Story.10 幕間
「「へ!?」」
二人の間に、一筋の銀光が閃いた。
その硬質な光が意味するものを瞬時に理解した双方は、素っ頓狂な声を同時に上げる。
その光――……剣はどちらかというと、彼の方へと向けられていた。勿論その先には、それを意図的に向けている人間がいる訳で。
「えッ……!? あ、ちょっと待って下さい……ッ! 誤解ですっ……!?」
ばっ、とコハクの横についていた左手を離し、今更ながらも潔白を主張するも、完全に勘違いされている。横目で確認しても、その人物の顔は路地の向こうから注ぐ光のせいで逆光になっており窺えなかった。だが浮かぶシルエットから、ふわりと広がった長いスカートをはいた女性であるのが分かった。
この体勢を必死で弁解しようとすればする程、上手く状況を説明する言葉が見つからない。だからといってこのままでは――……
「ウ、ウチがちょっとからかってもーてな、勢いでこうなったさかい許したってや!」
最高にありがたい助け舟が出た。本人がそう言うのだから、例えそうでなかったとしても、それはそのまま真実として受け取られるに十分な信憑性があった。
まさにその通りであったようで、二人……と言うか彼の方に向けられていた刃を収めると、その人物は腰を折って素直に頭を下げた。
「……そうだったのか、すまない。てっきり……」
「むしろ逆っつーかな……」
「まったくですよ……」
からかった訳ではないが、確かに絡んだのは彼女の方からだと言えなくもない。
そしてふと、未だに謝っている姿勢のままである女性に気付き、彼は顔を上げて下さい、と言う。
すると人物はその通りの行動をとった。
――……そこには、息を呑む程の美人が居た。
肩にかかった、柳腰を越してしなやかに流れる黒髪を、まるで反対色のように真っ白い手で払う。
「……すまなかった。あのような状況を放ってはおけなかったのでな」
偶然、あの瞬間だけ見られてしまったのだろう。正義感の強い人だ。
――否、人ではない。長く尖った耳がそれを物語っていた。その意味を二人は瞬時に理解する。
エルフだ――……と。
この国に住む種族とエルフは基本的に仲が良いとは言えない為、少し珍しいと思った。
「突然のことで驚かせてしまった……で、?」
言葉を続けようとしたが、黒曜の瞳は彼の右腕を捉えた瞬間、微かに見開かれたかと思うと、すぐにすっと細められた。
「……見せて欲しい」
硬質で透徹であり、尚且つ有無を言わさぬ声。濁りといったものを全く持って感じさせない。
彼はやはり「いえ……」と遠慮し腕を背に隠そうとしたものの、それより彼女が手首を掴む方が遥かに速かった。
「……かなり深いところまで斬られているな……狩人か? これは中型から大型の魔物の爪痕だろう? 毒は……なさそうなのが、せめてもの救いか」
慣れた所為で傷口を観察すると、腕へ向けていた視線を上げて彼と目を合わせた。やはり御世辞にも『大丈夫』とは言えない状態だと、それは語っていた。
「……今すぐにでも処置をした方がいい。利き手か? 放っておくと、後々の人生に支障をきたすぞ」
今の言葉に、自身が思っていたよりも深刻な状況に置かれているとようやく理解したようで、意地を張り通している場合ではないと、さすがに彼も閉口する。言葉を詰まらせる彼に、内心「ほらみろ」とコハクは思った。
「詳しくは言えないが、私は有能な……何と言うべきか……『魔法で治癒できる』方を知っている」
それは所謂『治癒魔法』だろうかと言おうとしたコハクだったが、何となく、回りくどい言い方を嫌うように思える彼女が表現を選んだ末、わざわざ考え明確な名称を出さなかったのでここは敢えて流しておいた。
エルフの彼女は右手首に通していた何かを外すと、二人に見せる。
「転移水晶(ポート)だ」
それは、親指の爪より一回り大きい程の、小さな黄色い珠であった。それに、アクセサリーのように紐が通してある。しかし実際にはその用途に使っていないらしく、通しているのは飾り気の無い麻の紐だった。ただなくさないように付けているだけなのだろう。
「転移水晶……!?」
――転移水晶とは、触れている人間が望めば、予め記録された特定の場所に瞬間的に転移出来る魔法具のことだ。ただ、この“記録する”ということが重要で、それをしなければ何をすることも出来ない。そして勿論この記録行為をするにはそれ相応の力量のある魔導士であることが必須条件となる。
この転移場所というのは一箇所しか記録できないので、その用途は基本的に帰還することとされ、一部の『少なからず政府に影響力を持っている者』が自らの屋敷を記録し万が一の時の為に持ち歩くことが主である。しかしながらその万が一という事態もそうそう起こるものではない……もしくは自らの身に起こるような場所には行かないので、実際に使用する機会などほとんど皆無に等しく、所持しているにもかかわらず、使わずに一生を終える王侯貴族も少なくないという。また、リネリスでは悪用を防ぐため、記録後の転移水晶の所持には届出が必須とされている。
転移することができるのだとは簡単に言ったものの、転移水晶は携帯水晶と並ぶ鉱石系の魔法具だが、値段や希少性、さらに内蔵している魔力はそれの比ではない。だがそれを所有し、こうも簡単に、“単なる綺麗な石”のように扱うとは――……
(……何者や?)
「でっ、でも、オレとはあまり関わらない方が――……」
まだ言うか、と横目で彼を見やるコハク。
だがその刹那、言葉の途中で、彼は急に視界から“落ちた”。突然のことに声を上げる暇さえなかったらしく、小さく息を呑む音だけが微かに耳に届く。
「……っ!?」
彼の脚が不自然にがくりと崩れ――次の瞬間には、前屈みの姿勢で、少女の白磁の手に支えられていた。
「血が、そろそろ足りなくなる頃ではないのか」
手を貸したままで、少女はなおも冷静に言う。どうやら失血のせいでふらつき、倒れかけたようだった。そして表情を変えることも無く続ける。
「ここまで関わっておいて今更何を言う。このままでは怪我が云々の前に、冗談ではなく失血死するぞ」
淡々とした声で告げられ、余計なものや遠慮を伴わない事実のみが耳に響く。それは余計に現実味を感じさせた。
彼の瞳に迷いが揺らめく。
「……大丈夫、悪いようにはしない。誓おう」
それは、澄んだアルトだった。言葉の内容よりも、聡明さと内面の透徹さが滲み出ているようなその声に、彼は俯いていた顔を上げる。
「すみません………………ありがとう、ございます」
感情は確かに伝わってくるが、表情の振り幅が狭いように感じられる彼女が、明らかにそれと分かる微笑をその美しい容(かんばせ)に纏わせた。元が絶世の美人なのだ、その表情はとても魅力的であったのだが――……傷口が主張する痛みによって薄れる意識のせいで、そのような考えには至らなかった。
彼の了承得て安堵したように小さく息をついた彼女が、今度はコハクに目を向ける。
「貴女は……」
その先に続くであろう言葉を予想し、おどけるようにして肩を落として言った。
「ここまで関わったからなぁ、最後まで関わっとくわ」
黒髪の少女は頷くと、転移するからもう数歩傍に来て欲しい、と言った。コハクはその通りにする。
すると、自分よりはいくらか彼女のほうが背が高いことに気付いた。それでいて細くて白くて相当整った顔立ちと来た。化粧気は無いが、紅を引いたような唇、透けるように透明感のある肌。多くの女性が多大な金を積み、その紛い物を仮面のように張り付けているというのに、それ以上の本物を彼女は生まれながらにして持っていた。見惚れる、というより、見ていることが恐れ多く感じてしまい、目を逸らそうとしてしまう。
遣り場に困った視線を地に落とせば、地面に転がったままの『自らが外に出てきた目的』が目に入った。
「……あ、レモン」
それと同時に、半分忘れていた自分の今の状況を思い出す。
「……すぐに着く」
声がしたかと思うと、次の瞬間には身体が金の光に包まれていた。
……――いつもウチ頑張って働いてるし?
彼女はすっぱりと開き直り、悪いルルシェ、初めてこんなに盛大に仕事サボります、と心の中で謝っておいただけであった。
そして金の光は三人を飲み込むと、粒子を舞い散らせ、弾けた。路地裏に置き去りにされた果実に最後の一粒が舞い降り、雫のように滑り落ちる。間も無くその光は地に辿り着き、闇に溶けた。
人が居なくなった暗闇の中で唯一色を放つ、黄色い果実と紅い鮮血だけが、誰も知らない路地裏の夜に残った。