Story.8 古の殺戮者

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「……とは言ったものの、どうしましょうかねぇ」
 呼吸を整えているらしい竜を目の前に、イズムはいつもの軽い口調で――もしくはそう聞こえるように――言う。
「あまり派手なことはしたくないですね。砂埃が立って不利ですし」
「攻撃魔法を周りに当てたりしないで、命中させなきゃダメ……かな」
 砂が互いの視界を奪うのならばそれはそれで利用する作戦も立てられたかもしれないが、向こうはそもそも視力を頼りにしていない。至極単純な意見だが、この場合はそれしか手がないように思える。
「回りくどい戦法は、一度考えから外した方が良さそうですね。頭の方が損傷は期待できますけど……避けられたらまずいですから、とりあえず胴を狙ってみましょうか」
 巨大な胴体は僅かに身じろいだだけでも鱗がぎしぎしと不気味な音を立てる。相当経年劣化しており移動は困難――もしくは不可能に見えた。腕や首は動かせるにしても、現に老竜は初めに居た場所から一歩も動いていない。それもそのはずだ。でなければ下級の魔物を使うなどという遠回しなことはしないだろう。
「できますか」
 イズムがリセを見遣ると、彼女は頷き右手に白い光の粒子を纏わせた。
「……うん」
 ――感覚を研ぎ澄ませて『波』を捕まえる。魔力に意識を添わせれば、手のひらから泡のように生まれ出でる光が収束していった。降下してきた魔物を防いだ際の記憶を手繰り寄せる。“成りかけ”であったそれではない、あと少し、あの瞬間より、もう一歩先の、自分の意思と言う名の輪郭をもった魔法を――
(もっと、はっきり思い浮かべる何かが……)
 より強固な魔法と成すための呼び水としての情景。自らと魔力を繋ぐ心象。描く、自分のなかの魔法の景色。
(魔力の波を、捕まえて……水面の、下の)
 ――暗い水底。そこから浮かび、揺れ、白くきらめく無数の輝き。肉体という泉から沸き上がる魔力の泡を自らの手で掬い上げる。抱き締める。かたち創られる。

(あの子を眠らせるために)

 魔力と自分の意思が重なる。

(みんなを守るために)

 眩い満月の如き球体が織り上がる。

(必要なモノを――)

 無意識を、意識する。

 ――深呼吸。

「――砕けて……ッ!」
 輝きを増した光球がリセの右手から投げ放たれた。無垢なる魔力は紛うことなき“攻撃魔法”へと変換され、白い光は尾を引きながら真っ直ぐに空を切る。そして竜の脇腹へと命中すると飛沫を散らして砕けた。それだけでなく、光は破片となって古びた銀鱗に突き刺さる――
「当たった……!?」
 ――かのように見えたが、鋭い破片は鱗に触れた瞬間に溶け消えた。一瞬安堵の表情を見せたリセであったが、想定していた効果が現れなかった上、これはまだ始まりに過ぎないのだとすぐに唇を引き結ぶ。
「……及第点どころか合格ですね。それ、今考えたんですか? だとしたら戦闘の才能ありますよ、リセさん」
 そう言いながらも微かに眉を顰めるイズム。恐らく魔法が“導かれた”通りに正しく発動していたならば、接触した際の衝撃に加えてその破片での損傷が期待できたはずだ。魔力の顕現から維持、変換に至るまでのリセの手順に問題は見られなかった。しかし目の前の魔物は苦しげな素振りを見せるどころか、何も感じていないといった態度でただ佇んでいる。それはまるで、破片どころか接触での損傷すら無かったかのようだった。
「……傷の一つや二つ付けるのには十分だと思ったのですが」
 瞬時に考えを巡らせ他の手立てを考えようと――した瞬間、ふと一つの不安要素が脳裏を過ぎった。しかし、今はそれを振り払う。
「少し威力が足りなかったのかもしれません。今度は二人でやってみましょうか。リセさんに合わせますよ」
「……ありがとう。じゃあ、いくね」
 リセは再度光をその手に灯し、イズムも蒼い球体を創り出す。合わせると言ったのは時機のことだと思っていたが、魔力の導き方も含めるようだ。一度見ただけの魔法を完全に再現してみせるとは――戦闘での器用さ、教え方の解りやすさも含め、相当力量のある魔導士だということはその方面の知識が少ないリセでも容易に窺い知れた。そんな彼と一緒ならば、次は違う結果になるかもしれない。魔物の息が整い再び攻撃に転じられれば、自分達はまた耐えるしかなくなる。それも何度も持つという保証はない。ここで、流れを変えなければ。
「せぇ……のっ!」
 リセの声で同時に魔法を空に流した。白と蒼が光の粒子を零しながら暗闇を走り老竜にぶつかり、弾け、そして――――
「――効かない……!?」
 砕けた二色の魔力を纏う竜。曇り錆び付いた銀の鱗にも色彩は映り込み、まるでその輝きは自らを飾り立てるものだと言わんばかりに二人を見下ろしていた。その堂々たる姿たるや。敵を捉える目を持たず、自らの脚で歩むことは叶わず、一撃で息を切らせるようになっていたとしても。ただそこに在るだけで抵抗を無きものとする様。それはまさに、魔獣の頂点に君臨する竜としての威容そのものであった。
「……ああ、そうですか」
 驚きを隠せないリセ。イズムは静かに、分かってはいたが改めて確認できたというように呟く。しかし理解できたゆえの諦めはそこになく、むしろ好戦的な響きすら感じられる。
「先程リセさんの魔法で傷一つ付かなかったをのを見て思ったんですが……この魔物」
 玄珠の瞳に、古の殺戮者が映る。
「……攻撃魔法に耐性を持っているのかもしれません」
「耐、性……?」
 聞き慣れずとも意味は解る言葉。焦燥と不安が奥に溶けた目を向けるリセ。
「簡単に言えば、魔法でいくら攻撃しても効果が無いということです。魔獣の上位種は魔法耐性を持っている種が多いのですが……魔物になろうとそれは健在のようですね」
 そして、瞬間的に無効化しているわけではないので攻撃魔法以外なら多少は効くと思いますが、と続けた。あの銀鱗の鎧に立ち向かうには、ハールの剣、フレイアの弓矢では威力が足りない。リセとイズムの魔法も効かない。
「……リセさん、ちょっとヤバいです」
 あまりに直接的な表現。内容に反してその瞳と声から戦意は消えない。しかし彼ですら誤魔化しきれない状況だという事実だけは――理解できた。
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