Story.10 幕間
「あれっ、コハクじゃんー! いらっしゃい」
「よっ、エル」
この繁華街は夜遅くまで営業している飲食店が軒を連ねている為、それらの店向けに、同時間帯に商売をし、業務用の氷や青果を扱っている店もまたこの地区に集まっている。ここは店から一番近いとあって、コハクやルルシェもよく利用している。今夜は店主ではなく、彼女と同い年の息子が店に立っていた。“立っていた”とは言っても、様々な野菜や果物が山盛りに詰まれた箱達の向こう側で、実際は空になった木箱に脚を組んで座っていたが。「聞ーたぜ? また強盗叩きのめしたんだってな?」「おー、情報早いなぁ」
彼、エルドは常連であるコハクとは顔見知りで、割と馴れ馴れし……いや、友好的に話しかけてくる。灰がかった緑の髪に、アイスグレーの瞳。なかなかの美形なのだが、ここ一帯では『軽い』ことで随分と有名で、それが災いし相手にもまた本気にされず、特定の女性の噂は耳にしたことがない。
「まぁな、コハクのコトだし?」
「またまたー、で、レモンあるー?」
……もう少し反応を返してくれるかと思ったのだが、今日の彼女はいつも以上に淡白な答えだった。他の女なら、挨拶と同じくらいの自然さと頻度でそのような文句を自分が吐いていると知っていたとしても、何かしらのアクションがあるもので、口ではキツいことを言っていたとしても、顔だけは満更でもなさそうになるものだが。基本的に、彼女はいつもこんな感じだ。
「あるぜー、ちょっと高いけどな」
だが、これくらいでめげはしない。こちらだって慣れたものなのだ。気を取り直して、店員として質問に答える。
「えぇー、いつもの無いん?」
不満そうに口を尖らせるコハク。ふとした時に見せるこういった子供っぽい仕草が、普段はしっかりしている故、余計に可愛く見えたりするのだった。
「残念。コハクがいつも買ってくれる一番安いヤツは今夜完売」
もともと暖かいとは言えない気候の為、この近くで柑橘系の果物を栽培している農家は少ない。その上それを安く扱っている店は、更にごく限られているのだ。そのごく限られた店舗の一つがここであったり。
「今はアリエタ産しかないんだな」
やはり土地が肥沃で温暖な『向こうの国』の方が質の良い作物が穫れる。輸入する際に場所が遠ければ遠い程、運賃や人件費もかかるので、勿論値は張るが。
故に、多少質は落ちたとしても、レモンなんてサラダの飾りにするなりグラスの縁に飾ったりする程度で殆ど味など気にとめやしないであろうし、経費削減の為に、ここから近い――けして近いとはいえないのだが少なくともアリエタよりはずっと近い――地域で作られている、味のあまりよろしくない、安い方を買っているのだ。だが、生憎考えることは皆同じなようで、今夜は先を越されてしまったようである。
「ま、その分良質だけどな。人間ってば俺達をこんな痩せた土地に追いやっといて……狡ィよなぁ、少しは国土分けろって話」
本当のことではあるのだが、一国民がこんなところで愚痴を言っていても仕方がない。笑って軽い冗談として流す。そして今度は同じ笑みでも、それとは違う種の“微笑い”を浮かべた。
「まぁコハクならねー、今夜ウチ泊まってけば百パーセントオフにするけど?」
座ったまま、薄く笑って見上げてくる彼。アイスグレーに映る繁華街の光が、妖しく揺らめく。
「無いんならしゃあない、コレ買ってくわ。五つ」
「あ、ねぇちょっと今の台詞聞いてた?」
五つ分、丁度の金を渡された。今度ばかりはがくっと崩れ落ちたくなった。ここまでかわされるとは。
……何だか、もう諦めたくなる。
「相変わらずつれねーの……っ」
自分は今涙目じゃない。……そう信じたい。飾り気の無い茶色い紙袋にそれなりに丁寧に指定の数を入れる。
「ウチは安ぅないからなぁ」
コハクは勝ち誇るように艶やかに笑うと紙袋を受け取った。そして身体の向きを変えると同時に、夜風に髪が靡く。ローズピンクが花のように、ふわりと視界に広がった。
仄かな香水の香を残していくと、彼女はそのまま歩いていく。
他の店に行けば安物の方がまだあったかもしれないのに、ここで買ってくれた。こういうことがあるから、サービスしたくなるのだ。今度は、何か割引でもしてあげようか。 彼女の判断は常連と店の信頼関係からなのか、わざわざ他の店まで行くのが面倒だったのか、それとも、顔見知り故の人情というやつか。
――彼女の場合、きっと、正解は三つ目だ。
(っていうか、なんかもう……)
本気にされていないなんて、十分過ぎるくらい分かっている。だけど、それでも、諦められない、ほど、
「いー女だよなぁ……」
片手を上げて挨拶したかと思うと、鬼族の少女は人並みに呑み込まれていった。