Story.10 幕間

「隠すため、ですから」

 ――獣の耳。

 耳を覆う毛色は灰色。元はピンと立っているのであろうが、今は彼の戸惑いを表すように垂れ気味になっている。
 茶色の髪に、翡翠を思わせる翠の瞳。先程までフードで隠されていた人外の耳が無ければ、顔立ちは幼いものの、ごく普通の少年であった。だが獣人であるのなら、この童顔にも頷ける。獣人族は短命であり、容姿の成長が遅いのが特徴であるからだ。そして獣人と言えば――……全種族からの迫害。全身を隠すコートはその為であろう。今までの過剰とも言える謙遜は、自らの種族に対しての負い目か、この種族に生まれたが故のある種の処世術か。常人であれば、獣人が傍を通るだけでも顔をしかめる。対等に話すなど以ての外――……の、はず、で。
「……すまない」
 エルフの少女はそれを見ると、申し訳なさそうに微かに眉を顰めた。顰めたのは、自ら正体を明かさせてしまったことへの罪悪感からに他ならない。どうやら彼女は、獣人族に対して嫌悪の感情を持っていないらしい。
「狩人が本業なのか? 完治はしているだろうが、やはり暫くは狩りをしない方がいいだろう。その間にもできる副業などは」
「えぇと――……」
 彼は開いた掌に視線を落とすと、指を折り始めた。
「下宿している宿の雑用と、お客が居ないときは少し時間が出来るから役所で日雇いの仕事を探してそれをやったり、他には配達業の臨時雇いと、隙を見つけて……大体夜に狩人(ハンター)の仕事です。今その帰りだったんですけど」
 指折り数える程の職に就いている者など、今まで出会ったことがなかった。
「あ、あと封筒作りの内職」
 もう一つ追加された。
「見上げた精力だな……敬服する」
 これだけ働いていれば相当の労力は使うであろうが、それにしてはどれも不安定であったり、給料は並より安いものばかりに思えた。ましてや彼は獣人である。雇い主に隠し通せれば良いものの、そうでなかった場合に果たして“働きに見合った給料”が払われているのか、甚だ疑問であった。
「しかし、それでは身体を壊してしまうだろう。何故そこまでして……」
「ちょっと前までは……もう少し仕事も少なかったんですけど」
 苦笑する彼。穏やかな対応ではあるが、問い掛けには答えていない。
「コレのお陰で大して稼げないんですよ」
 片耳を軽くひっぱると、少し哀しそうに苦笑いした。そして翡翠の双眸に影が差す。
「……もっと、必要なんですが」
 そう言って笑う彼に、無責任に励ます訳にもいかないと、どう言葉をかけて良いか迷っているらしいエルフの少女。それはまたコハクも同様であった。
「……なら、ウチで働かない?」
 その時、微かに重みを増した空気を割る声が発せられた。
 一同の視線が、その声の主に集まる。その先には他でもない、薄桃花の少女の姿があった。
「……せっかく助けたのにまた無理されて死んじゃったら、私寝覚め悪いな」
 真顔で淡々と、彼女は言葉を紡いでいく。
「君はきっとすごく真面目で義理堅い性格なんじゃないかな。そういう人って自分に必要以上に厳しいことが多いんだよね。……君、また自分で自分を追い詰めそう」
 彼は一瞬だけ、目を微かに見開いた。だがすぐに曖昧な笑みを浮かべる。
「そんなこと、……ないですよ」
 彼がそう言うや否や、少女は一歩踏み出して両手で彼の頬を包んだ。……否、その時小さな音がしたので“多少勢いと力をつけて挟んだ”と形容しておこう。
「無理しないでいられる自信あるの?」
 獣人である故、少女である彼女との身長差も大して大きくは無いのだが、多少なりともそれはあるせいで下から見上げられる形になる。優しい瞳であるのに、逸らせない。
「こういうことになったの初めてじゃないでしょ」
「……ッ!」
「自分を大切にできてる?」
 少し、興味が傾く。
 自らの視線を捉えて離さないエメラルドの双眸は、慈愛と気高さ、そして彼女の容姿からはかけ離れているような威厳すら感じられた。
「君、なにも解ってない」 自分に限界があることは解っていた。そして、必要なモノはその限界の外であるということも。
「……っ、解って……!」

 でも、それでも――――

「私、君を死なせるために助けたんじゃないよ」
 
 ――――……その一言に、自分の中で何かが外れる音がした。
 聞いてみるだけなら、悪いことはないだろう。
「……詳しいお話は、中でね」
「――……あ、」
 まるでこちらの心情を読んだかのようなことを言う。
 ドレスを翻し、くるりと振り返ると、背に羽が無いのが不思議な程現実離れした夢想の如き少女は、桜色の唇を開いた。
「私はリェス。よろしくね」
 人差し指を唇に当てて微笑むと、庭園の先にある家を目で示す。その造りは一般的なそれより一回り二回りは大きく、趣がある、又は品がよい、というべきか。地方貴族の住居に近い雰囲気があった。
「あ、ヒスイ……、オレは、ヒスイです」
「ウチはコハク」
「私はリェス様の側近――……」
「お友達!」
 少しだけ頬を膨らませ、上目遣いに彼女の言葉を遮った。
「……メノウだ。以後宜しく頼む」
 だが彼女も悪い気はしないようで、陶器の肌に薄紅の薔薇の花弁を乗せた。そうして二人はコハクとヒスイに背を向け、ゆっくりと歩いていく。
「……何や、えらい偶然やなぁ」
 ぽつりと、コハクが呟く。
 三人の名は、各々宝愛されるべき鉱石の名。それは、偶然か、必然か。或いは天の配剤。
「……本名かは知らんけど。行くか、ヒスイ」
「……はい、コハクさん」
 二人はどちらともなく頷き合い、星明かりに照らされた後ろ姿を追いかけた。
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