ぎしり、と床板を踏み締める音が静かな本丸の廊下へ響く。
　庭に面した廊下に沿って広い本丸の中をぐるりと見て回っていた審神者はとある部屋の前でふと足を止め、更にその中へ見覚えのある影を見つけて思わず目を瞬かせた。
「……歌仙」
　彼女が手にした最初の一振りであり近侍でもある刀剣男士の名を呼ぶと、それに気付いた歌仙兼定も僅かに目を見開き次いで「やあ、君か」と優しく顔を綻ばせる。
　それに笑い返しながら審神者は歌仙の側まで歩み寄り、しばし無言で見つめあってから共に同じ方向へ視線を向けてひとり言のように呟いた。
「静かだね」
「ああ、静かだ」
　そのまま黙り込んでしまえば聞こえるのは草木が風に揺れる穏やかな音ばかり。
　つい昨日まであんなにも溢れていた声は、もう一切聞こえない。
　長く続いた歴史遡行軍との戦いが終わり、存在する必要のなくなった本丸はすぐに解体されることとなった。
　せめて最後にと開かれた宴会も終わり、全ての刀剣男士達が本来あるべき姿へと戻っていった本丸で最後に残ったのが主たる審神者と常に彼女と共にあった歌仙だ。
「こうしてるとさ。何だか、初めて会った日のことを思い出すね」
　言って、照れくさそうに笑う主に歌仙も「そうだねえ……」と微笑んでみせる。
「君は、あの時から泣いてばかりだった」
　どこか遠くを見るように目を細め、当時のことを思い返している歌仙の横でばつの悪そうな顔を浮かべる審神者。
　しかしその表情は決して曇っていない。
「色々あったねぇ……」
「ああ、本当に」
　語り出したらきりがないであろう思い出をそれぞれの心中に思い浮かべながら、同時に別れの時が迫っていることも思い出す。
「ねぇ、主」
　不意に歌仙が審神者の方へ向き直り、審神者もそれにならうのを待ってから初めて見せるとろけるような笑顔で、言った。
「僕はね、ずっと君が好きだったんだよ」
　主としてではなく、一人の女性として。
　それを聞いた審神者は驚きに目を見開いてから、少し困ったように答えを返す。
「あーあ、先に言われちゃった」
　最後くらい、主らしくしたかったのにな。
　僅かに頬を染めながら精一杯強がって笑う主の姿に歌仙は思わず吹き出してしまい。つられた審神者も笑い出し、そのまましばらく声を出して笑いあっていた。

「さて、と」
　しばし笑い合った後、審神者は少しだけ顔を引き締めて改めて正面の刀剣男士へと向き直る。
「そろそろ、行くね」
　背筋を伸ばし、自分の顔を真っ直ぐに見上げる審神者の姿に歌仙は思わず目を細める。
　いつの頃からか、ずっと焦がれてきた主の凛とした佇まいが酷く眩しく、同時にとても誇らしいと感じた。
「ああ、そうだ……」
　呟くなり、徐に胸元の飾りを取って審神者の髪へと飾る歌仙。
　餞別だよ、と言われたそれに軽く手を触れてうん！と笑った小さな審神者。
　そのまま審神者は部屋の出口へと歩を進め、一瞬だけ躊躇ってからずっと決めていた別れの言葉を口にした。
「歌仙！今までありがとう！」
「こちらこそ。今までありがとう、主」
　最後に笑い合ってから、審神者は最愛の近侍へ背を向けた。
　牡丹の飾りを風に揺らし、真っ直ぐ前を向いて歩く彼女の目から涙が一筋、つうと零れて頬をつたう。
　「さようなら」は言わないと決めていた。絶対に泣かないと決めていた。そして胸の奥底に、僅かな希望も抱いている。
「またね」
　臆病だった小さな主は、眩い光に抱かれるように姿を消した。
　それと時を同じくして、彼女を慕う刀剣男士も本来あるべき姿へとかえっていった。
　いつかどこかで、また出会えることを信じて。


[ 2015/07/31]
参加log #刀さに版深夜の審神者60分一本勝負
お題提供：thx.サンタナインの街角で