弐 孤独を埋めて
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日差しが天辺から差し込まれる時刻になっても事務所内はカタカタというキーボードを打ち込む音ばかり響いていた。
時計ばかり気にする社員はそわそわし始め、針が十二時を差したと同時にチャイムが鳴った。
昼休憩を知らされバラバラと席を立つ人が増えていく。
私も切りのいいところで一息つき、正面の甘ちゃんのデスクを覗き込んだ。
「甘ちゃん、お昼だよ。ご飯休憩しよ?」
「話しかけないで!お昼ご飯は我慢する!そんで終わったら速攻食べて合コンに行くの!」
休憩時間になっても甘ちゃんの手は止まらない。
合コンへの熱意が冷めず、その目は真剣だ。
断りを入れられ、ちょっと残念に思いつつ席を立った。
ふらふらと事務所内を散策していた煉獄さんも移動についてきた。
「休憩か?」
「はい、社員用の食堂があるのでそこに行きます」
今日の日替わりメニューはなんだろうと、期待が膨らむ。
できるなら甘ちゃんと一緒にがよかったが致し方ない。
「今日は甘ちゃん忙しいみたいで…お話は難しそうです」
「仕方のないことだ。また機会があった時に聞いてもらえると助かる」
甘露寺蜜璃という人物について足跡を追うのはまた後日、ということになった。
社員食堂に入り、お盆におかずが入った食器を乗せていく。
日替わりは広東風麻婆豆腐だった。
後ろから顔を覗く煉獄さんが不思議そうに見つめてきたので、中国から伝わった料理であると説明した。
細かく分けると地域によって味つけも異なるので、なんとか風と呼んだりすることがあるとつけ加える。
煉獄さんからすればどれも珍しく見えるようで、なんでもないようなことでも新鮮な反応を見せた。
「さて、と…」
セルフで盛りつけるご飯と味噌汁も食べる分だけ器に移し終え、席を探す。
壁際の四人席しか空いていなかったのでそこに座ると、少し遅れたタイミングで男性職員が近づいた。
「よお白菊」
「お疲れさん」
声をかけてきたのは同じ部署で働く先輩だった。
私は軽く会釈した。
「お疲れ様です」
「隣いいか?」
「はい。どうぞ」
食堂の席は数に限りがあり、相席するのはよくあることだ。
先輩二人は私の正面の席に並んで座った。
一人が私の隣の空席を見て、珍しいな、と呟いた。
「今日は甘露寺は一緒じゃないんだな」
「甘ちゃんは仕事に追われてて。ご飯もいらないって」
「飯抜きでやっていけんのかあいつ」
「引き出しにお菓子のストックありますし、それで食いつなぐんじゃないですかね」
昼ご飯を抜いて、終業時間まで腹が持つはずもない。
甘ちゃんの胃袋の大きさは男性の比にもならないので、仕事しながら摘まみ食いする姿は容易に頭に浮かんだ。
私は先輩と日常会話を交わしつつ、二人の間の奥が気になって仕方がなかった。
先輩の背後には煉獄さんが佇み、私の方をじっと見つめていた。
その熱い視線が、何やら不満気というか、心穏やかでないような目をしている気がした。
「白菊って時々猫みたいになるよな」
先輩は突然話を割り、そんなことを言い出した。
人が動物に例えられるのはよくある話題の一つだが、突拍子もなかった。
礼儀正しく目上の人を立てるような人であれば柴犬とか、可愛らしい小さい女の子ならばリス、といったように直感的に身近な動物を挙げることが多い。
猫をイメージすると、自由だとか、のんびりしているとか、そんな印象を持つ人が当てはまるのだろうか。
自分自身そう自由に生きているつもりはないし、悠々と過ごしているつもりもなかった。
「猫、ですか。そんなの初めて言われましたよ」
「だってお前、よく何もない壁とか見つめてんじゃん」
無意識にしていた行動を指摘され、痛いくらいに心臓がドクッと跳ねた。
他人からすればなんの変哲もない壁だが、私にはその手前に見えるものがある。
今でもそれは先輩達の背後に一人見えているし声も聞こえるのだが、押し黙った。
もう一人の先輩は、ああ、と納得するように大きく頷いた。
「わかるわかる。猫みたいだよな。俺が飼ってる猫も壁見つめたまま動かねぇこと多いし」
「あれって猫にしか見えない幽霊がそこにいるってことらしいぜ」
幽霊というワードに、またも緊張が走る。
そっちの意味で猫っぽいと評されるのは複雑だった。
私は平静を装い、その誤解を解こうとした。
「やだなあ先輩、猫が何もないところを見てるのは、人間には聞こえない音を拾ってるからですよ?」
猫は人間よりも聴覚が優れ、壁の中を通る空気や水の微かな音に反応し、集中して一点を見つめることがある。
決して幽霊が見えているのではない。
先輩は、へぇと相槌した。
「猫って耳がいいのか。知らなかった」
「俺も知らなかったなあ。だから壁見てるのか」
先輩達は今まで勘違いしていた猫の不可思議な行動の意味に理解を示した。
これでこの話題は終わるだろうと、ほっと息をつく。
「じゃあ白菊が何もない空間を見てるのは幽霊が見えてるってこと?」
どうやら私は自ら墓穴を掘ったらしい。
もうその話は終わらせてほしいのだが、変に話題をズラそうとしても怪しまれると思うと下手なことは言えない。
私は後輩らしく、先輩達のイメージする私を演じた。
「そんなことないですよ。怖いこと言わないで下さいよー」
「いやいや、壁ばっか見つめて怖いのはお前の方だって」
「ぼーっとしてるだけですって。なんにも見えてませんし、幽霊なんていませんから」
こんなに必死に見えないアピールをするのは気が引けるが、見えると素直に言えるほど心は強靭でもない。
相手も幽霊体質であるなら話は別だが、そうでないなら普通の人間を演じる方が楽である。
しかしながら煉獄さんを前にして否定する自分に嫌気が差すのも事実だ。
早く食べてしまおうと、私は急いで昼食を口の中に放り込み咀嚼もたいしてせずに飲み込んだ。
食事を楽しむ余裕もなく、こってりとした味つけの麻婆豆腐でさえよく味がわからなかった。
早食いの世界選手権に出られるのではないかと自画自賛するくらい早急に食事を平らげると、先輩に一声かけるのを忘れずにその後で席を外した。
食堂を出た辺りでようやく首を絞めていたような酸欠状態から脱する。
先輩も悪気なんてないのだし気にしないでいればいいだけの話だが、煉獄さんという視覚でも聴覚でも感じられる幽霊の存在を認知しては知らんぷりなんて私には無理だった。
煉獄さんは今のやり取りにどう感じただろうか。
見えないフリをしていることは知っていても、目の前で存在を否定するような言い方をされてどう受け止めただろう。
顔を見るのも怖くて振り向けないが、背後にピッタリとくっついているのは気配でわかる。
「仲がいいのだな」
煉獄さんは穏やかな口調で私にそう声をかける。
私ばかり過剰に気にかけていると思うくらい、煉獄さんは態度を変えなかった。
それに少し安心して、私は肩の重みが和らいだ気がした。
「ああ、さっきの二人ですか?甘ちゃんと四人でご飯食べに行ったり飲みに行ったりしてるので、そこそこですね」
相席した先輩とは歳が近いのもあって職場以外での付き合いも多かった。
気兼ねなく話しやすい、相談もし易いよき職場仲間である。
振り返って、煉獄さんの顔を見上げる。
変わらず明朗快活な、朗らかな顔をしているとばかり思ってきょとんとした。
確かに瞳はこれ以上にない見開きっぷりだが、上を向いていた眉尻と口元はこの時ばかりは垂れ下がっていた。
それも一瞬のことだったので、瞬きした後にはいつもの表情に戻っていた。
声だけでは気がつかなかったが、その一瞬の侘しいような、心に穴が空いたような感情を見てしまってはこちらとしても胸が締めつけられる気分だった。
「もしかして、寂しい…ですか?」
「寂しい、か」
煉獄さん自身、その表情が示す感情をわかっていないようだった。
考えるように顎に手を添えて、うむ、と頷く。
「そうだな。そうかもしれん」
考えて答えを見つけて、それを正直に言える煉獄さんを見てまた胸が苦しくなった。
そうやって自分の思いを真っ直ぐに相手に伝えられたら、というのは常日頃から感じていることだ。
疎外感に打たれようとも、幽霊である以上は人に認知してもらえない。
楽しく会話をしている場面を見て、自分も生きていたら、とか考えたのかもしれない。
それとも、早く幽霊という存在を抜けて死者として召されたい、と思うか。
どちらにせよ返す言葉が見つからず、私は相槌を打つのに精一杯だった。
時計ばかり気にする社員はそわそわし始め、針が十二時を差したと同時にチャイムが鳴った。
昼休憩を知らされバラバラと席を立つ人が増えていく。
私も切りのいいところで一息つき、正面の甘ちゃんのデスクを覗き込んだ。
「甘ちゃん、お昼だよ。ご飯休憩しよ?」
「話しかけないで!お昼ご飯は我慢する!そんで終わったら速攻食べて合コンに行くの!」
休憩時間になっても甘ちゃんの手は止まらない。
合コンへの熱意が冷めず、その目は真剣だ。
断りを入れられ、ちょっと残念に思いつつ席を立った。
ふらふらと事務所内を散策していた煉獄さんも移動についてきた。
「休憩か?」
「はい、社員用の食堂があるのでそこに行きます」
今日の日替わりメニューはなんだろうと、期待が膨らむ。
できるなら甘ちゃんと一緒にがよかったが致し方ない。
「今日は甘ちゃん忙しいみたいで…お話は難しそうです」
「仕方のないことだ。また機会があった時に聞いてもらえると助かる」
甘露寺蜜璃という人物について足跡を追うのはまた後日、ということになった。
社員食堂に入り、お盆におかずが入った食器を乗せていく。
日替わりは広東風麻婆豆腐だった。
後ろから顔を覗く煉獄さんが不思議そうに見つめてきたので、中国から伝わった料理であると説明した。
細かく分けると地域によって味つけも異なるので、なんとか風と呼んだりすることがあるとつけ加える。
煉獄さんからすればどれも珍しく見えるようで、なんでもないようなことでも新鮮な反応を見せた。
「さて、と…」
セルフで盛りつけるご飯と味噌汁も食べる分だけ器に移し終え、席を探す。
壁際の四人席しか空いていなかったのでそこに座ると、少し遅れたタイミングで男性職員が近づいた。
「よお白菊」
「お疲れさん」
声をかけてきたのは同じ部署で働く先輩だった。
私は軽く会釈した。
「お疲れ様です」
「隣いいか?」
「はい。どうぞ」
食堂の席は数に限りがあり、相席するのはよくあることだ。
先輩二人は私の正面の席に並んで座った。
一人が私の隣の空席を見て、珍しいな、と呟いた。
「今日は甘露寺は一緒じゃないんだな」
「甘ちゃんは仕事に追われてて。ご飯もいらないって」
「飯抜きでやっていけんのかあいつ」
「引き出しにお菓子のストックありますし、それで食いつなぐんじゃないですかね」
昼ご飯を抜いて、終業時間まで腹が持つはずもない。
甘ちゃんの胃袋の大きさは男性の比にもならないので、仕事しながら摘まみ食いする姿は容易に頭に浮かんだ。
私は先輩と日常会話を交わしつつ、二人の間の奥が気になって仕方がなかった。
先輩の背後には煉獄さんが佇み、私の方をじっと見つめていた。
その熱い視線が、何やら不満気というか、心穏やかでないような目をしている気がした。
「白菊って時々猫みたいになるよな」
先輩は突然話を割り、そんなことを言い出した。
人が動物に例えられるのはよくある話題の一つだが、突拍子もなかった。
礼儀正しく目上の人を立てるような人であれば柴犬とか、可愛らしい小さい女の子ならばリス、といったように直感的に身近な動物を挙げることが多い。
猫をイメージすると、自由だとか、のんびりしているとか、そんな印象を持つ人が当てはまるのだろうか。
自分自身そう自由に生きているつもりはないし、悠々と過ごしているつもりもなかった。
「猫、ですか。そんなの初めて言われましたよ」
「だってお前、よく何もない壁とか見つめてんじゃん」
無意識にしていた行動を指摘され、痛いくらいに心臓がドクッと跳ねた。
他人からすればなんの変哲もない壁だが、私にはその手前に見えるものがある。
今でもそれは先輩達の背後に一人見えているし声も聞こえるのだが、押し黙った。
もう一人の先輩は、ああ、と納得するように大きく頷いた。
「わかるわかる。猫みたいだよな。俺が飼ってる猫も壁見つめたまま動かねぇこと多いし」
「あれって猫にしか見えない幽霊がそこにいるってことらしいぜ」
幽霊というワードに、またも緊張が走る。
そっちの意味で猫っぽいと評されるのは複雑だった。
私は平静を装い、その誤解を解こうとした。
「やだなあ先輩、猫が何もないところを見てるのは、人間には聞こえない音を拾ってるからですよ?」
猫は人間よりも聴覚が優れ、壁の中を通る空気や水の微かな音に反応し、集中して一点を見つめることがある。
決して幽霊が見えているのではない。
先輩は、へぇと相槌した。
「猫って耳がいいのか。知らなかった」
「俺も知らなかったなあ。だから壁見てるのか」
先輩達は今まで勘違いしていた猫の不可思議な行動の意味に理解を示した。
これでこの話題は終わるだろうと、ほっと息をつく。
「じゃあ白菊が何もない空間を見てるのは幽霊が見えてるってこと?」
どうやら私は自ら墓穴を掘ったらしい。
もうその話は終わらせてほしいのだが、変に話題をズラそうとしても怪しまれると思うと下手なことは言えない。
私は後輩らしく、先輩達のイメージする私を演じた。
「そんなことないですよ。怖いこと言わないで下さいよー」
「いやいや、壁ばっか見つめて怖いのはお前の方だって」
「ぼーっとしてるだけですって。なんにも見えてませんし、幽霊なんていませんから」
こんなに必死に見えないアピールをするのは気が引けるが、見えると素直に言えるほど心は強靭でもない。
相手も幽霊体質であるなら話は別だが、そうでないなら普通の人間を演じる方が楽である。
しかしながら煉獄さんを前にして否定する自分に嫌気が差すのも事実だ。
早く食べてしまおうと、私は急いで昼食を口の中に放り込み咀嚼もたいしてせずに飲み込んだ。
食事を楽しむ余裕もなく、こってりとした味つけの麻婆豆腐でさえよく味がわからなかった。
早食いの世界選手権に出られるのではないかと自画自賛するくらい早急に食事を平らげると、先輩に一声かけるのを忘れずにその後で席を外した。
食堂を出た辺りでようやく首を絞めていたような酸欠状態から脱する。
先輩も悪気なんてないのだし気にしないでいればいいだけの話だが、煉獄さんという視覚でも聴覚でも感じられる幽霊の存在を認知しては知らんぷりなんて私には無理だった。
煉獄さんは今のやり取りにどう感じただろうか。
見えないフリをしていることは知っていても、目の前で存在を否定するような言い方をされてどう受け止めただろう。
顔を見るのも怖くて振り向けないが、背後にピッタリとくっついているのは気配でわかる。
「仲がいいのだな」
煉獄さんは穏やかな口調で私にそう声をかける。
私ばかり過剰に気にかけていると思うくらい、煉獄さんは態度を変えなかった。
それに少し安心して、私は肩の重みが和らいだ気がした。
「ああ、さっきの二人ですか?甘ちゃんと四人でご飯食べに行ったり飲みに行ったりしてるので、そこそこですね」
相席した先輩とは歳が近いのもあって職場以外での付き合いも多かった。
気兼ねなく話しやすい、相談もし易いよき職場仲間である。
振り返って、煉獄さんの顔を見上げる。
変わらず明朗快活な、朗らかな顔をしているとばかり思ってきょとんとした。
確かに瞳はこれ以上にない見開きっぷりだが、上を向いていた眉尻と口元はこの時ばかりは垂れ下がっていた。
それも一瞬のことだったので、瞬きした後にはいつもの表情に戻っていた。
声だけでは気がつかなかったが、その一瞬の侘しいような、心に穴が空いたような感情を見てしまってはこちらとしても胸が締めつけられる気分だった。
「もしかして、寂しい…ですか?」
「寂しい、か」
煉獄さん自身、その表情が示す感情をわかっていないようだった。
考えるように顎に手を添えて、うむ、と頷く。
「そうだな。そうかもしれん」
考えて答えを見つけて、それを正直に言える煉獄さんを見てまた胸が苦しくなった。
そうやって自分の思いを真っ直ぐに相手に伝えられたら、というのは常日頃から感じていることだ。
疎外感に打たれようとも、幽霊である以上は人に認知してもらえない。
楽しく会話をしている場面を見て、自分も生きていたら、とか考えたのかもしれない。
それとも、早く幽霊という存在を抜けて死者として召されたい、と思うか。
どちらにせよ返す言葉が見つからず、私は相槌を打つのに精一杯だった。