Story.10 幕間


 ハイヒールの音も掻き消える雑踏。
 客引きの女性と幾人もすれ違って、また新しいそれとすれ違う。
 一瞬目が合った。真っ赤なドレスに真っ赤なネイル。真っ赤なルージュを引いて。スリットから覗く太腿は異様なほどに生白かった。
 ゆったりとこちらに向けられた、勝ち気な艶笑。何だか、自分の純潔を笑われた気がした。
 ――……いつもの繁華街。いつもの喧騒。     先程の強盗騒ぎも含めけして治安がいいとは言えない一帯だが、とにかく人でひしめき合っているし、店もずらりとならんでいる為、光は十二分に満ちている。客寄せに派手な装飾を施している店舗も少なからず存在するので、道自体は相当明るい。裏道にさえ入らずこの大通りを歩いている分なら特別なこともない。ルルシェが待つ店へと急いだ。
「……あっ」
 反対方向に向かう人にぶつかり、躓いて紙袋から一つレモンが転がり落ちる。それはゆるく曲がって転がっていき、店と店の間の狭い路地へと入ってしまった。
 追ってコハクも暗がりへと滑り込み、屈んで目の前の黄色に手を伸ばす。
 と、目の前に人影。
「……お?」
「……あ」
 相手も突然現れたこちらに驚いたようで、小さく声を上げた。向こうもしゃがみこんでいたようで、目線は同じであった。自分の足元に転がってきたレモンを追い掛けて来たのだと気付くと、それを拾い上げて差し出す。
「……どうぞ」
「おーきに」
 愛想良く笑いかける。仕事柄付いた癖などではなく、本来の性分からだった。相手の声は男性のもの。だが、それにしては高かったように思える。
「……アンタ、いくつ?」 長いコートの目深く被ったフードの下の顔を覗き込む。
「な……!?」
 突然近付けられた顔に驚いたのか、相手は振り切るようにして横を向く。
「どうでもいいでしょう、そんなこと……っ」
「どうでもよかない。もしあんまり低いようなら、こんな時間にこんなトコ、居ったらあかん」
 遊びの感じられない真剣な声色に、目だけをそちらに遣る。真面目な表情だった。
 軽い意味などではなく、親身に自分を気にかけてくれているのだと知ると、無下にはぐらかすわけにはいかないと感じたのか彼は口を開く。
「……十六」
 小さく呟かれた言葉。
「んー……微妙やな」
 苦笑するコハク。その年齢であれば働いていたとて何の不思議もないが、場所が場所であり時間が時間であるだけに、すんなりと頷くことも出来なかった。お節介かもしれないが、つい、特に年下は放っておけない性分なのだ。それは自分に弟がいたから形成された性格なのか、はたまた『いた』と表現されるが故の感傷からなのかは、解らなかったが。
「……仕事の、帰りなんです」
 コハクの気持ちを汲んだのか、真っ当な理由で此処にいることを告げる。
「……アブナい?」
「……違います」
 彼が微かに眉を顰める気配。嘘は言っていないであろうという判断をコハクは下した。
「狩人(ハンター)の、です」
「ぁあ、成るほ――……」 夜行性の魔物はこの周辺にも少なからず生息している。また、日が沈んでからでないと活動しない魔物は狩人の危険性も増すため、賞金額が比較的高い。それを狙ったのだろう。肩に掛けている皮の袋の中身は、自らの武器だろうか。
「ど。――……って、ちょッ、ケガしてるやん!」
 袋を持っていない方の腕、右腕の肘から下辺りに、赤黒い線が走っていた。傷口より下の部分も、そこから流れ出た血に濡れており、大通りから仄かに射し込む光を受け、テラテラと光っていた。腕に赤い軌跡を残して流れ落ちる血球は、指先まで伝って来ると地面へと滴る。血溜まりと呼ぶにはまだ早いが、所詮それは『早い』だけの話であって、そう呼ばれるようになるのも時間の問題だと思われた。
「見せてみ……ッ」
 自分に見せてどうなるという訳ではないだろう。ほぼ反射的に発した言葉だった。だが、状況を把握して損なことはない。そして自身はこの傷に対して直接は何も出来ないかもしれないが、“何かを出来るひと”のところまで連れて行くことなら出来ると思う。
「大丈夫……ですっ」
「んなワケないやろっ!」
 思わず声を荒げた。本人が大丈夫だと言ったところで、それは到底事実には思えなかった。
 暗いので詳しくは見て取れないが、素人目にもかなり深くいっていることは分かる。こんな状態であるのにも関わらずそんなことを言う人間は、大した処置もしないのであろう。何しろ“大丈夫”だと、大事ではないと誤魔化しているのだから。しっかりと治療するということは、それとは反対であると認めることなる。だが、それでは明らかにまずい。きちんと処置をしなければ、感染症になる可能性だってある。
「――……っ大丈夫ですってば!」
 だが、なおもそう言い張る。立ち上がり、彼女から距離を取ろうと、一歩、二歩目――……を下がろうとしたが、すぐに背中は壁の冷たさに触れた。立った衝撃で痛みが走ったようで、傷口を押さえる。
「……あまり……オレみたいのとは関わらない方がいいですよ。……周りから、どんな目で見られるか」
 それが、我を押し通そうとした本当の理由なのだろう。今までの会話からは、早く話を終わらせようとしているかのような事務的な雰囲気があったが、最後は自嘲気味に、吐き捨てるように言い放った今の言葉は、それよりいくらか生身の感情が感じられた。
 やっと本音が出たな、とコハクは思う。だが、それとこれとは関係ない。主張していることは結局同じだ。
「関わるな……ってな、よー分からんけどそんな大ケガしてるヤツほっといた方が人としてどうなん!?」
 つられてか、こちらも感情に走った声を上げてしまう。もはや引き下がる訳にはいかない。ここまできたら、心当たりのある医者――……もとい、『同居人』に引き合わせるつもりでいた。感情まかせついでに、怪我をしていない左手を掴んだ。
「いいからッ、放っておいてくださ……ッ!!」
 彼は掴まれた手を上げ、横に凪ぐようにして振り離そうとする――と。
「お……っ!?」
 勢いがつきすぎ、コハクは振り切られた瞬間後ろによろけ、彼は慌てて倒れるの防ごうと手を伸ばす。が、やはり片手だけでは上手くいかずにこちらもバランスを崩し――……結果的に彼女を向こう側の壁に押し付けるような形になってしまった。紙袋は手から滑り落ち、黄色い果実が半分だけ灰色の地面に顔を覗かせている。狭い路地なので致し方ないことであるが、相手が女性である故、慌てて退こうとする彼。
「あ、すみませ――……」
 自分で振り払ったくせに支えようとするなんて義理堅い奴だなぁ、と、コハクが思ったその時だった。
「お前、何をしている!?」
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