Story.9 sugarcoat

    †

「……ずいぶん優しいんですね、ハール?」
 ――――あの後すっかり寝静まってしまったリセとフレイアを起こさないように少しだけ、だが異変があればすぐに気付ける程度に距離をとった場所で、樹に寄りかかったイズムは言った。
「本当はもっと前から居たくせに」
 そう続けた彼から数歩離れ、一応剣が無事か顕現させて確認するハール。別に携帯水晶自体が割れたりしない限り中身に影響はないのだが、念の為だ。
「リセに任せた方が、あの場合はいいと思ったんだ。……お前こそオレより先に居ただろうが」
 フレイアを捜していた時のこと。風に乗って聞こえてきた微かな話し声を辿っったところ、行き着いた崖の手前の木々の群れの中に先客――――イズムがいた。出て行かなかったということは、彼も同じように判断したのだろう。しかしもっと早く行っていれば本当ならリセは怪我をせずに済んだと思うと、罪悪感は残るが。
 だが、あの場に居たことはフレイアにバレてしまった。彼女が自らの正体と罪を明かした時、崖前にはリセとフレイアしか居なかったのに、彼はそれに関連した事柄を彼女に話してしまった。その矛盾に、“あの”フレイアが気付いていないはずはない。現に、それを示唆する言動を彼女はとっていた。『来てくれてたんだね』と。
「僕の方が近い場所に居ましたから、到着が早かっただけです……でも、さすがにアレは想定外でしたねぇ。いつものフレイアさんなら、あんな失敗しないでしょうに」
 それに、あれ程大きな声を出されたら、何処にいるかなんてすぐに分かりますよ、そう苦笑する。 
「……それだけ必死だったってことですかね。……それより、いいんですか?」「何が」
「彼女は危険分子と判断しないんですか?」
 『危険分子』という言葉に、剣へと視線を落としていた顔を少しだけ上げる。軽く睥睨すれば、イズムは薄く微笑っていた。その表情から彼の本心を汲み取る。
「あいつは……少なくとも今夜は、最初から裏切るつもりなんて無かった。もしするつもりだったとしてもできなかった。できなかった理由がある。それで充分だろ……それと」
 答えるのが面倒だとすら言いたげに、目を据わらせた。
「お前がそういう言い方をするなら、する必要ない」 数秒の、沈黙。星が、数度瞬いた。
「素直じゃないですねぇ……」
 瞬間、何か言い返そうとしたが思い止めたようで口を噤む。彼に口論で勝てるはずなどないのだ。
「リセさんとは正反対です」
 ハールのその様子に満足したのか、彼はにこりと、お馴染みの笑みを浮かべた。
「……お前もな」
 リセと二人で記憶師の家を目指し歩いていたとき、その会話に調子が狂うと感じたのを覚えている。そしてその狂うという感覚はやがて、別の物へと変化していった。
 彼女に触れた人間は、今までと違う――確かに、変わっていった。彼女の純粋さに触れ、浄化されるかのように。暗闇に散りばめられた数多の答えを照らす、彼女はまるで光。
 だがそれらのなかの一つを見つけるのも選ぶのも、彼女自身ではない。示す訳ではないのだ。手を引くようなことはせず、背中をそっと押す訳でもなく、ただ、照らす。すべてを照らすが、それ以上は、しない――……【何か】に、似ていると思う。それは、何だろう。分かりそうで分からない。なら、それはそれでいい。今はきっと、その時ではないのだ。
 答えを淡く浮かび上がらせたその先は、答えを照らされた人間にかかっている。自分がそんなことをしているなどとは、きっと、当の『光』は無自覚なのだろうが。
 その白さは、この世界で生きていくのに邪魔になる。それを守ろうとすればする程、生きにくい世界になっていく。
 世界は色を持ち、人は、巧く生きる為に出逢った色を取り込んでいく。
 繰り返して繰り返して、誰もが持っていた白をやがては灰色に変えていく。
 だが、彼女は。
 過去が無いから、あのようにいられるのだろうか。だとしたら、これから過去を創り上げていくとしたら、どうなる?
 それとも、そのようなことは関係なく、彼女は、『彼女だから』――……?
 考えることを止め、再び視線を手元へ戻す。銀の刃に映る月は、西へと傾いていた。
 もうすぐ、空は夜明けへと染まり行くのだろう。
 その先に、きっといつも通りの朝が待っている。
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