とうらぶlog
不思議と、月の明るい夜だった。
新たな主君より人の体を与えられてから数週。
その夜の日本号はどうにも眠ることが出来ず、その上いくら飲もうとも酔うことが出来ないという最低の気分で本丸の廊下を所在無く歩いていた。
この際、良好な仲とは言い難いへし切長谷部でも構わないから暇潰しの相手になってくれる刀剣はいないだろうかと酒瓶片手に歩いてはいるのだが。既に夜も更け、寝静まった本丸内には誰の気配も感じられない。
――どうしたもんかねぇ……。
無造作に結われた後頭部をがしがしと掻きながら内心で呟く。
ふと気付けば自分用に宛てがわれた部屋から随分と離れてしまったものだと、見慣れぬ周囲に視線を巡らせていたとき。
突然どこか楽しげな、それでいて凛と響く声が日本号の鼓膜を揺さぶった。
「おや、初めて見る顔だねえ」
幼い主の声とは違う、落ち着いた大人の女の声。
瞬時に気を張り詰めながら近付けば庭に面した硝子戸が開かれており、薄い色の着物を身に纏った女が縁側に腰掛けて小さな猪口を月に向かって掲げていた。
「あんまり良い月夜だから、お月さんと飲んでいたんだが……」
言いながら手を下ろし、こちらを向いた女の姿に日本号は自然と息を飲み込んだ。
額から鼻の下までが前掛けのような布で隠されているため顔こそ分からなかったが、月明かりを淡く纏ったその姿がひどく幻想的で美しかったのだ。
「あんたと飲むのも悪くなさそうだ」
唯一見える形の良い唇から零れた言葉に惚けていた日本号はハッとして気を引き締め直す。
そして見えないはずの視線が自身の手にする酒瓶に向けられている事に気付き半ば強がりながらも徴発的な笑みを浮かべてみせた。
「ああ、丁度俺も暇潰しの相手を探していてね」
この上なく怪しい、見知らぬ女。
だが同時に、ひどく惹かれていることも確かだったのだ。
警戒心は解かぬままどかりと女の傍らへ腰を下ろすと強気な笑みと共に純白の猪口が眼前へと差し出される。
受け取り、注がれた清酒をぐいと煽れば女の口から雰囲気に似合わぬ豪快な笑い声が零れ落ちた。
「あっはっは!いいねえ、その飲みっぷり。あんた名は?」
「天下三名槍が一本、日本号さ」
「へぇ、そりゃ凄い。浅学なあたしでも聞いたことがある名じゃないか。あんた、随分と力のある主人に仕えてるみたいだねえ」
そう言って猪口を傾けた女の雰囲気がなぜか少しばかり柔らかくなったような気がした。
しかしそれに気付いた日本号が口を開くより先に女の手が日本号の腕を掴む。
「でも、まだ甘い。怪我してるんだろ?」
言うが早いか夜着の袖を捲り挙げられて鍛えられた二の腕が露となる。
そこへぞんざいに巻かれた包帯からは僅かに血が滲んでおり女が触れると日本号の顔が苦痛に歪んだ。
「こんなもん、飲んどきゃ直る」
「馬鹿言うんじゃないよ。人の体ってのはあんたが思ってるよりも脆いんだ。痛みで眠れないのがその証拠さ」
ぴしゃりと言い切られぐっと言葉を飲み込む。
主を心配させまいと黙っていた怪我だったが女に言わせれば逆効果でしかないらしい。
これが原因で破壊され、悲しむのは誰かと強い口調で言われてしまえば日本号に反論できる言葉はない。
「刀剣に気を使わせるなんて、誰に似たんだか……」
不意に小さく、どこか自嘲気味に呟くと女は日本号の傷へ包帯の上から手を当てて息を吐きながら目を閉じた。
途端、触れられた手から女の霊力が日本号の中へ流れ込み鈍く続いていた痛みが嘘のように消えていった。
「あんた、審神者だったのか?」
驚く日本号の問いには答えず女の唇がふっと弧を描く。
と、同時に日本号の視界がぐらりと揺れ力の抜けた体が床板の上へと倒れ込んだ。
「あの子を悲しませたら、許さないからね」
急速に薄れていく意識の中で、女のその言葉だけがいやにはっきりと日本号の耳へ響いていた。
× × ×
「……う、日本号!?」
ペチペチと頬を張られる感覚で目が覚めた。
不思議と軽い体を起き上がらせて心配そうに自分を見つめる刀剣男士――陸奥守吉行へぼんやりとした視線を向ける。
「なきこがな場所で寝てるちや?」
聞かれた途端、昨晩の記憶が洪水のように蘇る。
慌てて辺りを見回すが当然女の姿はない。
無意識に落胆しながらも陸奥守へ大丈夫だということを伝えようとしたがそれよりも早く陸奥守が低く呟いた。
「それにおんし、この霊力……」
陸奥守の言葉に落としていた視線を上げそこでふと、彼の後ろにある部屋の戸が僅かに開いている事に気付く。
なぜか胸騒ぎがして驚く陸奥守を余所に戸を開け放つ日本号。
そのまま部屋の中へと入り文机の上に置かれていた写真立てを見て、ああ……と全てを理解した。
「なあ、陸奥守。この女……」
日本号の手にした写真を覗き込み陸奥守も何かに納得したようだった。
「ほりゃあ、この本丸の先代審神者ちや。今の主のまま親で、はや、この世にゃいない」
写真立ての中で笑う見知らぬ女。
けれど日本号には、それが確かに昨晩出会い、そしてもう二度と会えぬであろう彼女であると分かった。
「陸奥守よ」
「ん?」
振り返り、いつもと変わらぬ笑みを浮かべた日本号はやはりいつもと同じように酒瓶を持ち上げながら言った。
「ちょっと一杯、付き合っちゃあくれねぇか?」
そして、あいつの話しを聞かせてほしい。
言われた陸奥守はしばし目を見張り、しかしすぐに仕方ないなと胸を叩く。
日本号が出会った不思議な審神者。
彼女の近侍が語る思い出話しは二振りを探していた小さな主に見つかるまで続いたのだった。
[ 2015/11/17 ]
参加log/お題提供 #刀さに版深夜の審神者60分一本勝負
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