短編集
――――おい。
『…なぁに、これから寝るんだけど』
日がとっぷりと沈んだ深夜。
寝室のベッドに入って目を閉じてしばらく経った頃。寝付けずに寝返りを打とうと思った時にその声は響いた。
その声の主をは私は知っている。
その声の主は少しずつ近づいてくる。視覚を閉ざしている為意識がその主を感じやすい。
少しふぅと息を吐いてベッドから起き上がる。
『静かにしてちょうだい。ジュペッタ』
――――俺に指図するなんていつから偉くなったんだ?なぁ?
ベッドから少し離れた窓の方へと視線を向けると窓に座ってニタッと笑うポケモンがいる。
ぬいぐるみのような見た目をしているがその見た目とは裏腹にたくさんの怨念や怨みを抱えている、そんな恐ろしい一面を持つポケモンでもある。
ジュペッタは手を口元に近付けてこちらにすっと向ける。すると窓から消えて足元に重みがのしかかる。
いつの間にか目の前に移動しているジュペッタはニタニタ笑いながら顔を近づけてくる。
『離れて』
――――俺が言うことを聞くとでも?
『今日は気分が優れないのよ。分かって頂戴』
目も合わせず吐き捨てるようにそう言うとジュペッタはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
人の足の上に寝転がって足を組んでいる。
表情を少しも変えずに無で見つめる。どこで覚えたのか鼻歌を刻みながら手遊びしている。
暗い部屋にはジュペッタが開けた窓から月の光が差し込んでいる。しんと静まり返った2人の部屋にはジュペッタの鼻歌だけが聞こえる。
この空間は嫌いじゃない。何故か心が軽くなる。ただこれは空間の問題ではないのを私は知っている。
『……ねぇ、私知ってるの』
――――………。
『私の中にあるこの感情…いつもこの眠れない夜に貴方が訪れること…。』
――――さぁな。俺は気分で来てるだけだ。
『……心が軽くなるのは、貴方がいつも私の中の怨みを吸ってくれてるから…。』
――――………。
『……お礼を言うことじゃないかもしれないけれど、ありがとう』
私がそう言い終わらない内にジュペッタは消えていた。
胸元をぎゅっと掴んで足を抱えて蹲る。
ジュペッタに自分の中の怨みや妬みを吸われることは自分の中にそういう感情が大きくなっているということ。
その事実がまた自分を苦しめているのだがどうしようもない事実でもある。
『……うっ…ゲホッ、ガハッ…』
急な感情の高ぶりから発作が起きる。
息が苦しくなりむせ返り逆流した血を吐く。真っ白な布団に真っ赤な鮮血が模様を彩る。苦しくて苦しくて涙が出てくる。
いつもならナースコールへと手を伸ばすが、今日はもういいや、と憔悴した顔でふっと口だけ笑う。
ぽろぽろと涙が溢れて手で顔を覆う。その間にも咳は止まらず吐血も繰り返す。
――――なにやってんだよ、馬鹿。
そう声が聞こえた。
ハッと顔を上げて声のする方に顔を向けるとそこには思っていた主はおらずただいつもは壁にかけてあるナースコールが横に置いてあった。
その後にバタバタ走る音が外から聞こえて見慣れてしまった看護師と医者が駆け寄ってきた。
「すぐに楽になるからもう少し頑張って!!」
看護師が必死に何か言っているが耳には入らなかった。
『ねぇ、ジュペッタ。あの時は、ありがとね』
『聞いてくれてるかな……。私もう長くないって。もう目も見えなくなっちゃった。きっともう耳もあんまり聞こえてない』
『……貴方に出会えて良かったな。産んだ母親も恨んだし、生かそうとする病院の人も恨んだし、生きている人たち皆恨んだ。』
『恨んだまま死んでしまったらきっと醜い姿だったかもしれない。でも貴方がいつも恨みが募った時に吸ってくれたおかげで…なんだか清々しいの』
『今度は…少しでも良い感情を貴方に吸ってもらえるかしら…』
『ぁあ…眠くなってきた…久しぶりだわ…この感覚……。』
『………。』
――――本当に、馬鹿なやつだよ。
ぽつりぽつりと小さく呟くように喋った彼女の隣にずっとジュペッタは座り続けて話を聞いていた。
いつものようにニタニタ笑わず、ぎゅっと唇を噛み締めて握れなかった彼女の手にそっと自分の手を乗せた。
まだ温もりがあるのに、この温もりはすぐに冷たくなるだろう。
部屋の外から話し声と共に足音が聞こえる。
彼女との別れに未練がましい気持ちが芽生えてくるが窓へと歩いて足をかけて窓を開ける。
振り返って、外へ飛び出る。
――――また、喰いに来るから。
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