SS集 ―ONE PIECE―
水平線の彼方までを覆い尽くす黒い海。
闇が支配する夜の世界で、空に浮かぶ小さな満月が己の存在を主張する。
水面に歪んで映し出される月光は朧げで、海に浮かぶ船を申し訳程度に照らしている。
珍しく海上に浮上し停泊したポーラータング号の船尾では、ローが紫煙をくゆらせているというこれまた稀有な光景が広がっていた。
「それ、おいしいの?」
私はそう尋ねながら、手摺りにもたれて静かに海を眺めているローの隣に立った。
ローは指の間に煙草を挟み、吸い込んだ煙を吐き出した。
「いや。こんなの体を蝕むだけの毒物だ、うまいわけがねェ」
「言ってることと口に咥えてるものに矛盾が生じてると思う」
不味くても健康にいいなら。害があっても極上の舌触りなら。
それであるならまだ納得顔になるのだが、ローの返答はデメリットしか出てこない。
クルーの中で煙草を嗜む者はおらず、ローも例外ではない。
一年に一度だけ、たった一本に火を点け、ゆっくりと味わう。
それの理由を知るのはロー一人ではあるものの、弔いの為であるというのはなんとなくだが察してはいた。
皆、口にしないだけだ。
「大人になればこれのよさもわかると思ってたんだがな」
その言葉に込められる感情に、色はなかった。
憂いでもなければ、歯がゆさがあるのでもなく、ただ事実を告げるだけの口は小さな動きしか見せてこない。
物思いにふけることはあれどどこか淡白なのは、弔っている姿とは相反するようだった。
しかしながら、愛煙者でもないのに煙草を指に挟む姿が様になる男だ。
まるで昔から日常的に吸い、手に馴染んでいるかのよう。
一体誰を真似ているというのか、姿形は浮かばない。
口から吐いた息は白煙と共に空へと昇り、闇の中に溶けていく。
私の体は吸い込まれるようにローの体と密着し、ちょっと背伸びして、煙草をふかしてすぐの唇と自身のを重ねた。
舌こそ絡めなかったが、唇を通してほろ苦い煙草の味と匂いがした。
触れる程度に留め距離をとると、なんの脈絡もなく突然キスをされても無表情を貫くローの顔がはっきりと見えてきた。
「苦いだろ」
「うん」
正直、煙草は苦手だ。
臭いし、不味いし、吸いたいとは微塵も思わない。
ローは呆れたように吐息をつきながら煙草の端を指で弾き、灰を海に落とした。
「わかってんならなんでいつもこのタイミングなんだ。去年といい、一昨年といい……煙草嫌いなくせによ」
「ローだって、吸えないなら吸わなきゃいいのに」
嗜好品にケチをつけて無理に吸う必要だってキスする必要だってない。
それでもやめないのは、それが大した障害でもないからだ。
嫌いだからといってそれが理由にはならないし、イコールにもならない。
それだけの話だ。
「寿命縮めたいなら止めないけどさ」
「死にたがりみたいに言ってんじゃねェ」
命を投げ出すような言い草が気に食わなかったか、ローはこの時初めて不服そうな顔を向けた。
「今死んだら、おれの生きてる意味がなくなっちまうだろ」
ローは独り言にも近い声量で呟いた。
広大な海と夜空に溶け込み、だけど感情を乗せた言葉はいつまでも耳に残る。
悲痛な叫びを超える恨みが、誰に向けているのかもわからない殺意が、その小さな声に込められていた。
若干の恐怖に煽られながらも、その金色の目に映し出す誰かを知りたいと思ってしまう。
「お前も、おれの船に乗ったからにはそう易々と死ねると思うなよ」
「アイアイ、肝に銘じますよっと」
一年に一度だけ味わう煙草の味。
きっと来年も、ローはこの日の為に一箱の煙草を購入し、一本だけに火を点ける。
そして、思いを馳せるその味を確かめたくて私はまた彼にキスをするのだ。
いつか彼の脳裏にある、煙草を嗜んでいた人のことも知れるだろうか。
私は形を失っていく煙草の灰を見守りながら、ローの横顔を見つめていた。
...Fin
闇が支配する夜の世界で、空に浮かぶ小さな満月が己の存在を主張する。
水面に歪んで映し出される月光は朧げで、海に浮かぶ船を申し訳程度に照らしている。
珍しく海上に浮上し停泊したポーラータング号の船尾では、ローが紫煙をくゆらせているというこれまた稀有な光景が広がっていた。
「それ、おいしいの?」
私はそう尋ねながら、手摺りにもたれて静かに海を眺めているローの隣に立った。
ローは指の間に煙草を挟み、吸い込んだ煙を吐き出した。
「いや。こんなの体を蝕むだけの毒物だ、うまいわけがねェ」
「言ってることと口に咥えてるものに矛盾が生じてると思う」
不味くても健康にいいなら。害があっても極上の舌触りなら。
それであるならまだ納得顔になるのだが、ローの返答はデメリットしか出てこない。
クルーの中で煙草を嗜む者はおらず、ローも例外ではない。
一年に一度だけ、たった一本に火を点け、ゆっくりと味わう。
それの理由を知るのはロー一人ではあるものの、弔いの為であるというのはなんとなくだが察してはいた。
皆、口にしないだけだ。
「大人になればこれのよさもわかると思ってたんだがな」
その言葉に込められる感情に、色はなかった。
憂いでもなければ、歯がゆさがあるのでもなく、ただ事実を告げるだけの口は小さな動きしか見せてこない。
物思いにふけることはあれどどこか淡白なのは、弔っている姿とは相反するようだった。
しかしながら、愛煙者でもないのに煙草を指に挟む姿が様になる男だ。
まるで昔から日常的に吸い、手に馴染んでいるかのよう。
一体誰を真似ているというのか、姿形は浮かばない。
口から吐いた息は白煙と共に空へと昇り、闇の中に溶けていく。
私の体は吸い込まれるようにローの体と密着し、ちょっと背伸びして、煙草をふかしてすぐの唇と自身のを重ねた。
舌こそ絡めなかったが、唇を通してほろ苦い煙草の味と匂いがした。
触れる程度に留め距離をとると、なんの脈絡もなく突然キスをされても無表情を貫くローの顔がはっきりと見えてきた。
「苦いだろ」
「うん」
正直、煙草は苦手だ。
臭いし、不味いし、吸いたいとは微塵も思わない。
ローは呆れたように吐息をつきながら煙草の端を指で弾き、灰を海に落とした。
「わかってんならなんでいつもこのタイミングなんだ。去年といい、一昨年といい……煙草嫌いなくせによ」
「ローだって、吸えないなら吸わなきゃいいのに」
嗜好品にケチをつけて無理に吸う必要だってキスする必要だってない。
それでもやめないのは、それが大した障害でもないからだ。
嫌いだからといってそれが理由にはならないし、イコールにもならない。
それだけの話だ。
「寿命縮めたいなら止めないけどさ」
「死にたがりみたいに言ってんじゃねェ」
命を投げ出すような言い草が気に食わなかったか、ローはこの時初めて不服そうな顔を向けた。
「今死んだら、おれの生きてる意味がなくなっちまうだろ」
ローは独り言にも近い声量で呟いた。
広大な海と夜空に溶け込み、だけど感情を乗せた言葉はいつまでも耳に残る。
悲痛な叫びを超える恨みが、誰に向けているのかもわからない殺意が、その小さな声に込められていた。
若干の恐怖に煽られながらも、その金色の目に映し出す誰かを知りたいと思ってしまう。
「お前も、おれの船に乗ったからにはそう易々と死ねると思うなよ」
「アイアイ、肝に銘じますよっと」
一年に一度だけ味わう煙草の味。
きっと来年も、ローはこの日の為に一箱の煙草を購入し、一本だけに火を点ける。
そして、思いを馳せるその味を確かめたくて私はまた彼にキスをするのだ。
いつか彼の脳裏にある、煙草を嗜んでいた人のことも知れるだろうか。
私は形を失っていく煙草の灰を見守りながら、ローの横顔を見つめていた。
...Fin
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