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SS集 ―鬼滅の刃―

こんな日に体育なんて。と、ずくずくと痛む下腹部を擦りながら対象物のない何かを恨む。
今日は朝から雨模様が広がり、どんよりとした重苦しい曇天が空を覆っていた。
体育の授業はグラウンドでの予定を変更し、体育館でバスケットボールとなった。
だん、だん、とボールを弾くドリブルの音がリズムを維持してビートを刻むが、今はその音も床の振動も煩わしい。
授業前に内服した痛み止めが、いつもならそろそろ効いてくる頃。
シュート練習の列に並んで順番待ちをしていると、冨岡先生が酷い剣幕でまっすぐに私の方へ歩んできた。
まさか、冨岡先生が他の生徒に目を向けている間、こっそり端に座ってサボっていたのがバレたのか、と身構える。

「今日は休め。無理をするな」

そう言われ私は、え、と口だけ形作り呆気に取られた。
顔には出さないようにしていたのに、顔色が悪いと思われたのだろうか。
だが気を遣ってくれたことに甘えたくて、私は誘導されるまま冨岡先生と共に保健室へ向かった。
保健室に着くまで冨岡先生は無言だった。
口数が少ないのはいつものことで冷たい印象を与えがちだが、声を掛けてくれたことが先立って冨岡先生の背中に温かみが増しているように見えた。
保健室には他の利用者はおらず、しんと静まり返っていた。

「そこのベッドを使え」

冨岡先生は来訪者リストに私の名前を書き込みながら奥のベッドを指定する。
私は仕切り代わりのカーテンを閉め、シューズを脱いでのそのそとベッドに乗り上がった。
こてんと横になったのと同時、静かにカーテンが開けられる。
冨岡先生が中に入ってきて、私と目線を合わせるようにベッドの手前で腰を屈めた。

「薬は?飲んだのか?」
「はい、飲みました。少し休んだら大丈夫です」
「そうか。女子は大変だからな、今後痛みが酷い時は遠慮なく言え」

少々ぶっきらぼうにも聞こえるのは顔の表情に変化がないからだろう。
それでも冨岡先生にしては優しい言葉を掛けてくれているなと、普段の無愛想さにより引き立って聞こえてくる。
それに、隠していたことを見透かされた驚きは強かった。

「でも、意外でした。よく私が生理中ってわかりましたね」
「教師だからな」

それは答えとして成り立つのだろうか、と疑問だが冨岡先生からすればそれが理由になるのだろう。
私は冨岡先生の返答が少し可笑しく感じて自然と笑みを溢していた。

「これでもお前達のことはよく見てる」
「えへへ。そうみたいですね」
「あと俺が見ていないところでサボっていることとかな。バレてないと思っているやつが多いようだが」
「うわあ、それは先生、知らなくてもいいことですね」

石のように表情が固く寡黙な冨岡先生と二人きりで、こんな会話を交わすなんて普段ない。
むしろ、生徒の中では私だけなのではないかと特別感を味わえた。
意外にもよく喋るのだという新事実は今までの印象を覆し、壁が取っ払われたようだった。
冨岡先生は一度ベッドから離れ、数分後また戻ってきた。

「これで暖めるといい」

差し出したのは湯たんぽだった。
レンジで温めるタイプの湯たんぽは保健室に常備されているもので、低温火傷を防ぐ用で上からきちんと布も被せている。
そんな細かな気遣いも出来るのかと、失礼なことを考えながら受け取った。
お腹に抱くと温度がじんわりと体に移り、痛みも和らいでいく。
雨の日の少し冷える気温の時には、この温かみが身に染みた。

「ありがとうございます」
「動けるようになったら次の授業には出るように」

はいと返事をする前に、冨岡先生の手が私の頭をくしゃりと撫でた。
さっきまで湯たんぽを握っていたその手は灼けるように熱く、私の体温を急激に上昇させた。
優しく撫でられた手はほんの一瞬掠めただけでするりと離れていき、熱が遠退く。

「冷やすのはよくないんだから、普段からスカートの長さも改めろよ」

冨岡先生はこんな時にも厳格な生徒指導者らしくそう言い残し、カーテンの外側に消えていった。
足音が遠ざかり、保健室の扉がガラガラと開き、閉じられる。
深閑とした保健室に一人残された私は、はあああと情けない声を出した。

「最後のは、余計だし……」

撫でられた頭はまだ熱が籠っているようだった。
なんだか顔まで熱くて、湯たんぽなんて必要ないんじゃないかと思うくらい体は火照っている。
それでも受け取ったものを離したくなくて、私は寝たまま体を丸め、湯たんぽをぎゅっと抱きしめたのだった。






...終


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