Story.10 幕間
背後からベルの音がした。客が出ようとしているか入ろうとしているかだろう。どちらにしろ、ここで働く者としてかけなければならない言葉がある。そちらに視線を向け――――ようとした瞬間。
「きゃああぁあッ!!?」
絹を裂くような女性の悲鳴が、空間を震わせた。水を打ったかのように、一瞬にして静まり返る店内。
「……ベタ過ぎて笑いでてくんねんけど」
その中で、コハクは一人小さく溜め息をつく。見れば、今入ってきたのであろう。三十代半ば辺りだろうか――の男が、手近にいた女性客の首に腕を回し、もう片方の手でナイフを彼女の首筋にあてがっていた。「コハクちゃん、しーッ!」
――――と、くれば。この状況から導き出される答えは、一つしかない。
「また“身の程知らず”、か。……なぁ、コハクちゃん?」 男の一人が、どこか期待を孕んだ目をコハクに遣る。彼女はもう一つ息をつくと、仕方ない、といった風でゆっくりとまばたきをした。――……それは、彼女なりの、了承の合図。 「しゃあない、行ってくるわ」
「気を付けてな? 一応刃物持ってんだから……」 背を向けるコハクに、別の男が声を潜めて言う。 ――だが、当の彼女は。「……ウチの方がデカい」 振り返りざまににやりと笑い、それから、真っ直ぐに『歓迎できない客』へと向かっていった。 店内中の視線が自分に向けられているのを感じながら、この空間で唯一の音と呼べるヒールの音を高く鳴らし、飲みかけの酒や食べかけの料理の乗ったテーブルの間を進んでいく。
やがてその音は、一人の男の前でぴたりと止んだ。「てっ……店員か? 今すぐ金出して来いッ、全部だ! そうすりゃ俺は何もしやしねぇ……ッ!」
――初犯、だろう。声は何とか気丈そうに振る舞ってはいるが、ナイフが微かに震え、ちらちらと飴色の光を反射させていた。
素人に見破られるくらいでは、コイツも強盗としてまだまだだと内心嘲う。
(……お客さん、初めて?)
心中妖しく微笑む。 勿論、まだまだでない程度になど、なって欲しくはないが。
「……金は今出すさかい、ちょっと待ちぃな」
静かに声を紡ぎ、強い存在感を放つトパーズの瞳で目の前の人物を射抜く。彼の腕と、その手に握られているナイフがもたらす恐怖に囚われている女性は、恐悸に染まった縋りつくような眼差しをコハクに送っていた。 「でもな、少しの間でもお客様を危険に晒しとくワケにはいかん。金は別の奴に頼む。せやから――」
しっかりと、前を見据えて。
「人質、ウチと交換せぇへん?」
無数の人々の無音の驚愕が、静寂に波紋を広げる。人質の女性でさえ恐怖を瞬間的に忘れたようで、目を丸くした。
「こういう時危ない役を引き受けるのは、店のもんなのが道理やろ。……ウチの店に来たせいで迷惑被ってんやから」
一瞬呆気に取られていた犯人が我に返り舌打ちをする。
彼のナイフが下ろされると同時に、女性は素早く男から離れて店の隅にいた男性の腕に飛び込んだ。それを確認する間もなく、男はコハクの腕を引き寄せよう――――……と、その刹那。
彼女の右手が紅い光を掴み取っていた。その紅は紛れもなく、携帯水晶の発動を意味する色。
輝く紅が象る『それ』は瞬時に具現化し――……
軽やかな、風を斬る音。
「ひ……ッ!?」
短い悲鳴と金属音。
細く長い『金属棒』で手の中のナイフは弾かれた。そして彼の脇腹に激痛が走り、その勢いで床に叩きつけられる。
直後、痛みに歪められた顔のすぐ真横にくるくると宙を舞っていたナイフが突き刺さった。
「――そっちこそ迷惑料だしぃや。有り金全部そこ置いてき」
浮かべるのは勝ち誇った小気味良い笑み。たった今真っ赤なハイヒールで蹴り倒しうつ伏せにした男の背に片足を乗せ、喉元にその柄でナイフを弾いた大鎌の刃の先端を向けた。
「じゃなかったら……」
少し体重をかける。ヒールがめり込み、ぐっ、と息の詰まる音が足元でした。
「選択肢その一」
歌うように、一声。
「永久にこの店でタダ働き」
静まり返った店内に、彼女の声のみが響く。
「選択肢その二。ウチの下僕になる」
高らかに紡ぐ言葉。
「その三」
彼女に集中して降り注ぐ、店中の人間の視線。
「金の代わりにその首と命落としていく」
それはさながら、スポットライト。
「はよ選び」
「は……ッひ、うわあぁあぁッ!!!」
奇声を上げたかと思うと、ありったけの力を振り絞り、彼女の脚を跳ね退けて飛び上がるようにして文字通り店から飛び出して行った。
「……隠れ四番の『店に二度と足を踏み入れない』選びよった」
コハクは開け放たれたままのドアに目を遣り、はぁ、と軽く息をついて大鎌を肩に掛ける。
一拍の、無音。
「……、す……っげぇ!!」
「これが『あの』コハクちゃん!?」
「えっ、えっ? 何、あの娘有名なの?」
「アタシ何回か此処来てるんだけど、今日初めて見れた!」
「やべぇ、俺ファンになりそう……!」
やんややんやの喝采に、両手を上げて応えてから、慣れた様子で右手を左胸に当てお辞儀をしてみせる。その姿に、指笛やお捻りまで飛ぶ始末だ。
「どーも、おーきにー」
顔を上げてウインクを決めると、拍手を送る店中の客に手を振る。さながらアイドルのコンサートだ。
これこそ、『夜は女だけしか働いていないと油断して来てしまった可哀想な強盗をカワイイ鬼族の女のコが華麗な大鎌捌きでこらしめる』という、最早月一ペースで起こる、この店のちょっとした名物なのだ。
知らなかった強盗、ご愁傷様でした。