Story.9 sugarcoat

───・…・†・…・───

「う……ん?」
 『少女』は、固い石畳の上でその瞼を開けた。
「あれ……? 私……?」
 確か今朝は早くに目が覚めてしまって、どうせだから日の出を見ようと窓辺に行き――……
 ――ずきんっ
「……ッ!?」
 突然、頭を内側から殴られたかのような、吐き気を覚える頭痛。
「痛た……」
 まるで鼓動のように、余韻は一定の間隔で押し寄せてくる。だが回数に比例して、段々と痛みも薄らいでいった。
 それがほぼ無くなったと判断すると、一つ息を吐く。呼吸さえも刺激となり、無意識に止めていた。
「何? ……まぁ、いいか」
 思わず頭に添えていた手を下ろし、着ていたドレスの裾を軽く持ち上げて立ち上がる。
 朝日の窓に背を向けると、逆光に透ける肩ほどまでの薄桃花の髪が朝の光を淡く纏った。
 彼女の視線の先にあったのは、豪奢な水盆。
 小鳥の羽音ほどの足音を静かに鳴らして歩み寄り、それに映るモノを見つめた。
 銀と金の髪の少女と、薄茶と黒髪の少年。
「……増えてる」
 花弁のような唇から零れた、鈴の音。
「この娘の所為……?」
 森の深緑を思わせる瞳は、その内の一人に落とされる。可愛いひとだと思った。動く度に、二色の光を湛えた髪がきらきらと揺れる。
「あぁ、そうだ」
 繊細な金細工の施された縁に囲われた水面の上で、その少女に金髪の少女がじゃれて抱きつく。銀の彼女は両手をぱたぱた動かし、どうしようかと周りに助けを求めているように見えた。近くに居る黒髪の少年は微笑んで、抱きついた側の少女に何か言っているよう。すると彼女は肯定の返事らしい口の動きをし、悪戯っぽく笑うとより強く少女を抱きしめた。先程から助けを求めている少女の手動きが大きくなる。それを見ながら、薄茶の髪の少年は、勝手にしろと言わんばかりに溜め息をつく。だが、どこか楽しそうに。楽しそうだと感じられる動作などしていないのに楽しそうだと思わせる程に。
 姿は寸分の狂いなく映し出せても、音声までは把捉出来ないのが悔やまれる。――無いとて、伝わるものは伝わるのだが。
 銀の少女のあどけない笑顔、絶え間なく変わる表情――本当に可愛いひとだ。纏っている微かに光沢を持った純白の衣服は、彼女によく似合っていると思う。服に揃いの帽子と、胸元で跳ねる白い肌によく映える紅い水晶のペンダントも。「コレ……なら」
 ふいに、音もなく水に手を滑り込ませ、丁度ペンダントの真上で、それを掴むようにして握る。水面が波紋を広げた。そして何を思ったのか、そのまま水を掻き回し始めた。                 

 ちゃぷ、ちゃぷ。

 歪み、崩れる四人の人物の姿。

 ちゃぷ、ちゃぷ。

「決めた、やっぱり……」

 桜の花弁のような繊細な唇に、微笑を乗せて。

「みぃつけた……」

 不意に、軽い木の音が鳴った。空気に波紋を広げるのは水音のみだった空間に、扉を叩く音が響く。控えめに、だが切れの良い音。この叩き方は――――
「……リェス様?」
 女性の、澄んだアルト。この叩き方は、などと言っても、この部屋の扉に手を掛ける人間など、片手で数えても指が半分以上余る。というより、彼女しか居ないに等しいのだが。
「入っていいよ」
「失礼します」
 答えを返せば、落ち着いた声と、その持ち主がドアの向こうから現れた。振り返ってきちんとノブを両手で回して閉め、それから改めて顔を合わせる。
「お早う御座います、何か、音が聞こえましたので……今朝はお早いお目覚めだったのですね」
 その少女は、自らが『リェス』と呼んだ少女より二、三は年上に見えた。十代の後半だろう。こちらも同じく、床まで届くドレスを着用していた。
 柳腰まで真っ直ぐに落ちたストレートの黒絹の髪は艶めき、触れるのが躊躇われるほどに白い深雪のような肌にはただの一点の汚れも見受けられず、まさに氷肌と呼ぶに相応しい。すっと通った鼻梁に、意志の強さを物語る光を宿した黒曜石の瞳。その麗逸とした容姿は、どんな熟練の職人がどれほど丹念にカットし加工された宝石よりも美しい。人工には限界があるのであって、人の手で意図的に造ったそれは、もって生まれた逸群の美には適わないのだ。人の手の届かない星の方が美しいのと似ている。
「ちょっとね」
 そんな彼女を前に、もう一人の少女もけして劣りはしない。一目だけでは精巧な人形が動いているかと錯覚してしまう程に整った顔立ちに、陶器のような肌。零れ落ちそうな碧の瞳に、桜色の唇。さらさらとした薄桃花のショートヘアーを揺らして小首を傾げ微笑む様は、天使のように愛らしい。
「ね、コレ、見てもらえる?」
 水面から繊手を下ろせば、白い指先から雫が滴った。彼女を手招き、自らの元へ呼び寄せる。はい、と返事し黒髪の少女が隣に来ると、一歩引き、彼女にも水鏡がよく見えるよう場所を空けた。少女はそれに従い、それを覗く。
「これは……!」
 水面に映るものに、息を呑む少女。だがその驚きは、水盆に風景が映っていたことに対してではなく、もっと『別の部分』に向けられているようにも感じられた。
「この前、奥の部屋で見つけたの」
 一歩後ろから、彼女の耳元で囁く。その口元には、変わらぬ微笑が浮かんでいた。と、その時。廊下から靴音が聞こえた。薄桃花の髪の少女はそれ反応し、ドアの外へと顔を出す。
「オニキスお兄ちゃんっ」
 ひょこっと顔を覗かせた先には、白衣のようなもの着た一人の男性が居た。白銀の髪と、眼鏡の向こうには紅珠の瞳。二十代に見えるが、顔立ちがあまりに整っているせいで詳しい年齢は推測が出来ない。別にこの部屋に来た訳では無く、偶然通りかかったという様子だ。彼は突然顔を出されたことに驚いた風もなく、無表情を崩さない。
「……オニキス」
 そんな彼に黒曜の瞳の少女は双蛾を寄せてあまり好意的とは言えない視線を送り、すぐにもう一人の少女の傍につく。
「オニキスお兄ちゃん、おはよう。昨日は良く眠れた?」
「……いつもと変わりない」
「そっか」
 訊かれたから答えるという義務感を隠そうともしない無愛想な返答にも関わらず、にこやかに返す少女。彼が無口で無表情ですげないのはいつものことだから、今更気を悪くはしない。
 在るはずの無い『いつも』に気付かないまま、今日も今日は始まる。

 それでも、やはり今日は動き出すのだ。


 歯車は、動き出すのだ。

───・…・†・…・───


To the next story…

originalUP: 2009.2.4
remakeUP:2012.12.25
13/13ページ
スキ