Story.1 白の狂気

「あのね、今日はありがとう」
「ん?」
 横を向けば、今度は涙ではなく笑みを浮かべる少女がいた。そして、不意に白い両腕が彼へと伸びる。
「――え」
 予想外の動作に動揺した直後、頭にごく軽い物を乗せられた感覚。
「これ、お礼! 似合うよ!」
 指で触れれば柔らかさ、薄さ、いくつかの感触が伝わる。今まで自分には縁のないものであったが、恐らく“それ”であろうという予想はできた。答え合わせをするべく頭に乗せられた物を手に取る。
「……あのなー」
 色とりどりの花で編まれた、花冠。
「取っちゃうの?」
「これ、昼間の……」
「うんっ、上手にできたと思うよ!」
 ずっと隠していたのだろうか、気が付かなかった。確かにしっかりと綺麗に編まれている。使われている花の種類がバラバラなのは、歩いている内に見付けた花を繋げていった為だろう。……と、それはいいのだが。
「……お前、つければ?」
「え、でもこれはお礼だから」
「…………」
「あげるねっ」
「遠慮します」
 ――問答の末、結局花冠は少女の頭に収まった。一時中断していた会話を再開する。
「えっと、本当にありがとう。ハールが……優しい人でよかった」
「どういたしまして。別に優しくはないと思うけどな」
 これは本音だ。けして優しくはないだろうと思う。大多数の目から見ても、別に何かが特出している訳でもないごく一般的な倫理観に従った行動だっただろう。しかし、『ごく一般的な倫理観』であるかを判断できるということと、それに基づいた言動をできるかはまた別の話である。つまりその大多数が全員後者に当て嵌まるかと言うとそうとは言い切れないのが世の中だ。もし、人間性が標準以下で尚且つ多少頭の回る奴が彼女を最初に発見していたらどうなっていたかと思うと、こんな自分でも見つけてやれて良かったと感じる。
 ――などといったハールの胸中など知る由もなく、少女はにこにこと話す。
「そんなことないよ、私ハールのこと、もっと知りたい。お話とか聞きたいなぁ」
 そしてその笑顔と金色の眼差しをハールに向けた。
「ダメ?」
 純粋な好意と期待が滲む無垢な瞳に見つめられ、言葉に詰まる。
「だ……」
 数秒の静寂。焚き火が乾いた音を立て、さわり、と木々が夜風にささめいた。
「……駄目」
「えぇっ、何で!」
 思わぬ拒否に目を丸くする少女。
「あぁ、いや、駄目って訳じゃ、なくて」
 つい彼女の言葉をそのまま返してしまった。強い否定に聞こえたかと慌てて取り繕う。
「別に、話せるようなことも特にないって言うか……」
「そうなの? でも旅人さん……なんだよね? 今までどんなところを巡ってきたのかなぁー、とか」
「旅っつってもこの辺とか、あと西部方面を少しうろついてるだけで……」
「目的地とかは?」
「ない」
「え、ないのに、旅……」
 きょとんした少女の表情に、しまった、と思う。――これ以上はまずい。
「……あぁもう、あんまりうるさくすると魔物が寄ってくんぞ」
 別にどちらともうるさくしていた訳ではない。咄嗟に話題を変えようとした結果である。
「ん? 『魔物』って、なに?」
「……は?」
「えと、今ハールが言ったの、魔物で合ってる……よね?」
「……まあ、合ってる、けど……」
「けど?」
(魔物、知らねぇの……?)
 話を逸らすことには成功したが、これはなかなか由々しき事柄である。魔物といえば、まだ初等教育も始まっていない程の小さな子供でも、それがどんなものであるかぐらいは知っているものだ。世間知らずな温室育ちのお嬢様とて例外ではない。そういった知識も記憶と共に喪失してしまったのだろうか。
 もしくは、もともと知らなかった――?
(まあ、いいか……)
 いや良くはないのだが、生憎記憶に関しての専門的な知識は持ち合わせていない。それについてはどうせ明日分かるであろうが、また自分に話の矛先が向けられても困るので教えておくことにする。
「何でもない。魔物っていうのは――……いや、根本的なことから話すとリィースメィルの歴史から説明するようになるか? 長くなるな……聞く?」
「う、長いの? ……でも聞いとく」
 彼女の表情が示すものとは反対の言葉に「殊勝だな」と笑い、承諾の返事をするとハールは話を始めた。


「……今年は……確か、聖暦二一三年だったな。そうなると――」
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