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SS集 ―鬼滅の刃―

それは、紛れもなく恋だった。
意識し始めた頃は、ただ見ているだけでよかった。
声を聞けるだけでよかった。
それは今でも変わらないのに、心の中ではもう一歩を踏み出せたら、と欲求を抑えきれなかった。
そんな時だ。彼、煉獄先生に、彼女はいないという最高に有意義な情報を得られたのは。
情報元は隣のクラスの女子生徒であり、怪しめば信憑性は薄くも思われる。
だが先生本人がそう言っていたという発言は、言質を引き出したも同然だ。
あの煉獄先生が、嘘をつけるタイプではないのは誰の目でもわかる。
例え、仮に、万が一、彼女がいたとしても、尊敬し世話になっている先生に対する感謝の意、ということにすればいい。
そんな言い逃れを考えながら、私は目の前のショーケースに張りついていた。

日曜午後。大型ショッピングセンター内にあるスーツ専門店に女子高生がいることに、場違いじゃないか、変な目で見られるのではないかと周りの目が気になって仕方がなかった。
だがそれも初めのうちに留まり、若そうな男女もいれば子連れの親子も見かけている。
店員はニコニコしながら丁寧に接客をしてくれて、足を踏み入れるまでの葛藤はなんだったのだろうと拍子抜けをしたものだ。

今日ここを訪れた目的は煉獄先生への贈り物、誕生日プレゼントを購入するためであった。
彼女がいないという情報を伝達してくれた女子生徒は煉獄先生の誕生日まで入手しており、崇め奉りたいくらいには感謝した。
しかし、問題はプレゼントだ。
友人へ贈る時でさえ悩むというのに、大人の男性へ宛てるとなると未知の領域だ。
この際食べ物でもよかったのだが、消費されるものよりかは物として残る形のあるものにしたかった。
ショーケースに並ぶネクタイピンを見つけ、これなら普段身につける物として重宝するのではないかと考えた。
シンプルなものから動物をモチーフにした可愛らしいものまで種類は豊富で、それがより悩ませる要因でもあった。
そもそも生徒からのプレゼントを受け取ってくれるのだろうかとか、生徒指導のぼっち飯教師に見つかって取り上げられたらどうしようとか、渡すまでの過程に難題が立ち塞がっていた。
急に不安がまとわりつき、ガラスに反射する自身の顔に陰りが映る。
ショーケースを挟んだ向こう側に立つ人の姿を視界の端に認め、顔を上げた。
長考するばかりで店に入り浸る客に、痺れを切らした店員が催促しにきたのだと思っていた。

「やあ!奇遇だな!」

そこにいたのは店員ではなく、頭に浮かべていた煉獄先生本人だった。
校外で出会ったこともさることながら、声の大きさも含め驚愕した。ビクッと肩が上下し、小さな悲鳴が上がる。

「ビッ……クリしたぁ。ぐ、偶然ですね」
「一人で買い物か?」
「はい。先生は彼女とですか?」
「そうだとよかったんだがな。残念ながら俺も一人だ」

そうだとよかった。肩を竦めながらのその返答を聞くに、本当に彼女はいないのだろう。
出会いは突然だったが、さりげなく探りを入れる言葉が咄嗟に出てきた自分の口はなかなかのファインプレーだ。

「にしても、この辺りは男物のようだが」

煉獄先生は店舗をぐるりと見渡し、不思議そうな顔をした。
それもそのはず、ここはメンズ専門の店だ。
女子高生が身に着けるようなアイテムは一つもない。
となれば、理由は限られる。

「父へのプレゼントか!」
「え、えっと」
「素晴らしいことだ!喜ぶに違いない!」

贈る相手を父だと疑わず、煉獄先生は話を続ける。

「父の日は来月だな。もう準備をしているのか」
「いえ、これは誕生日プレゼントです」
「もうすぐなのか?」
「今月の、10日です」
「ほお、偶然だな。俺と一緒だ」
「わっ、そうなんですね。ホント偶然~」

知り得ていることを惚けて笑顔を取り繕うが、頬がピクピクと痙攣した。
悟られないようにと手で目から下を覆い、なんとか隠し通す。
煉獄先生はショーケースに目を落としながら訊ねる。

「何をプレゼントするんだ?」
「先生には内緒です!!」
「そ、そうか」

本人に言えるはずもなく、思わず声を張り上げた。
あまり出したことのない大声に、煉獄先生も珍しく怯んだ。

「でも、喜んでくれると嬉しいなって思ってます。とっても……大好き、なので」
「父思いなのだな」
「私の気持ちは、本人にはあんまり届かないみたいですけど」
「そんなことはない。想いを込めてプレゼントすれば、きっと伝わる」
「そうだといいです」

話の調和を擦り合わせながら、想いを伝えられない脆弱な自分自身に痛みが刺す。

「じゃ、気をつけて帰るんだぞ」
「はーい」

平然とした表情を崩さないようにして、去っていく煉獄先生の背中を見送った。
姿が見えなくなった後でショーケースに目を落とし、よし、と意気込む。
姿勢を正して店内に目を配る店員に向かって、勇気を出して声をかけた。




当日、手の平ほどのレザー調のケースを握りしめた私は職員室へと足を運んでいた。
時刻は正午、生徒も教員も昼休憩の時間帯だ。
食堂に向かう煉獄先生の姿を確認して、今のうちにと目的のデスクに一直線に進み、プレゼントをさっと置いてさっと逃げ去った。
何事もないかのように装い教室に戻る。
差出人不明のケースが知らぬ間にデスクにあるのも不審がられるのではないかと考え直してもみたが、今になって引き返しても煉獄先生と鉢合わせてしまうと危惧して戻るに戻れない。
そう高いものでもないし、捨てられたらそれはそれで、と潔く諦めることも肝心だろう。
自己満足にしかならないようなことをしている気さえしたが、どう足掻いても今更としか捉えられなかった。

昼休み後の授業中、どこか上の空でいた私は頬杖をつきながら黒板や窓の外に視線を泳がせていた。
窓際の席は日当たりがよく、満腹でもあるが故に眠気が襲う。
先生が黒板に向き合っている間に校庭に目を向けると、日差しを浴びて煌びやかに輝く金色の髪が揺れるのが見えた。
自身の授業が組み込まれていない時間なのか、煉獄先生は体育の授業中の生徒に交じり、サッカーをしていた。
意気軒昂と溢れ出る盛んな様子を観察していると、煉獄先生がふと校舎側に首を向けた。
遠目なのになんとなく目が合っているような気もしたが、確信はなくただぼうっとその立ち姿を眺めていた。
煉獄先生の顔がさらにパッと明るくなり、こちらに向けて手を振るまでは。

「ひぇっ」

気づかれていることを察した私は窓枠から身を隠そうと咄嗟に頭を伏せた。
隣のクラスメイトに不思議そうに見られ、なんでもないことを示そうと苦笑いで返す。
眠気なんてものは一気に吹き飛び、心臓はバクバクと脈打っていた。
恐る恐る頭の高さを戻して外を見てみると、煉獄先生はまだこちらを凝視していた。
また手を振られたので、控えめに振り返してみる。
すると今度は自身の胸の方に指を差し、そこには私が先日購入した、先生のいぬ間に間接的に渡したネクタイピンが付けられていた。
煉獄先生はニコニコしながら、声には出さず唇だけを動かした。
口の動きを辿り、紡がれる言葉を知る。
あ・り・が・と・う、とはっきりとした言葉に、ぼわっと頭に血が昇る感覚がした。
その時、殺気にも近い不穏な空気が肌を通して感じられ、ゾワゾワとした寒気が襲う。
首を前に戻してみれば、目の前には不死川先生が仁王立ちして私を見下ろしていた。
血走った目はギラギラと光り、手には丸めた教科書が握られていた。
ゆっくりと振り上げられる教科書がスローモーションで映し出される。
頭を叩かれると恐怖したが机に落とされるのみで、だがそれでもパァンッと激しい打擲音が耳の鼓膜を震わせた。

「テメェ、何度も呼んでるのが聞こえなかったのかぁ?俺を無視するとはいい度胸してるじゃねぇか」
「すっ、すみません!」
「前に出てこの問題解いてみろぉ」
「は、はい……」

ビクビクと怯えつつ立ち上がる。
不死川先生がくるりと踵を返して教壇に戻る隙に窓の外をちらりと見た。
一部始終を外から見ていた煉獄先生が、ごめんねと言うように両手を顔の前で合わせていた。
胸元で日の光に反射するネクタイピンの輝きに、叱られて萎んでいた心がぷっくりと丸みを帯びて膨らんでいく。

少しだけ、近づけた気がする。
前進できたという感触を捉え、ついつい口元が綻ぶ。
前に立たされてるのになんでこんなにニヤニヤしてやがるんだ、とでも言いたげな不死川先生の呆れ返る視線を浴びながら、私は胸を躍らせていたのだった。






...終


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