とうらぶlog
※ 刀剣破壊ネタを含みます
久方振りに足を踏み入れたその部屋は驚くほどに殺風景だった。
唯一の私物らしきものは几帳面に畳まれた布団の側にある小さな葛籠のみで、その葛籠ですら非力な審神者が軽々と持ててしまう程に軽い。
ほんの少し躊躇った後、審神者は葛籠の蓋を開け中を覗き込んだ。
やはり中身はほとんど無く、入っていたのは愛用していた筆や短冊、内番の際に前髪を括っていた赤い紐飾り。
そしてそれらの下に隠すようにして入れられている一冊の本だけ。
それを手に取った審神者は不思議そうに首を傾げる。
以前、歌を詠むのは好きだが物語のような長い文章を読むのは苦手だと聞いたような気がするからだ。
案の定読み終えたのは途中までだったようで開いた本の中程から栞に使っていたらしい紙切れが一枚、審神者の膝へはらりと舞い落ちてきた。
それを拾い、何の気なしに裏返した審神者の目があっ……と見開かれる。
何かの切り抜きであろうその紙に描かれているのは濃い桃色をした花の絵。
その横に見覚えのある柔らかな字で綴られているのは、きっとあの日聞けなかった花の名前。
「か、せん……」
掠れた声で部屋の主を呼ぶ小さな審神者。
その声に答えるものは、もうどこにも居ないというのに。
× × ×
あの日、歌仙兼定から密かに育てている花の話を聞いてから彼の主である審神者はどこか浮かれていた。
自分への贈り物に胸を踊らせることとは別に、歌仙と“秘密を共有している”という感覚が彼女の――臆病であるが故に常に冷静な判断が出来る、という長所を乱してしまっていたのだろう。
そしてそれは恐らく歌仙も同様だった。
その結果が、最悪の事態になってしまうなど夢にも思わぬほどに。
その日の出陣もいつもと変わらぬはずだった。
江雪左文字が率いる部隊を遠征に送り出した後、一番練度の高い部隊が最前線へと進軍する。
部隊長を務める小狐丸にいくつかの指示を出し門を出ていく一振り一振りに手を振りながら声を掛ける主。
そして最後の歌仙にも同じように声を掛けようとしたところで。
「主、実はね。あの花畑、もうすぐ見せてあげられそうなんだ」
「ほんと?」
聞けば返事の代わりにふわりと返ってくる笑顔。
やった!と幼子のように笑い返す審神者を満足気に見つめた後、小さな頭に軽く手を乗せて「それじゃあ、行ってくるよ」と皆に続いて門を潜っていく歌仙。
顔を綻ばせ、手を振りながら見送る審神者。
そんないつもと変わらぬ風景が審神者と歌仙の過ごした最後の時だった。
突然の検非違使の襲撃。
敵の本陣を落とし僅かに気を抜いていた刀剣達もいつも通りの勝利に安堵しきっていた審神者も、その襲撃に咄嗟の反応が出来なかった。
審神者の記憶にあるのは時空の歪みから現れた検非違使の一太刀が完全に無防備だった歌仙の背中を深く切り裂いたこと。
声にならない悲鳴と共に取り落とした端末の画面に映る振り向きざまに検非違使の首を飛ばした歌仙の胸を貫いた血塗れの刃。
「これが……彼岸か……」
パキン、と彼の刃生が砕ける瞬間、画面越しの歌仙が審神者向かって微笑んだような気がした。
その後、震える声の審神者により撤退命令が出された刀剣達は酷く傷付いた体で何とか本丸まで辿り着くことができた。
門を潜った先で崩れ落ち、彼ら自身も破壊と隣り合わせの危険な状況だと言うのに皆の心中にあるのは「彼女に何と言えば……」という思いのみ。
パタパタと主特有の足音が倒れ込む刀剣達の耳に聞こえてきた。
手伝いを頼んだのか本丸に待機していた全ての刀剣を従えて現れた彼女の顔は既に蒼白の域を通り越している。
息も絶えだえな刀剣達の姿を視界に入れると一瞬だけ息を飲み、しかし直ぐに強く下唇を噛むと素早く指示を飛ばして皆を手入部屋へ運び入れていく。
傷付いた全ての刀剣を手入部屋へ送ると審神者は深く息を吐いてからその場へぺたりと座り込んだ。
酷く頭が痛む。
どこか現実味が薄くふわふわとした感覚の中で、ふと何かを忘れているような気がして覚束無い足取りのまま彼の部屋へと歩を向けた。
× × ×
あるじ……と唐突に呼ばれ、審神者の体がびくりと跳ねる。
振り向いた先には普段よりも僅かに陰った顔をしている江雪の姿。
「少し、よろしいですか」
そう言われ連れてこられたのは畑だった。
ちりりと痛んだ胸を押さえながら無言で歩き続ける江雪の後を追う。
それはあの日と同じ道。
けれど、目の前にあった広い背中も手を引いてくれていた温もりも今はどこにもない。
「着きましたよ」
その声に伏せていた顔を上げ思わず息を飲んだ。
視界いっぱいに映ったのはあの時の比ではない、本当に辺り一面の花畑。
「芍薬、と言うそうです」
しゃくやく……と審神者は口中で繰り返す。
「あなたに見せたいからと、随分熱心に育てていたんですよ」
手伝うと言った江雪の申し出をやんわりと断り、ただでさえ苦手な畑仕事の合間を縫って必死に花を植える歌仙を想像して審神者の口元が自然と緩んでいく。
「芍薬の花言葉は恥じらい、はにかみ、清浄。そして、威厳 」
それは……と口を開いた審神者に珍しく浮かべた優しい笑みを向け江雪は続けた。
「清らかな心の中にある芯の強さ。あなたに似合いの花だと言っていましたよ」
瞬間、ざあっと風が吹き、丸みのある芍薬の花弁が一斉に舞い上がる。
思わず目を閉じて手の甲で目元を覆った時だった。
『待たせたね』
そう耳元で囁かれ反射的に顔を上げた。
聞き間違うはずなどない。
初期刀として、近侍として、ずっと傍らで聞き続けてきた優しい声。
「……歌仙……歌仙っ!」
審神者の目から涙が溢れて止まらなかった。
今の今までずっと、不思議と押さえ込まれてきた感情が爆発し、声を上げて泣き続ける小さな体。
そして、改めて気付くのだ。
彼女の初期刀であり、近侍であり、きっと淡い恋をしていた。
歌仙兼定という刀剣男士が、もうどこにも居ないのだということに。
[ 2015/06/01 ]
参加log/お題提供 #刀さに版深夜の審神者60分一本勝負
久方振りに足を踏み入れたその部屋は驚くほどに殺風景だった。
唯一の私物らしきものは几帳面に畳まれた布団の側にある小さな葛籠のみで、その葛籠ですら非力な審神者が軽々と持ててしまう程に軽い。
ほんの少し躊躇った後、審神者は葛籠の蓋を開け中を覗き込んだ。
やはり中身はほとんど無く、入っていたのは愛用していた筆や短冊、内番の際に前髪を括っていた赤い紐飾り。
そしてそれらの下に隠すようにして入れられている一冊の本だけ。
それを手に取った審神者は不思議そうに首を傾げる。
以前、歌を詠むのは好きだが物語のような長い文章を読むのは苦手だと聞いたような気がするからだ。
案の定読み終えたのは途中までだったようで開いた本の中程から栞に使っていたらしい紙切れが一枚、審神者の膝へはらりと舞い落ちてきた。
それを拾い、何の気なしに裏返した審神者の目があっ……と見開かれる。
何かの切り抜きであろうその紙に描かれているのは濃い桃色をした花の絵。
その横に見覚えのある柔らかな字で綴られているのは、きっとあの日聞けなかった花の名前。
「か、せん……」
掠れた声で部屋の主を呼ぶ小さな審神者。
その声に答えるものは、もうどこにも居ないというのに。
× × ×
あの日、歌仙兼定から密かに育てている花の話を聞いてから彼の主である審神者はどこか浮かれていた。
自分への贈り物に胸を踊らせることとは別に、歌仙と“秘密を共有している”という感覚が彼女の――臆病であるが故に常に冷静な判断が出来る、という長所を乱してしまっていたのだろう。
そしてそれは恐らく歌仙も同様だった。
その結果が、最悪の事態になってしまうなど夢にも思わぬほどに。
その日の出陣もいつもと変わらぬはずだった。
江雪左文字が率いる部隊を遠征に送り出した後、一番練度の高い部隊が最前線へと進軍する。
部隊長を務める小狐丸にいくつかの指示を出し門を出ていく一振り一振りに手を振りながら声を掛ける主。
そして最後の歌仙にも同じように声を掛けようとしたところで。
「主、実はね。あの花畑、もうすぐ見せてあげられそうなんだ」
「ほんと?」
聞けば返事の代わりにふわりと返ってくる笑顔。
やった!と幼子のように笑い返す審神者を満足気に見つめた後、小さな頭に軽く手を乗せて「それじゃあ、行ってくるよ」と皆に続いて門を潜っていく歌仙。
顔を綻ばせ、手を振りながら見送る審神者。
そんないつもと変わらぬ風景が審神者と歌仙の過ごした最後の時だった。
突然の検非違使の襲撃。
敵の本陣を落とし僅かに気を抜いていた刀剣達もいつも通りの勝利に安堵しきっていた審神者も、その襲撃に咄嗟の反応が出来なかった。
審神者の記憶にあるのは時空の歪みから現れた検非違使の一太刀が完全に無防備だった歌仙の背中を深く切り裂いたこと。
声にならない悲鳴と共に取り落とした端末の画面に映る振り向きざまに検非違使の首を飛ばした歌仙の胸を貫いた血塗れの刃。
「これが……彼岸か……」
パキン、と彼の刃生が砕ける瞬間、画面越しの歌仙が審神者向かって微笑んだような気がした。
その後、震える声の審神者により撤退命令が出された刀剣達は酷く傷付いた体で何とか本丸まで辿り着くことができた。
門を潜った先で崩れ落ち、彼ら自身も破壊と隣り合わせの危険な状況だと言うのに皆の心中にあるのは「彼女に何と言えば……」という思いのみ。
パタパタと主特有の足音が倒れ込む刀剣達の耳に聞こえてきた。
手伝いを頼んだのか本丸に待機していた全ての刀剣を従えて現れた彼女の顔は既に蒼白の域を通り越している。
息も絶えだえな刀剣達の姿を視界に入れると一瞬だけ息を飲み、しかし直ぐに強く下唇を噛むと素早く指示を飛ばして皆を手入部屋へ運び入れていく。
傷付いた全ての刀剣を手入部屋へ送ると審神者は深く息を吐いてからその場へぺたりと座り込んだ。
酷く頭が痛む。
どこか現実味が薄くふわふわとした感覚の中で、ふと何かを忘れているような気がして覚束無い足取りのまま彼の部屋へと歩を向けた。
× × ×
あるじ……と唐突に呼ばれ、審神者の体がびくりと跳ねる。
振り向いた先には普段よりも僅かに陰った顔をしている江雪の姿。
「少し、よろしいですか」
そう言われ連れてこられたのは畑だった。
ちりりと痛んだ胸を押さえながら無言で歩き続ける江雪の後を追う。
それはあの日と同じ道。
けれど、目の前にあった広い背中も手を引いてくれていた温もりも今はどこにもない。
「着きましたよ」
その声に伏せていた顔を上げ思わず息を飲んだ。
視界いっぱいに映ったのはあの時の比ではない、本当に辺り一面の花畑。
「芍薬、と言うそうです」
しゃくやく……と審神者は口中で繰り返す。
「あなたに見せたいからと、随分熱心に育てていたんですよ」
手伝うと言った江雪の申し出をやんわりと断り、ただでさえ苦手な畑仕事の合間を縫って必死に花を植える歌仙を想像して審神者の口元が自然と緩んでいく。
「芍薬の花言葉は恥じらい、はにかみ、清浄。そして、威厳 」
それは……と口を開いた審神者に珍しく浮かべた優しい笑みを向け江雪は続けた。
「清らかな心の中にある芯の強さ。あなたに似合いの花だと言っていましたよ」
瞬間、ざあっと風が吹き、丸みのある芍薬の花弁が一斉に舞い上がる。
思わず目を閉じて手の甲で目元を覆った時だった。
『待たせたね』
そう耳元で囁かれ反射的に顔を上げた。
聞き間違うはずなどない。
初期刀として、近侍として、ずっと傍らで聞き続けてきた優しい声。
「……歌仙……歌仙っ!」
審神者の目から涙が溢れて止まらなかった。
今の今までずっと、不思議と押さえ込まれてきた感情が爆発し、声を上げて泣き続ける小さな体。
そして、改めて気付くのだ。
彼女の初期刀であり、近侍であり、きっと淡い恋をしていた。
歌仙兼定という刀剣男士が、もうどこにも居ないのだということに。
[ 2015/06/01 ]
参加log/お題提供 #刀さに版深夜の審神者60分一本勝負
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