アリエタ』。人口の密度は此処への通過地点であり人が多いことが特色のリディアスの方が高く感じたが、実際アリエタはそれの何倍にもなるのだろうと思う。町自体が広大である故に窮屈さを覚えないから特別そう感じないだけなのであろう。
 アリエタへ入った現在の一行の方針は、時刻が遅くなると宿が満室になってしまう恐れがあるので、部屋を先に取っておいてそれから夕方まで食料を調達するなり散策するなりしよう、ということで固まっている。まだ時刻は午前であるから、その予定をこなすには十分な時間があった。
 折角アリエタに来たのだから海の目の前に泊まりたい、というフレイアの意見で、現在その条件にあった――そして安い――宿を探すべく、海岸沿いの道を進んでいる。
 右手に広がる海原から一定間隔に響いてくる波の音。それに負けないぐらいの声を張り上げ、いかに自分の店の商品が他店より安価で良質かということを通りゆく客に主張する店主たちの売り文句を左手に聞きながら歩いていく。
 連なる露店には、今朝上がったばかりなのであろう様々な魚や海産物が並んでいた。赤と白の太いストライプの簡易な屋根の下に並べられた木箱の中には氷が引かれており、それらはその上に寝かされている。時折『これは食べられるのか?』と思わず訊きたくなるような不思議な外見やカラフルな魚も陳列されており、まさにその質問を旅人らしき人間が店主にしている光景を歩いている内に数回目にした。
「ハール、ハール」
 名を呼ばれたのと同時にくいくいと自らの服の裾が引っ張られているのを感じ、そんなことをする者など一人しか居ないと理解しつつもハールは振り向く。
「あのお魚、面白い顔してる」
 案の定、きらきらとした目で彼を見上げるリセがいた。彼女が裾を掴んでいる手とは反対のそれで指差している方へ目を向ければ、中型の灰色がかった魚。目は異様に小さく、額が大きく膨らんで迫り出している。簡単に言えばでこっぱち。愛嬌があると言えば聞こえはいいが、どうにも間抜けな顔である。
「あー……、確かに」
 魚に目を遣り、返答するハール。そう言い終わり、一拍置いて。……その数秒間に、他二人から受ける視線の温度が、若干下がったような気がしたのは気のせいだろうか。……いや、そんなはずはない。別に無視もしていないし、無下にあしらった訳でもない。自分としては至って普通の返答をしたまでで、まさかそんなに呆れたような視線を向けられる理由など――――
「………………うん」
 その後何か言葉が続くのかと思ったのか、リセのその返事には間があった。彼の性格からすれば大変普通に会話をしたつもりであろうが、これでは話に広がりも何もあったものではない。二人の後ろを歩いていたフレイアとイズムは顔を見合わせて苦笑する。
「ハール君、何か返してあげなよー」
「え、」
 フレイアの言葉の意味が一瞬理解できなかった。今さっき、リセの感想にはきちんと返答をしたはずだ。
 ちゃんと返事しただろと言いたげな視線を送ろう――……とした直後、
「リセさん、つまらなそうですよ」
 イズムの発言に、ようやく事態を把握するハール。
「あ……ごめ、ん?」
 周知の性格上のことであるがゆえ謝る必要も無いのだろうが、それでもほぼ反射的にそうしてしまう辺りも性格だ。
「ううん。見たことないものいっぱいあるから、おもしろい」
 イズムが彼女をつまらないそうだと形容した原因は周囲の情景ではなく別のものだと分かっているのかいないのか、それとなくずれた返答をすると、当の彼女は再び観光に勤しみ始めた。
 確かに、彼女でなくとも初めて訪れたのなら、この町は見ているだけでも十分に楽しめるだろう。それ程アリエタには旅行者を満足させるに事足りる様々なモノが溢れている。魚を始めとした海産物、海辺の気候を活かし栽培が盛んなオリーブと葡萄。それらを使ったオイルやワインなどの加工品、そして千年樹――……豊かな自然の恩恵を存分に享受している街と言えよう。家屋も明るい暖色のものが多く、町並みにも軽快さを感じる。
 そんな建物の中の一件の前でフレイアは足を止めた。
「ここでいいんじゃない?」
 彼女の声に三人も立ち止まると、そこには宿屋があった。店の前に立ててある看板を見ると、それなりに良心的な値段が書いてある。値からして特別快適に過ごせる部屋では無いだろうが、野宿より快適であればそれでいいのだ。
「そうだな」
「海の前だしね!」
 リセの言葉に、フレイアは嬉しそうに笑う。
「……うん!」
 その笑顔は、あの月夜以前より、少しだけあどけなさを感じさせた。
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