最初は、ほんの戯れのつもりだった。
　いつものように手入れ部屋の前で泣き疲れて眠る主を見つけ、近くの部屋へと運び入れる。
　敷いた布団に小さな体を横たえてそのまま暫く無防備な寝顔を見つめていると、不意に主が体を捩りその拍子に長い髪が一房、顔の上へかかってしまった。
　本当に幼子のような人だと笑い整えてやろうと髪を手にしたところでふと思い立つ。
　よく眠っている主を起こさぬようにゆっくりと、手にした髪に軽く唇を触れさせて心中で何度も彼女への思いを反芻させる。
　もし許されるのなら、今すぐにでもその小さな体を抱きしめてしまいたい。
　我ながら過ぎだ願望だと自嘲気味に口角を歪ませて閉じていた目を再度主の寝顔へ向ける、と。
「か……せん……」
　驚きに見開かれた視線の先で、顔を真っ赤に染めた主が僅かに体を震わせながらこちらを呆然と見上げていた。
「っ、ある……！」
　名を呼び終わる前に手の中の髪がするりとそこから離れていく。
　起き上がり、体の前で掛け布団を握り締める主の姿に「ああ、やってしまった」と少しばかりの絶望感を覚え一度唇を引き結んでから「すまなかったよ」と頭を下げた。
「不快な思いをさせてしまったね」
　言って、痛む胸に耐えきれず顔を伏せれば不意にその頬へ小さな手が遠慮がちに添えられる。
「……あやまらないで」
　彼女の体躯と同じような小さく儚い声色がふわりと頭上から降ってきた。
「少し、驚いちゃったけど、嫌な気はしてないの。むしろ……その……」
　嬉しかった。と、消え入るように耳朶を打った彼女の声に自身の中で何かが弾けたような気がした。
　すっと伸ばした手のひらで主の長い髪に触れる。
　先程と同様に手にした一房に口付けて、朱色に染まった主の顔を真っ直ぐに見据えて口にした。
「主、僕は、君を……」
　内より溢れた熱く甘い感情は、それでも酷く心地のよいものだった。


[ 2015/07/11 ]
参加log/お題提供 #深夜の真剣文字書き60分一本勝負