Story.8 古の殺戮者
†
「……ハール達も、始めたみたいですね」
背後から響き始めた弓を射る音、魔物の聲にイズムは呟く。
「……うん」
見上げれば、そこには眸に虚無を映した古の創造物。
「この子のなかでは……まだ、終わってないんだね」
ぽつり、と。場に似合わぬ小さな呟きがひとしずく。その白濁を見据えてリセは手のひらに白い光を浮かべた。同じ色ではあるが、反対のものだと感じさせる輝き。自分の現出する魔力に劣らぬ大きさと攻撃魔法として使役するに十分な眩さに、イズムは瞠目する。
「今度こそ本当に、眠らせてあげよう」
憐憫揺れる穏やかとも形容できる瞳に映るのは、それとは相反する、強い光。
「リセさん……」
「そんなの、悲しいよ」
魔物にさえ向けられる優しさ。しかしそれによってもたらされるものを考えると、自身でも気付かぬうちに冷めた笑みが浮かんだ。
(末恐ろしいですねぇ)
そして彼もその手に蒼を灯す。竜が、鋼の爪を振り上げた。
「……来ますよ!」
瞬間。五本の鉛色の鋭い剣が二人の頭上から降り下ろされた。その一拍前にイズムが、僅かに遅れてリセも反対側へ飛ぶ。轟音とともに盛大な石の飛沫を上げ、石灰石の地面が抉られた。濁った土煙が立ちのぼり辺りを一瞬にして薄い灰で埋め尽くす。
「イズム君、大丈……――ッ!?」
眼前に爪先。砂埃の向こうから不意に突き出されたそれの小さな傷、付着した土すら視認できる距離にリセは息を呑む。銀鱗に覆われた前足が頬を掠り――かける直前、足元に転がっていた石に躓き、地面に倒れこんだ。
「リセさん!?」
「平気! 転んだだけ!」
早鐘を打つ心臓を宥める間も無く立ち上がる。薄絹の砂がかかるなか少し離れた場所に蒼い光が淡く滲んでいた。今の状態で個別に動くのが良策でないということは、こういったことに慣れていない彼女でもさすがに理解できた。イズムとの距離を確認し、明かりを目指して駆けていく。轟く咆哮。空間を震わせ、鼓膜が僅かに痛む。彼まであと数歩――
「――リセさん、こちらへ!」
瞬間、引かれる腕。痛みを覚えるほどではないものの普段の彼ならまずしないであろう力加減。驚き目を見開くと、自分達と竜の間に蒼く透明な壁が微かに湾曲して輝いていた。砂埃はそれに弾かれ二人の横をすり抜けて行く。
「イズムく……ッ」
――赤、染まる視界。暴風音と同時、突如として目に映る色彩が一色に塗り潰される。赤く輝く巨大な光球が彼の展開した防御魔法に直撃したのだと気付いたときには熱風が辺りを取り巻き、髪や衣服が嵐のなかにでもいるようにはためいていた。風圧で倒れそうになるところを必死に堪えながら、彼の魔法で護られていなかったらどうなっていたかを想像し肝を冷やす。次の瞬間には消し飛んでいるかもしれないという恐怖が波のように襲う。自身の心が生み出すそれに呑まれぬよう、リセはただそこに立ち続けることだけに意識を集中した。やがて、赤の嵐はゆっくりと収まり始める。永遠にすら感じられる熱と風の濁流であったが、実際はほんの数秒だったのかもしれない。赤い粒子が乱舞するなか、イズムは振り払うような動作で一旦防御魔法を解いた。夜空色の壁は硝子のように砕けて魔力の残骸が辺りに散乱し、はらはらと地に落ちては消えていく。
「……手荒なことをしてすみませんでした。怪我はありませんか」
「ううん……ありがとう、大丈夫」
盲目とはいえ“獲物”の居場所は嗅ぎ付けられるようだ。さすがは原初の魔物と言ったところか。竜に目を向ければ、牙が覗く口角から赤い光が漏れていた。どうやら先程の攻撃はこの魔力を吐き出したものらしいが、体力を使うのか少々息が荒い。濁った眸は闘志など欠片も感じさせず、しかし執拗なまでの殺意だけは感覚に訴えかけてくる。まるで死体が生きているような、感情が無いのに怨念だけは内に篭っているような、言いようのない気味の悪さが全身を駆け抜ける。
「さすがは初代、ですね。ご老体と言えど、負けてくださる気はないようです」
不敵に微笑って、右手に光を灯す。
「これは本気でかからないと……死にますね」
「……でも、こっちも死ぬワケにはいかないんだよね」
彼女がこの状況下でそのようなこと口にできる精神を維持していることに少々驚く。こんなことを考えている場合ではないのだが、僅かに笑む。見かけによらずなかなか思い切りの良い性格だと思っていたが、これはなかなか――
(意外と、強気ですね……)
指導者としてはこれからが楽しみだ、などと思った。
「……ハール達も、始めたみたいですね」
背後から響き始めた弓を射る音、魔物の聲にイズムは呟く。
「……うん」
見上げれば、そこには眸に虚無を映した古の創造物。
「この子のなかでは……まだ、終わってないんだね」
ぽつり、と。場に似合わぬ小さな呟きがひとしずく。その白濁を見据えてリセは手のひらに白い光を浮かべた。同じ色ではあるが、反対のものだと感じさせる輝き。自分の現出する魔力に劣らぬ大きさと攻撃魔法として使役するに十分な眩さに、イズムは瞠目する。
「今度こそ本当に、眠らせてあげよう」
憐憫揺れる穏やかとも形容できる瞳に映るのは、それとは相反する、強い光。
「リセさん……」
「そんなの、悲しいよ」
魔物にさえ向けられる優しさ。しかしそれによってもたらされるものを考えると、自身でも気付かぬうちに冷めた笑みが浮かんだ。
(末恐ろしいですねぇ)
そして彼もその手に蒼を灯す。竜が、鋼の爪を振り上げた。
「……来ますよ!」
瞬間。五本の鉛色の鋭い剣が二人の頭上から降り下ろされた。その一拍前にイズムが、僅かに遅れてリセも反対側へ飛ぶ。轟音とともに盛大な石の飛沫を上げ、石灰石の地面が抉られた。濁った土煙が立ちのぼり辺りを一瞬にして薄い灰で埋め尽くす。
「イズム君、大丈……――ッ!?」
眼前に爪先。砂埃の向こうから不意に突き出されたそれの小さな傷、付着した土すら視認できる距離にリセは息を呑む。銀鱗に覆われた前足が頬を掠り――かける直前、足元に転がっていた石に躓き、地面に倒れこんだ。
「リセさん!?」
「平気! 転んだだけ!」
早鐘を打つ心臓を宥める間も無く立ち上がる。薄絹の砂がかかるなか少し離れた場所に蒼い光が淡く滲んでいた。今の状態で個別に動くのが良策でないということは、こういったことに慣れていない彼女でもさすがに理解できた。イズムとの距離を確認し、明かりを目指して駆けていく。轟く咆哮。空間を震わせ、鼓膜が僅かに痛む。彼まであと数歩――
「――リセさん、こちらへ!」
瞬間、引かれる腕。痛みを覚えるほどではないものの普段の彼ならまずしないであろう力加減。驚き目を見開くと、自分達と竜の間に蒼く透明な壁が微かに湾曲して輝いていた。砂埃はそれに弾かれ二人の横をすり抜けて行く。
「イズムく……ッ」
――赤、染まる視界。暴風音と同時、突如として目に映る色彩が一色に塗り潰される。赤く輝く巨大な光球が彼の展開した防御魔法に直撃したのだと気付いたときには熱風が辺りを取り巻き、髪や衣服が嵐のなかにでもいるようにはためいていた。風圧で倒れそうになるところを必死に堪えながら、彼の魔法で護られていなかったらどうなっていたかを想像し肝を冷やす。次の瞬間には消し飛んでいるかもしれないという恐怖が波のように襲う。自身の心が生み出すそれに呑まれぬよう、リセはただそこに立ち続けることだけに意識を集中した。やがて、赤の嵐はゆっくりと収まり始める。永遠にすら感じられる熱と風の濁流であったが、実際はほんの数秒だったのかもしれない。赤い粒子が乱舞するなか、イズムは振り払うような動作で一旦防御魔法を解いた。夜空色の壁は硝子のように砕けて魔力の残骸が辺りに散乱し、はらはらと地に落ちては消えていく。
「……手荒なことをしてすみませんでした。怪我はありませんか」
「ううん……ありがとう、大丈夫」
盲目とはいえ“獲物”の居場所は嗅ぎ付けられるようだ。さすがは原初の魔物と言ったところか。竜に目を向ければ、牙が覗く口角から赤い光が漏れていた。どうやら先程の攻撃はこの魔力を吐き出したものらしいが、体力を使うのか少々息が荒い。濁った眸は闘志など欠片も感じさせず、しかし執拗なまでの殺意だけは感覚に訴えかけてくる。まるで死体が生きているような、感情が無いのに怨念だけは内に篭っているような、言いようのない気味の悪さが全身を駆け抜ける。
「さすがは初代、ですね。ご老体と言えど、負けてくださる気はないようです」
不敵に微笑って、右手に光を灯す。
「これは本気でかからないと……死にますね」
「……でも、こっちも死ぬワケにはいかないんだよね」
彼女がこの状況下でそのようなこと口にできる精神を維持していることに少々驚く。こんなことを考えている場合ではないのだが、僅かに笑む。見かけによらずなかなか思い切りの良い性格だと思っていたが、これはなかなか――
(意外と、強気ですね……)
指導者としてはこれからが楽しみだ、などと思った。