Story.8 古の殺戮者

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 周囲の地面が黒い波のようにうねる。――否、“黒くうねっているもの”に覆われている。それは僅かな光に照らされ、ぬらりと照る大蛇の海。大人の男性を一人呑み込むとちょうど満たされるであろうと思われる体格のそれは、尻尾の先に錨のような針とも刃とも形容できる凶器を揺らして牙を剥く。
「……ったく、キリねぇなっ!」
 銀色が閃くと同時、ハールの腕に噛みつこうと口を開いていた大蛇の頭が斬り落とされた。続けざまに降ってきた蝙蝠を二匹凪ぎ払う。
「ハール君後ろ!」
「分かってる……!」
 その声よりほんの僅か早く振り返る。視界いっぱいに赤い口内。細く鋭い牙が両側に二本。今の斬撃の勢いを殺さず、そのまま振り向きざまに剣を横へ薙いだ。確かな手応え。こちらの首は落とせなかったが太い血管を斬ったらしく大量の血飛沫が飛んだ。そのまま蛇は地面へ倒れる。痙攣する身体は時折大きく跳ね、その度に血が溢れる。出血量から二度と起き上がらないであろうことは明白であった。
「……失敗した」
 顔に返り血を浴びてしまい、思わず溜め息をつく――暇もなく正面から向かってきた一匹を文字通り縦に斬り裂いた。口に含んでしまった鉄の味がする赤を地面に吐き棄てる。しかし毒がなくて幸いであった。いつもは出来るだけ返り血が付かないよう気をつけているのだが、咄嗟だったので加減をせずに斬ってしまった。通常とはかけ離れた状況とはいえ迂闊であったと反省する。
「フレイア! 今の角度から来たらそっちで頼む」
 そうしている間にも上空からは一匹、また一匹と矢が突き刺さった魔物の死骸が降ってくる。フレイアの武器は有限だ。剣も刃こぼれするとはいえ、彼女のそれは明確に矢の残数というものがある。空中のものも含めて敵は可能な限り引き付けた上で基本的にはハールが処理し、その上で手が回らなかったものをフレイアが射るという手段を二人は選んだ。大蛇や鴉は数こそいるものの本来洞窟に住む生物ではないからであろう、敵意は感じるが動きに無駄が多く一匹一匹は大した脅威ではない。 懸念していた事項として一斉に飛びかかってくる、もしくは自分達を無視してリセとイズムが狙われるということが挙げられたがそれも起こらず、そもそも連携しようという気が微塵も感じられなかった。狼などと違い、群れで狩りをする習性を持たないゆえかもしれない。時間が経過すれば間違いなくこちらが消耗して倒れるが、それにしても、これではただ殺されにきているようなものだ。自身で望むことなく不自由な闇の奥へ向かい、他者に与えられた殺意を抱えて単純な動作で飛び込んできては血を吹くだけのそれらは――とても歪に見えた。頭では魔物がどういったものか理解していても、普段は狂暴な害獣という認識の域を出ることはない。ただ今は――“そういう風に造られたもの”なのだと、改めて感じる。
「いいの? ハール君にだいぶ狙い近いよ」
「外さないだろ」
「……ってうわっ、ハール君血みどろっ! 怖っ!」
 彼の断言に静かに視線を遣るフレイア。しかしすぐに目を丸くして率直すぎる感想を口にしたのだった。ハールは顔についた血を手の甲で拭う。
「いいよな、お前は返り血飛ばなくて」
「まぁね。……別にこういう風に使うために弓の練習したワケじゃないんだけどねぇ」
 独り言のように呟き、フレイアはハールが斬れないであろう角度から飛来する魔物を確実に討ち落としてゆく。何処に当てても問題がないとはいえ、的自体が小さい上に動いているのだからやはりその技術には目を見張るものがある。
「……すげーよな」
「何が?」
「お前」
「……え」
「イズムが認めるだけある」
「あ……そう、なんだっ」
 この状況だというのに、それでも弾んだ声が上がる。不自然なまでに、いつも通りに。
「嬉しーなっ」
 “その事実を初めて知ったかのように”、彼女は笑った。
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