Story.8 古の殺戮者
幾本もの鍾乳石が鱗の鎧を突き破っていた。骨を砕き、内臓を潰し、巨体深く埋もれた鋭い大石の剣。それは先程まで鼓動を刻んでいた心臓でさえ同じ運命を辿らせただろう。動かなくなった銀鱗の老竜から離れ、イズムは役目を果たした少女の元へと急ぐ。
「イズム君……当たった、よ……!」
「リセさん……! すみません、無茶させて……」
駆け寄れば、彼女は地面にへたりこんだまま安堵の微笑みを浮かべていた。
(お爺ちゃん、見つけたよ……)
――――自身の想いと、共鳴するモノ。
彼女たちの背後で濁った赤を泉の如く溢れさせている巨体が意味するものは、一つだけ。それを魔物たちは理解したようでさざ波のように暗闇へ引いて行く。錆びた銀竜が纏っていた空虚ながらもねばつくような殺意は嘘のように消えていた。生命の証を止めどなく地に流す彼は、今はどこか静謐さすら感じさせる。本来の竜としての風貌はこのようなものだったのだろうか。かつて古の大地を歩んでいた頃はどんな瞳の色をして、どんな景色を映していたのか――――もう、知る術はない。彼を見つめるリセの唇が僅かに動く。
「……おやすみなさい」
届くことはない言葉。ほんの少し――自らの心臓が三度鼓動する間だけ、彼女は目を瞑る。静けさのなか再び瞼を開ければ、イズムに手を差し出された。
「立てますか?」
「うん、ありがとう。ふふ、ごめんね。何か……今更、震え、が……」
重ねようと伸ばされた手はいつも以上に白く、そして震えていた。手と同じく声も、暗い地面に目立つ脚も。まるで彼女の周りにだけ冬が来たようだった。
「ここまで魔力を消費したのは初めてですから、無理もありませんよ」
――それに、怖かったでしょう。という言葉は飲み込んで。
「これだけ出来たら、もう僕が教えなくても……」
「……ううん、まだようやく一歩目だもの」
言いながら、ふらつきながらも手を借りて立ち上がるリセ。
「私、もっと頑張るよ」
指も、脚も、声も震えて――それでも、やはり瞳だけは強く、真っ直ぐで。その微笑みに、イズムは降参だというように一つ溜め息をつく。気まぐれにしては深入りし過ぎてしまったのは否めないと、苦笑が漏れた。
「……その時はその時、ですねぇ」
「ふお?」
「いえ、何でも」
「――リセ! イズム!」
反響する呼び声。魔物が完全に消え去ったのを確認らしい二人がこちらへ走ってくるのが見て取れた。
「大丈夫か!? ……ったくあんな無茶な計画立てやがって……イズムの案だろ」
合流すると、少しだけ怒ったように続ける。
「どうにかなったから良かったけどな、お前の作戦はいつもいつも穴があり過ぎなんだよ」
一つ溜め息を落とすイズム。そして、当然だという風にハールと目を合わせた。
「仕方がありませんよ。今回、いつも作戦の穴を塞ぐ為の案を出してくれる誰かさんが居なかったんですから」
そう軽く微笑され、反論の言葉を一瞬探す。だが彼に口論で敵うはずもなく、とりあえずは諦めた様子で腕を組んだ。
「誰かさんの作戦は、回りくどいようで豪快だからな……そのまま実行したら命が幾つあっても足んねぇよ」
「誉め言葉として受け取っておきますね」
「誉めてねぇよ」
「……とまあ、それはそれとして」
「フレイアー!」
「え?」
名の主が急に呼ばれたことに驚いているうちにリセが彼女の手を取る。笑顔で自らの手を両手で握る彼女に目を見開き、戸惑いを隠せない。
「フレイア、フレイアありがとう! もし魔物にあのまま突っ込んでたら、私……!」
「え、あ、……え?」
「ありがとうございます。……フレイアさんがいてくれて、本当に良かったです」
「その、アタシはただ咄嗟、に……っていうか、ごめん、ハール君にも無理させて、アタシがいきなり後ろ向いたから、怪我してるのに周りの魔物全部抑えてくれて……」
リセの無垢な瞳とイズムの言葉から逃れるようにハールへ視線を送る。
「謝ることじゃないだろ。オレは振り返らなかったから気付けなかった」
それは彼が二人を信頼していたからだ。戦闘中の会話からも十分に伝わったことだ。つまり、自分は――
「……だから、お前がいてくれて本当によかった」
穏やかな声。ゆっくりと優しげに微笑みを象る碧の目。更に強く握られる手に、フレイアは再びリセへと顔を向けた。
「助けてくれてありがとう! 前に言ってたけど、フレイアこそまるでお話の主人公みたいだった……!」
瞳は星を湛えて輝き、頬は尊敬と憧れに紅潮する。その様子は、まるでお伽噺のその先をせがむ子供のようだった。
「本当にフレイアは正義の美少女だよ!」
「――――……」
「あっ! ごめんね、ずっと手握っちゃってて……!」
――――と、その時だった。突然、鈍い音と足元に小さな振動。
「何……この音」
リセが辺りを見回し、不安そうに手を胸元に寄せた。その僅かな間にも音と揺れは刻々と大きさを増していく。
「……まさか」
すぐに頭上からぱらぱらと細かな砂や小石が落ちてくるようになった。ハールは恐る恐るイズムに目を遣る。
「まさか、ですねぇ……」
彼はどこか吹っ切れたような、方向性の間違った清々しい笑みを浮かべ――――
「崩れ始めたようです。このままだと……生き埋めになりますよ」
「……んなコト、分かってるっつの――ッ!!」
ハールの叫び声が、一行を突き動かす合図となった。
「走りますよ!」
イズムが三人を促し、次の瞬間には四人とも脚を動かしていた。
「だからお前の作戦危ねぇんだって! 細かいとこ何も考えてないだろ!? 天井付近に攻撃魔法叩き付けたら崩れるに決まってんだろうが!」
「そのくらい分かってましたよ! でもそういう部分のフォローは貴男の役目です! 第一、細かいコトなんて気にしていたら殺れるものも殺れませんよ! 意外と大丈夫かもしれませんし!?」
「全ッ然細かくねぇし大丈夫でもなかったし! てか分かってんなら最初からやるなよ!」
「あの時はこれしか思い付かなかったんです! 全滅か少しのリスクで可能性があるなら後者でしょう!」
「少しの認識を改めろ! あとお前その頭脳派なんだか勢い型なのか分かんねぇの何とかしろ!?」
「二人とも喧嘩は外出てからやろうよー!?」
リセの叫び声は、岩が崩れ行く音に掻き消されていった。
「イズム君……当たった、よ……!」
「リセさん……! すみません、無茶させて……」
駆け寄れば、彼女は地面にへたりこんだまま安堵の微笑みを浮かべていた。
(お爺ちゃん、見つけたよ……)
――――自身の想いと、共鳴するモノ。
彼女たちの背後で濁った赤を泉の如く溢れさせている巨体が意味するものは、一つだけ。それを魔物たちは理解したようでさざ波のように暗闇へ引いて行く。錆びた銀竜が纏っていた空虚ながらもねばつくような殺意は嘘のように消えていた。生命の証を止めどなく地に流す彼は、今はどこか静謐さすら感じさせる。本来の竜としての風貌はこのようなものだったのだろうか。かつて古の大地を歩んでいた頃はどんな瞳の色をして、どんな景色を映していたのか――――もう、知る術はない。彼を見つめるリセの唇が僅かに動く。
「……おやすみなさい」
届くことはない言葉。ほんの少し――自らの心臓が三度鼓動する間だけ、彼女は目を瞑る。静けさのなか再び瞼を開ければ、イズムに手を差し出された。
「立てますか?」
「うん、ありがとう。ふふ、ごめんね。何か……今更、震え、が……」
重ねようと伸ばされた手はいつも以上に白く、そして震えていた。手と同じく声も、暗い地面に目立つ脚も。まるで彼女の周りにだけ冬が来たようだった。
「ここまで魔力を消費したのは初めてですから、無理もありませんよ」
――それに、怖かったでしょう。という言葉は飲み込んで。
「これだけ出来たら、もう僕が教えなくても……」
「……ううん、まだようやく一歩目だもの」
言いながら、ふらつきながらも手を借りて立ち上がるリセ。
「私、もっと頑張るよ」
指も、脚も、声も震えて――それでも、やはり瞳だけは強く、真っ直ぐで。その微笑みに、イズムは降参だというように一つ溜め息をつく。気まぐれにしては深入りし過ぎてしまったのは否めないと、苦笑が漏れた。
「……その時はその時、ですねぇ」
「ふお?」
「いえ、何でも」
「――リセ! イズム!」
反響する呼び声。魔物が完全に消え去ったのを確認らしい二人がこちらへ走ってくるのが見て取れた。
「大丈夫か!? ……ったくあんな無茶な計画立てやがって……イズムの案だろ」
合流すると、少しだけ怒ったように続ける。
「どうにかなったから良かったけどな、お前の作戦はいつもいつも穴があり過ぎなんだよ」
一つ溜め息を落とすイズム。そして、当然だという風にハールと目を合わせた。
「仕方がありませんよ。今回、いつも作戦の穴を塞ぐ為の案を出してくれる誰かさんが居なかったんですから」
そう軽く微笑され、反論の言葉を一瞬探す。だが彼に口論で敵うはずもなく、とりあえずは諦めた様子で腕を組んだ。
「誰かさんの作戦は、回りくどいようで豪快だからな……そのまま実行したら命が幾つあっても足んねぇよ」
「誉め言葉として受け取っておきますね」
「誉めてねぇよ」
「……とまあ、それはそれとして」
「フレイアー!」
「え?」
名の主が急に呼ばれたことに驚いているうちにリセが彼女の手を取る。笑顔で自らの手を両手で握る彼女に目を見開き、戸惑いを隠せない。
「フレイア、フレイアありがとう! もし魔物にあのまま突っ込んでたら、私……!」
「え、あ、……え?」
「ありがとうございます。……フレイアさんがいてくれて、本当に良かったです」
「その、アタシはただ咄嗟、に……っていうか、ごめん、ハール君にも無理させて、アタシがいきなり後ろ向いたから、怪我してるのに周りの魔物全部抑えてくれて……」
リセの無垢な瞳とイズムの言葉から逃れるようにハールへ視線を送る。
「謝ることじゃないだろ。オレは振り返らなかったから気付けなかった」
それは彼が二人を信頼していたからだ。戦闘中の会話からも十分に伝わったことだ。つまり、自分は――
「……だから、お前がいてくれて本当によかった」
穏やかな声。ゆっくりと優しげに微笑みを象る碧の目。更に強く握られる手に、フレイアは再びリセへと顔を向けた。
「助けてくれてありがとう! 前に言ってたけど、フレイアこそまるでお話の主人公みたいだった……!」
瞳は星を湛えて輝き、頬は尊敬と憧れに紅潮する。その様子は、まるでお伽噺のその先をせがむ子供のようだった。
「本当にフレイアは正義の美少女だよ!」
「――――……」
「あっ! ごめんね、ずっと手握っちゃってて……!」
――――と、その時だった。突然、鈍い音と足元に小さな振動。
「何……この音」
リセが辺りを見回し、不安そうに手を胸元に寄せた。その僅かな間にも音と揺れは刻々と大きさを増していく。
「……まさか」
すぐに頭上からぱらぱらと細かな砂や小石が落ちてくるようになった。ハールは恐る恐るイズムに目を遣る。
「まさか、ですねぇ……」
彼はどこか吹っ切れたような、方向性の間違った清々しい笑みを浮かべ――――
「崩れ始めたようです。このままだと……生き埋めになりますよ」
「……んなコト、分かってるっつの――ッ!!」
ハールの叫び声が、一行を突き動かす合図となった。
「走りますよ!」
イズムが三人を促し、次の瞬間には四人とも脚を動かしていた。
「だからお前の作戦危ねぇんだって! 細かいとこ何も考えてないだろ!? 天井付近に攻撃魔法叩き付けたら崩れるに決まってんだろうが!」
「そのくらい分かってましたよ! でもそういう部分のフォローは貴男の役目です! 第一、細かいコトなんて気にしていたら殺れるものも殺れませんよ! 意外と大丈夫かもしれませんし!?」
「全ッ然細かくねぇし大丈夫でもなかったし! てか分かってんなら最初からやるなよ!」
「あの時はこれしか思い付かなかったんです! 全滅か少しのリスクで可能性があるなら後者でしょう!」
「少しの認識を改めろ! あとお前その頭脳派なんだか勢い型なのか分かんねぇの何とかしろ!?」
「二人とも喧嘩は外出てからやろうよー!?」
リセの叫び声は、岩が崩れ行く音に掻き消されていった。