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企画物

「結婚しよう」

唐突に発したその言葉に企みはなかった。
一切、と言えば若干の嘘にも繋がるが、九分九厘は自然と紡がれた。
この一言を伝えるのにどれだけの月日が流れたことだろう。
同じ執務室の空間で報告書を黙々と作成していた彼女は筆を止め、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

「ほっ、本当ですか、エルヴィン団長!?」
「今は二人きりなんだ。仕事のことは忘れよう」

ここには他の誰もいないし、聞き耳を立てられることもない。
堅苦しい呼び名は今は無しにして、いつものようにしてくれと頼み入れる。
彼女ははにかみながら「エル」と愛称を口にし、もじもじして指を絡めて弄んだ。

「今のは、プロポーズ、よね。言うならもっと、こう…」
「ああ…こう見えても俺は恥ずかしがりなんだ。大事なことは一度しか言えなくてね」

でなければ、人生の大儀とも取れる求婚を仕事場でもある執務室で、数日後に迫る壁外調査の作戦を最終確認している最中に言い出すなんてない。
普段と同じ空気でなければその一言を切り出すことは出来なかったし、これからもしなかっただろう。
しかし彼女はそんな俺を良しとせず、むくれて頬を膨らませた。

「駄目よ。聞き間違えだったら大変だから」

どうしても、もう一度言って欲しいと彼女は引かなかった。

「私はずっと待っていたの。あなたからその言葉が聞けるのを」

期待に胸も膨らませる様子に、俺はやれやれと吐息をついた。
彼女の熱意に負けたというのもあるし、反応からするに断られるという心配が消えたことも後押ししている。
俺は椅子から立ち上がり、彼女の座るソファへと歩み寄った。
そして彼女の前で片膝を着いて手を握り、安堵の気持ちでもう一度プロポーズの言葉を囁いた。
彼女の見つめる瞳が潤いを増し、俺と繋がる手に力が込められる。

「実は、指輪はまだ用意出来ていないんだ」
「ううん、いいの。私、今この瞬間が一番幸せかもしれないから」
「それは困るな。せめて式を挙げた時にそれを言って欲しいんだが」

そう言うと彼女はまた驚いて目をパチパチさせた。

「式も、挙げてくれるの?」
「そう派手なことはしてやれないが、一生に一度しかない記念日になる筈だからな。ドレスも着たいだろう?」

正直俺が彼女の純白に身を包んだ姿を見たいからではある。
彼女の脳内は結婚式で埋め尽くされたか、にこやかに目元を緩ませた。
その表情に愛しさを感じながら彼女の隣に腰を落ち着かせる。

「誓いの言葉を考えないといけないわね」
「そういうのは苦手なんだ」
「私が考えても良いならそうするけど」

参列者の前で誓いを立てるというのは式の醍醐味だろう。
細かいことは置いといて、長ったらしい誓文は性に合わない。

「君を幸せにする。俺が誓うのはそれだけだ」
「エル…」
「押し付けてばかりで申し訳ないが、君には誓って欲しいことがある。これは俺の願いでもあるんだが」
「ええ。何かしら」

なんでも誓うわ、と彼女は言う。
その言葉を鵜呑みにしたわけではないが、受け止めてくれる懐の大きさや愛情の深さは誰よりも知っているつもりだ。

「俺より先に死ぬな」

どうかそれだけは神に、いや、俺に誓って欲しかった。
人類の命よりも愛する人の命の方が大切だなんて言ってしまえば調査兵団団長なんて務まらないし公に言えはしないが、せめて彼女の方からそう誓いを立てて欲しいのだ。
どんな反応を見せるだろうかと顔を覗くと、彼女は瞳に浮かべていた涙を引っ込めて眉間を狭めていた。

「ふざけないでください」

吐き捨てるように言う彼女に、俺は茫然としていた。
彼女とは同じ調査兵団として共に戦ってきた戦友でもあり、それが始まりだ。
そこから団長と部下という関係の時も、恋仲となった今でも、彼女の盛り立つ怒りは今までに見たことがなかった。

「エルヴィン団長、見損ないました。どうしてそんな酷いことを仰るのですか…」

憤慨しているかと思えば涙声になり、口調も部下として話すものに戻っていた。
決して怒らせたくも悲しませたくもなかったし、酷なことを言ったつもりでもなかった。
ただ、長生きして欲しいと。
これまで何十人、何百人と人が死んでいく様を見届け手を合わせてきた俺ではあるが、彼女だけはそれを見るのはごめんだと、そう言ったつもりだった。
それが伝わらなかったのかと眉尻を下げると、彼女は俺の胸にそっと手の平を当てた。
俺はその上から手を被せて包み込んだ。

「聞いてくれ。俺は死ぬつもりはない」
「それは知っています。そうでは、ないのです」

彼女は怒っているのはそこではないと首を横に振った。

「私は人類の為に心臓を捧げることを誓った身ですし、団長のこともとても信頼し尊敬もしています。けど…あなたの妻となる以上、私は人類ではなく、"あなた"と生涯を共にしたいのです」

震える声で彼女は必死に語りかける。
この時俺は、結婚という契りを甘く見ていたのだと悟った。
プロポーズするのに長い年月を掛けたにしては薄っぺらい矜持しか持っていなかったのだと思い知る。

「どうして、死ぬ時は一緒にと、言ってくださらないのですか…。例えこれが叶わぬ誓いだとしても、地獄しか見てこなかった憐れみで、言葉だけでも、夢くらい見させてくださいよ…」

健やかなる時も、病める時も、富める時も、貧しい時も。
慈しみ愛し、敬う。
そして、死なば諸共。

彼女の思う結婚とは、そういうことなのだ。
即ちそれは調査兵団団長としての地位も、組織として職務を全うする兵士の立場も無視することに他ならない。

「すまない」

俺は一言そう謝って、彼女の腕を引き胸に抱いた。
そうすれば許してくれるのではないかという淡い期待も含め、彼女の望む言葉を探していた。

「誓おう。俺達は一心同体だ」
「エル、あなたが先に死んだら、死ぬのを見届けたら、私も後を追うわ」

彼女は口調を和らげ、俺の背中に腕を回した。
その回りきらない小さな細腕とじんわりと伝わる体温に愛おしさを感じ、抱きとめる腕に力を込めた。

「俺も、君が死んだら死体をこの胸に抱いて、心臓に刃を突き刺そう」

生まれと育ちは違えど、死を迎える時は一緒に。それが今日でも、明日でも。婚前に交わした二人だけの誓いに思いを馳せた。


***


「すまない」

宝石を閉じ込めたようなステンドグラスが輝きを放つ教会に、全開にした窓から風が吹き抜ける。
ぽつりと呟いたその声は、自分から発せられたものとは思えないくらいにか細く消え入りそうな声だった。
実際、冷たい風に攫われて飛んでいき、誰にも届かなかっただろう。
もちろん、目の前で眠る彼女でさえ。

美しい彼女には純白のドレスがさぞ似合う。
脳内で再生される映像では、ベールに包まれたその奥で微笑む彼女の顔があった。
俺の目に焼き付けたかったのはそんな幸せの絶頂とも取れる一幕なのに、目の前の彼女が身に着けた純白は俺が一番見たくなかったものだった。
世間ではエンディングドレスと言われるらしいが、そんなことはどうでも良かった。
どれだけ美しく着飾ろうが、彼女はもう目を開けてくれない。
笑ってはくれない。
怒ってもくれない。
声を聞かせてもくれない。
これまで何十人、何百人と見届けた筈なのに、初めて死者と向き合った気分だった。

「誓いも立てられないちっぽけな俺で、本当にすまなかった」

彼女の思う一番の幸せはプロポーズをした瞬間で止まってしまった。
その先へ繋ぐことも出来ず、彼女との約束も守れない。
壁の外で、最後の最後まで行動を共にすることは出来たが、それまでだ。
そこから先、彼女が望んだ夢は現実にはならない。
腰に下げた刃は、己の心臓を突き破り彼女を追い掛ける為には使わないと心に決めていた。
それは彼女との誓いを裏切ることにもなるのだが、彼女なら許してくれるのではないか。
いや、どうか許しい欲しいと最後の願いを込めて、深く眠る彼女の唇にキスを落とした。

「少し遅れるかもしれないが、どうか地獄で待っていてくれ。すぐにとは言えないが、俺も追い掛けよう」

恋人ではなく調査兵団団長として、人類の為に、自分自身の為にやらねばならないことが残っている。
それを片付けたら、また一緒になろう。
我が儘ですまない、と何度目か分からない謝罪を彼女に贈る。
そんな詫びなんて、と突き返されそうなものだが、同じ場所へ逝けたならその時はいくらでも怒られてやりたい。
どうか今はまだ、俺が早くそちらに向かえるように呪っていて欲しい。

棺から離れて踵を返し、教会を後にする。
深碧色のマントに刻まれた自由の翼が、ひらりと風に舞って揺らめいていた。





...FIN


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