Story.10 幕間



 面倒事も一段落つき、常連の三人も帰路へついた頃。数時間まえの些細な出来事――“コハクにとっては”だが――について改めて考えていた。まばらになってきた客の、酔いのせいなのか、この時間特有の気怠い雰囲気のせいなのか、緩慢になってきた手の動きを何となく目で追いながら。
 彼の目には、自らの為に他人を傷つけ、略奪することへの迷いがあった。『自分は間違ったことをしている』と心のどこかで感じているであろうことを見抜き、コハクそこに付け入ったのである。
 ……――まだこの男には“キレイゴト”が通じる、と。あの時彼の瞳に迷いがなかったなら、もっと面倒なことになっていたと思う。先程とはまた違った行動をとらねばならなかっただろう。
 迷いがある者は敗者になる。逆に言うと、迷いがあれば俗に言う正義なんてものも負けるのだ。結局は意志の強いものが勝つのだ。意志は多くの場合行動に直結する。
 善悪の倫理観などといったものは、学校の教科書でとりあえず習っておけばいいと思う。現実のそれが紙の上にきちんと整列された文章の通りなのかは、実際に社会に出てから学ぶことになるのだから。子供のうちは知らないでいい。むしろ、知らない期間も大切だと思う。
 純粋であることは成長していく上で重要なプロセスだ。
 まぁ、単なるプロセス……通過点、又は踏み台とでも言えるのだが。
 何とでも言える。そういったことも、結局は意志なのだ。この世を支配するのは、意志だ。

 ……――だから、自分は、例え自分の意志が間違っていると、叶わないと知っていても、

「あっ、レモン切れてるー……コハクー、ちょっと買ってきてくれなーい? お金は後で店から返すからー」
 またも彼女の言葉で思考を中断された。ルルシェが普段果物類が入っているバスケットを指さし、カウンター越しにこちらを見ている。
「えー?」
 コハクは明らかに面倒だと書いてある顔を向け、ささやかな反論をする。
「それぐらいルゥが買うてきたらええやん。何もウチが行くことも……」
「お願ーいっ、ねっ? 今手が離せないのー」
 先程注文を取りに行くよう求められた時にはサラダを作っていたが、今度は何かしら炒めものをしている。ルルシェが内向的という訳ではないが、人並みより社交的であるコハクが接客に回るのが、いつの頃からか、自然な流れとして定着した。そして残る彼女は厨房に入る。今すぐにそれを使うというわけではないが、後々のことを案じての台詞だろう。確かに、買っておいて損は無いが、切らしておいて損が無いとは言い難い。
 今は客も少ない時間であるし、この店のように夜遅くまでやっている酒場や飲食店などの業務向きの食品類を扱っている店まで往復でほんの十数分の距離だ。彼女だけでも十分保つだろう。それに、今は奥で事務的な仕事をしているが、いざとなれば店長もいる。……強盗(未遂)騒ぎに気付いていないはずはないであろうに、それでも事務室に篭り切りの彼女であるから、相当のことでなければ店に立つなどということは考えられないが。
「んー、しゃあないなぁ……」
 確かに、少し暇な時間が訪れる間隔も短くなってきた。そう言われれば、外の空気も吸いたいような気もする。断固断る理由も無い。
「手数料高いで」
 ヒールでつい数時間前にナイフが刺さっていた床を鳴らすと、ドアを開けて言った。
「いってらっしゃーい」
 頭上からはベルの音、背後から、請求を華麗に無視した友人の声が聞こえた。
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