何時までも変わらない
柔らかく自身を呼ぶ声が好きだった。
初めて会った時からは考えられない程に近づいた距離はそれだけの時間を共に過ごした事を現す。
今はもう抱き上げられるほど小さくもない自信の体。
けれど、元に戻ったわけでもなくただ単に成長を重ねた体は『工藤新一』の頃よりも華奢になった。
命があってこそだ、と事情を知る者は皆言う。
自分でも生きているからこそ欲を出すのだとは思う。
けれど、縮まらない差は何時までもじくじくと抜けない棘の様に刺さり続け痛みを発し続けている。
ふわり、と暖かな気配とぎしりと音を立てて沈むソファに漸く同居人が帰ってきたことを悟った。組織との戦いの弊害か、気配に敏感になった俺を気遣いなるべく気配を最小限までに抑える相手に、気にするなと言った事もあった。けれど、彼自身も戦いの中で神経をすり減らし生活をしてきていた為、無意識に気配を殺してしまうのだと、だからこれはお前の為だけじゃないんだよ、という台詞に酷く安心した事を覚えている。
「…おかえり」
「ただいま。こんなところで寝ていると風邪ひくぞ」
苦笑に歪んだ目元は初めてあった時よりも大人びて見えた。
それもそうだろう。怪盗と探偵として初めて会った日から既に十年は経過している。
長くも短い十年の間に、彼は白い衣装を脱ぎ、俺は忌まわしき黒の組織を壊滅させた。
全てが願ったようにはいかなかったが、それでも今はもう黒い影に怯える事も無く生きることが出来る。
「なにか、あった?」
さらり、と撫でる手のひらは今はもうマジシャンの手ではない。
彼はその白い衣装を脱ぐ際、最後の戦いにおいて致命的な大けがを負った。
だが、戦いのさなかすぐに治療を受ける事は叶わず後遺症として痺れと動きにぎこちなさが残ってしまった。けれど、心配する周りを余所に、生きているのだからマジックは出来なくなってもいいのだ、と笑って見せたのだ。それでもリハビリを続けた彼は今では小さな些細なマジックはできるようになった。
まじまじと手を見つめる姿に、何を思っているのか気付いたのだろう。
柔らかく笑みを浮かべぽんっと一つ花を出して見せた。
「そんな顔をしなくても大丈夫だよ」
何も変わらないのだ、と。
「快斗は、強いな」
自分はダメだ、とポツリと零す。
組織を潰すことは出来た。
けれど、肝心の解毒剤は上手く作用することは無かった。
多用した解毒剤の効果により体の中で変質を起こしたのだと、悔し気に歪んだ灰原の口から聞かされた。
自業自得。
その言葉がぴったりとあてはまるだろう。
「何も変わらない、なんて思えない。工藤新一に戻りたかった。お前はいつだって俺の先を行く。俺はいつだってお前の後を追いかけるしかないんだ」
ぼろぼろと零れ落ちる言葉の欠片は常に心の裡に住み着いている黒く歪んだ自己嫌悪。
ぐっと手の甲を押し付け歪んでいるであろう顔を隠す。
「見ないで、くれ」
見られたくない、こんな自分の姿など。
子供の様に泣きわめくことが出来たらどれだけ楽か。
ふぅ、と吐き出される音が吐き出された。
思わず肩が揺れ、目に水の幕が張ってしまう。
とうとう呆れられたのだろうか。
とうとう見限られたのだろうか。
そんな恐怖にも似た思いが湧き上がる。
「あのね、俺はお前の前を歩いてなんていやしないんだよ。俺にとってはお前の方が何時だって前を歩いていた。俺が強いというならば、そう在れるのはお前がいるからだ。忘れるなよ、名探偵」
優しく撫でる手のひらと包み込むような声に次第に心が解けていく。
張った水の膜ははたはたと頬を濡らして落ちていった。
「立ち止まったっていい。泣きわめいてもいい。いつだって俺はお前の隣にいるから、安心してろよ。マジシャンじゃなくなった俺にだって魔法は使えるってのを判らせてやるよ」
探偵と怪盗だった頃と変わらぬ芯の通った声は真っ直ぐに響く。
そうだ、この優しい声に、何時だって救われるのだ。
元に戻れぬと判ったその日も、長年住み続けていた探偵事務所から出ていく日も、工藤新一と比べ落ち込む日も、いつだってこの声に救われていた。
初めて会った時からは考えられない程に近づいた距離はそれだけの時間を共に過ごした事を現す。
今はもう抱き上げられるほど小さくもない自信の体。
けれど、元に戻ったわけでもなくただ単に成長を重ねた体は『工藤新一』の頃よりも華奢になった。
命があってこそだ、と事情を知る者は皆言う。
自分でも生きているからこそ欲を出すのだとは思う。
けれど、縮まらない差は何時までもじくじくと抜けない棘の様に刺さり続け痛みを発し続けている。
ふわり、と暖かな気配とぎしりと音を立てて沈むソファに漸く同居人が帰ってきたことを悟った。組織との戦いの弊害か、気配に敏感になった俺を気遣いなるべく気配を最小限までに抑える相手に、気にするなと言った事もあった。けれど、彼自身も戦いの中で神経をすり減らし生活をしてきていた為、無意識に気配を殺してしまうのだと、だからこれはお前の為だけじゃないんだよ、という台詞に酷く安心した事を覚えている。
「…おかえり」
「ただいま。こんなところで寝ていると風邪ひくぞ」
苦笑に歪んだ目元は初めてあった時よりも大人びて見えた。
それもそうだろう。怪盗と探偵として初めて会った日から既に十年は経過している。
長くも短い十年の間に、彼は白い衣装を脱ぎ、俺は忌まわしき黒の組織を壊滅させた。
全てが願ったようにはいかなかったが、それでも今はもう黒い影に怯える事も無く生きることが出来る。
「なにか、あった?」
さらり、と撫でる手のひらは今はもうマジシャンの手ではない。
彼はその白い衣装を脱ぐ際、最後の戦いにおいて致命的な大けがを負った。
だが、戦いのさなかすぐに治療を受ける事は叶わず後遺症として痺れと動きにぎこちなさが残ってしまった。けれど、心配する周りを余所に、生きているのだからマジックは出来なくなってもいいのだ、と笑って見せたのだ。それでもリハビリを続けた彼は今では小さな些細なマジックはできるようになった。
まじまじと手を見つめる姿に、何を思っているのか気付いたのだろう。
柔らかく笑みを浮かべぽんっと一つ花を出して見せた。
「そんな顔をしなくても大丈夫だよ」
何も変わらないのだ、と。
「快斗は、強いな」
自分はダメだ、とポツリと零す。
組織を潰すことは出来た。
けれど、肝心の解毒剤は上手く作用することは無かった。
多用した解毒剤の効果により体の中で変質を起こしたのだと、悔し気に歪んだ灰原の口から聞かされた。
自業自得。
その言葉がぴったりとあてはまるだろう。
「何も変わらない、なんて思えない。工藤新一に戻りたかった。お前はいつだって俺の先を行く。俺はいつだってお前の後を追いかけるしかないんだ」
ぼろぼろと零れ落ちる言葉の欠片は常に心の裡に住み着いている黒く歪んだ自己嫌悪。
ぐっと手の甲を押し付け歪んでいるであろう顔を隠す。
「見ないで、くれ」
見られたくない、こんな自分の姿など。
子供の様に泣きわめくことが出来たらどれだけ楽か。
ふぅ、と吐き出される音が吐き出された。
思わず肩が揺れ、目に水の幕が張ってしまう。
とうとう呆れられたのだろうか。
とうとう見限られたのだろうか。
そんな恐怖にも似た思いが湧き上がる。
「あのね、俺はお前の前を歩いてなんていやしないんだよ。俺にとってはお前の方が何時だって前を歩いていた。俺が強いというならば、そう在れるのはお前がいるからだ。忘れるなよ、名探偵」
優しく撫でる手のひらと包み込むような声に次第に心が解けていく。
張った水の膜ははたはたと頬を濡らして落ちていった。
「立ち止まったっていい。泣きわめいてもいい。いつだって俺はお前の隣にいるから、安心してろよ。マジシャンじゃなくなった俺にだって魔法は使えるってのを判らせてやるよ」
探偵と怪盗だった頃と変わらぬ芯の通った声は真っ直ぐに響く。
そうだ、この優しい声に、何時だって救われるのだ。
元に戻れぬと判ったその日も、長年住み続けていた探偵事務所から出ていく日も、工藤新一と比べ落ち込む日も、いつだってこの声に救われていた。
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