龍如
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戦後昭和から異人町にある町中華屋、約15年前に初代店主が亡くなってから息子の代になり、そのまた娘である名前もそこで働いていた。
調理をするのは2代目店主だ、名前は客のオーダーを取ったり、配膳したり、片づけをしたりと雑務を淡々とこなすが、幼い頃から働いていたのでその辺のアルバイトなんかよりもずっと頼もしい。
看板娘と常連客からチヤホヤされてきたものの、このご時世では大手中華チェーン店や安価なファストフード店があるおかげで、こんな油まみれの床で小汚い店の安中華なんて有難がってくれる客も少なくなってきた。
遠のく客足をどうしようかと悩んでいたある日。
やたらパリッとしたスーツを着た若手のサラリーマンが店にやって来た。
聞けばつい最近、異人町内でスマートフォンアプリを活用した『デリバリーヘルプ』というサービスを始めたらしく、その営業にこの店へ訪れたという。
なんせこのご時世、電話での出前なんて昔に比べたら少ない、スマートフォンのボタン一つで注文が完了できる手軽さが、やたら忙しい現代人には相性が良かった。
売り上げに繋がるんなら、藁にも縋りたい思いだったのだ。
今どき電話帳と看板だけで客を寄せていただけの時代遅れの店からしてみれば。
「名前!出前入ったぞ!」
父親である店主のウキウキした声に、名前は眉をぴくりと動かした。
「……だれ?」
「春日さんだよ。いやー、毎回うちに頼んでくれるなんて、ありがてぇよな」
名前は心底、嫌な顔をした。
『春日さん』は確かに、この店がデリバリーヘルプに登録してからかなりご贔屓にして貰っている、常連客だ。
最初に出前に行ったのは確かサバイバーとかいうスナック街の小さなバーだ、何かのパーティーでもやっているのかというくらい大量に注文をするので、自転車の両ハンドルにも岡持ちをぶら下げてヒイヒイ言いながら漕いでいったのを彼女はよく覚えている。
それからも度々、春日からは注文を受けた、多い時は1日に2回も呼ばれて行ったこともあった。
おまけに一度に3,000円も5,000円も支払ってくれるので、店にとっては売上に十分貢献してくれている。
しかし大変困った事に、このデリバリーヘルプというアプリ、注文があったなら異人町の端から端まで向かわなければならない。
おかげである時は浜北公園内から注文を受けたり、なぜか風俗街の路地裏から注文を受けたり。
一番驚いたのは鶴亀橋辺りのマンホールの内の地下通路を指定された時だ、そればっかりは妥協案としてマンホール近くで受け渡す事になった(確かに彼はマンホールから出てきた)。
と、言うわけで、店にとっては太く良い客だが、出前に行く名前にとってはハズレとしか思えなかった。
そして本日も、彼女は大きな岡持ちを自転車の後ろに括り付けて、指定された場所に駆けつける。
今日はなぜか風俗街の方にあるヤクザ事務所近くのコインパーキングだった、辿り着くと確かに春日と他の面々も座り込んで待っている。
名前はいつも疑問に思っていた、彼女が出前に向かう時は大抵彼らはなぜかヘトヘトなのだ。
「お待たせしましたー、苗字軒でーす」
「きたきた!」
ラーメン、炒飯、餃子に唐揚げ定食…と、次々と岡持ちから出てくる料理に一同は歓喜の声を上げている。
そしてそのままこのコインパーキング内で、各々勝手に自分が注文した品を食べ始める始末だ…これも見慣れた光景となった。
「いつも悪ぃな、名前ちゃん」
最後のレバニラ定食を受け取る春日は申し訳無さそうに眉を下げた。
彼はこのレバニラ定食を必ず注文する、恐らくそれがお気に入りなのだろう。
いえ大丈夫ですよ、なんて言う名前の心中は決して穏やかな物じゃないが。
今回も気前よく現金で4,890円を支払って貰うと、名前は「またよろしくお願いします!」と社交辞令だと言い聞かせながら笑顔で言う。
すると春日は「お、おう!」と少し照れた様子でぎこちなく答える、颯爽と自転車に跨る彼女を、彼は使い捨て容器に入ったレバニラ定食を片手に見送るのだった。
「イッちゃんはピュアよねぇ、ホント」
その拳ほども大きな唐揚げを頬張りながら、紗栄子が言った。
きょとんと目をまん丸くする春日に、ナンバが「好きなんだろ、あの子が」と追い打ちをかける。
「なっ!」
「分かりやすいんだよお前は…出前なんてこのご時世どんな店も選び放題だってのに」
おかげで胃がもたれる、と足立は言いながら、あっさりとした中華そばをを啜っている。
春日は顔を赤くして冷や汗をかいた、40代にもなって思春期の子供みたいな恋に目覚めてしまったこと、そしてまさかそれが仲間たちに筒抜けだったことに顔から火が出そうな気分だ。
春日はここのレバニラ定食が好きだった、今や大手チェーンに行けば安定して美味しいものが食べられるのに、この少し処理が甘くて雑味の多い、いわゆる家庭的な味のするこのメニューが好きなのだ。
彼は幼少期から母と呼べる存在も定かではなかったので、ごく一般的な「家庭の味」というものをあまり知らない、だからこそ憧れのようなものもあるのだと思う。
「なんかよ…戦闘が終わってから、このレバニラ定食を食うと、あの子の顔が浮かんでくるっつーか…ホッとするんだよな、明日も頑張るぞって気になんだよ」
「なるほど、一番は家庭的な女がタイプってコトだな」
うんうん、とたどたどしくも熱く静かに語る春日に、ナンバはしんみりとする。
「バシッと行けよ、一番。男だろ?」
「足立さん…」
「『俺にレバニラ定食を毎日作って下さい』ってハッキリ言っちまえよ」
それが言えりゃ、どんなにいいだろう。
スマートフォンのアプリは彼の思いなんてちっとも伝えてはくれない、ただ無機質にレバニラ定食を注文するしか出来ない。
初めて彼女がサバイバーに出前を届けに来た時に、情けなくも春日は一目惚れをしてしまった。
側にいた足立が軟派な風に彼女の名前を問わなければ、それすらも知ることがが出来なかっただろう。
およそ18年、女性の肌に触れる事はなかったが、ここまで臆病になっていたなんて…と春日は自分自身に対して溜息を吐いた。
そんな様子を、蒲鉾が入ったいかにもな町中華の五目チャーハンを食べる趙が「イヤ、たぶんあの子が作ってるわけじゃないと思うよぉ…」と聞こえるか聞こえないかの声で呟く。
今度はアプリじゃなくて、電話で注文しよう。
春日はそう心に決めたのだった。
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