SS集 ―進撃の巨人―
ゆらりゆらり。蝋燭に灯った小さな光が僅かな風でぐにゃりと歪む。壁に照らされた影は二つ。男女が夜を共にする時は寝台の軋む音や女の甘い声が漏れ出るものだが、今宵その部屋から聞こえてくるのは実に歪なものだった。
「あ......ぅっ、ァァッ」
俺は指に込める力を強め、真下にいる彼女を冷たく見下げながら掠れた呻き声を聞いていた。気道を潰された彼女の顔色は始めの時は紅潮していたのだが、いよいよ酸素が体を巡らなくなったか段々と蒼白に変わっていく。
恐らく、ここだ。俺は狙いをつけ、彼女の首に巻きつけていた手をぱっと放す。彼女は反動で胸郭を大きく跳ね上げてむせ返り、呼吸を再開した。
「はぁっ! うゥっ! はっ、はっ、はっ……」
俺は彼女に跨ったままその様子を眺めていた。彼女の呼吸はまだ乱れていたが顔色は紅かかって肌の美しさが戻り、だがその口元は不気味な程に吊り上がっていた。
「ああ……今のは、本当に苦しかった。もう少しで死んでいたかもしれません」
「そうかよ」
下から恍惚な表情を向けられ、俺は目を逸らしながら彼女から退いた。
「なあ、こんなことの何が楽しいんだ?」
彼女と“こんな関係”を続けて数ヶ月になる。自由の翼を背負っている時は上司と部下に。それを脱いでしまえばただの男女。肌を重ね合い、快楽で寂しさを埋める、そんなよくある関係。加えて、彼女の性癖に付き合わされるのも頻度は少ないが同じ月日が経つ。行為の最中に「首を絞めて」と初めてお願いされた時は、萎えてしまってしばらく勃たなくなった。(彼女の願いだけは一応叶えた)
関係は続いているが、しかしながらいつまで経っても人の首を締めるというのは慣れないものだ。俯いて見えた己の手は微かに震え、怯えている。
「肺に空気が入る瞬間が、解放感といいますか、爽快ともいうのか、すごく、生きた心地がするんです」
「下手すりゃ死ぬぞ。俺にはその加減がわからねぇから」
気を失ってしまう寸前まで、死ぬか生きるかの瀬戸際まで追い込まないとその爽快感とやらは生まれないらしい。緊張感を伴い、いつか本当に殺してしまうのではないかと臆病になる自分がいる。人の死体は見慣れたものだが、見たいものとは程遠い。そんな心境を毛程も憂う気もないか、彼女は快活に笑った。
「兵長に殺されるなんて、それはそれでご褒美かも」
「俺を殺人犯にするつもりか?」
しかも、ここは俺の私室。寝室で縊死している死体が誰かに発見されでもしたら、真っ先に疑われるのは俺だ、勘弁願いたい。それが例え冗談であったとしても、俺にはとても笑えやしない。
「兵長、もう一回、お願いします。今度は、もっと激しくしてほしいです」
手をもじもじしながら、可愛らしい声で彼女がおねだりする。俺は彼女を再び組み敷いて無防備な足を持ち上げた。困惑した彼女の目が少しだけ揺れる。
「あの、そっちじゃなくて」
「今度は俺の番だ」
一人だけ快楽に堕ちて満足するなど、平等ではない。彼女の官能を満たす行為は特殊すぎるのに対し、俺はもっと単純だ。不満げな顔を向けられるも、強引に一つに繋がって中を刺激してやれば満更でもないような蕩けた目が返ってくる。所詮、男と女。身体は正直だ。だが、彼女との行為の最中は、一度として目と目が合わさることはない。俺はずっと彼女のことだけを見ているのに、不思議なくらい、いつまで経っても。いや、不思議でもないことくらい、本当はわかっているのだが。
彼女は小さく喘ぎながら手を伸ばした。俺の手首を掴んで足から剥がし、首に誘導する。やはり彼女には、これだけでは物足りなくなるらしい。俺は今度こそ彼女の意を汲んで、その細い首に指一本一本を丁寧に密着させ、ゆっくり力を加えていった。
「あ、ガッ……」
酷く苦しそうなのに、逃れることはない。自然と溢れる涙を零しながら、何度も何度も、死を味わう。ほとんどが呻き声にしかならない中、一つだけ聞き取れた言葉がある。それは、俺ではない誰かの名前。かつて、彼女が見つめていた者。交わされない目線の先に、今は彼女にだけ見えている者。それの存在が声にして出された直後、俺は咄嗟に手の力を緩めた。彼女の顔を覗き込むが、やっぱり彼女は俺を見てはいなかった。
「ああ、また……死に損なった」
彼女の虚ろな目線は天井に注がれていた。そこには誰もいないのに、天井よりもずっと高く、遥か遠くにいってしまった愛した人を求めるように、優しく、寂しく。
俺は静かに見守ることしか出来なかった。また首を絞めてやればいいのか、零れる涙を拭ってやればいいのか、優しい言葉を紡げばいいのか。彼女を救う方法を、俺は知らない。きっと生涯知らないままになるだろう。俺には己の慰め方ですら、見つからないのだから。
...Fin
「あ......ぅっ、ァァッ」
俺は指に込める力を強め、真下にいる彼女を冷たく見下げながら掠れた呻き声を聞いていた。気道を潰された彼女の顔色は始めの時は紅潮していたのだが、いよいよ酸素が体を巡らなくなったか段々と蒼白に変わっていく。
恐らく、ここだ。俺は狙いをつけ、彼女の首に巻きつけていた手をぱっと放す。彼女は反動で胸郭を大きく跳ね上げてむせ返り、呼吸を再開した。
「はぁっ! うゥっ! はっ、はっ、はっ……」
俺は彼女に跨ったままその様子を眺めていた。彼女の呼吸はまだ乱れていたが顔色は紅かかって肌の美しさが戻り、だがその口元は不気味な程に吊り上がっていた。
「ああ……今のは、本当に苦しかった。もう少しで死んでいたかもしれません」
「そうかよ」
下から恍惚な表情を向けられ、俺は目を逸らしながら彼女から退いた。
「なあ、こんなことの何が楽しいんだ?」
彼女と“こんな関係”を続けて数ヶ月になる。自由の翼を背負っている時は上司と部下に。それを脱いでしまえばただの男女。肌を重ね合い、快楽で寂しさを埋める、そんなよくある関係。加えて、彼女の性癖に付き合わされるのも頻度は少ないが同じ月日が経つ。行為の最中に「首を絞めて」と初めてお願いされた時は、萎えてしまってしばらく勃たなくなった。(彼女の願いだけは一応叶えた)
関係は続いているが、しかしながらいつまで経っても人の首を締めるというのは慣れないものだ。俯いて見えた己の手は微かに震え、怯えている。
「肺に空気が入る瞬間が、解放感といいますか、爽快ともいうのか、すごく、生きた心地がするんです」
「下手すりゃ死ぬぞ。俺にはその加減がわからねぇから」
気を失ってしまう寸前まで、死ぬか生きるかの瀬戸際まで追い込まないとその爽快感とやらは生まれないらしい。緊張感を伴い、いつか本当に殺してしまうのではないかと臆病になる自分がいる。人の死体は見慣れたものだが、見たいものとは程遠い。そんな心境を毛程も憂う気もないか、彼女は快活に笑った。
「兵長に殺されるなんて、それはそれでご褒美かも」
「俺を殺人犯にするつもりか?」
しかも、ここは俺の私室。寝室で縊死している死体が誰かに発見されでもしたら、真っ先に疑われるのは俺だ、勘弁願いたい。それが例え冗談であったとしても、俺にはとても笑えやしない。
「兵長、もう一回、お願いします。今度は、もっと激しくしてほしいです」
手をもじもじしながら、可愛らしい声で彼女がおねだりする。俺は彼女を再び組み敷いて無防備な足を持ち上げた。困惑した彼女の目が少しだけ揺れる。
「あの、そっちじゃなくて」
「今度は俺の番だ」
一人だけ快楽に堕ちて満足するなど、平等ではない。彼女の官能を満たす行為は特殊すぎるのに対し、俺はもっと単純だ。不満げな顔を向けられるも、強引に一つに繋がって中を刺激してやれば満更でもないような蕩けた目が返ってくる。所詮、男と女。身体は正直だ。だが、彼女との行為の最中は、一度として目と目が合わさることはない。俺はずっと彼女のことだけを見ているのに、不思議なくらい、いつまで経っても。いや、不思議でもないことくらい、本当はわかっているのだが。
彼女は小さく喘ぎながら手を伸ばした。俺の手首を掴んで足から剥がし、首に誘導する。やはり彼女には、これだけでは物足りなくなるらしい。俺は今度こそ彼女の意を汲んで、その細い首に指一本一本を丁寧に密着させ、ゆっくり力を加えていった。
「あ、ガッ……」
酷く苦しそうなのに、逃れることはない。自然と溢れる涙を零しながら、何度も何度も、死を味わう。ほとんどが呻き声にしかならない中、一つだけ聞き取れた言葉がある。それは、俺ではない誰かの名前。かつて、彼女が見つめていた者。交わされない目線の先に、今は彼女にだけ見えている者。それの存在が声にして出された直後、俺は咄嗟に手の力を緩めた。彼女の顔を覗き込むが、やっぱり彼女は俺を見てはいなかった。
「ああ、また……死に損なった」
彼女の虚ろな目線は天井に注がれていた。そこには誰もいないのに、天井よりもずっと高く、遥か遠くにいってしまった愛した人を求めるように、優しく、寂しく。
俺は静かに見守ることしか出来なかった。また首を絞めてやればいいのか、零れる涙を拭ってやればいいのか、優しい言葉を紡げばいいのか。彼女を救う方法を、俺は知らない。きっと生涯知らないままになるだろう。俺には己の慰め方ですら、見つからないのだから。
...Fin
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