龍如
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紗栄子がサバイバーで煙草をふかしていると、バーカウンターに置いていたスマホが震えた。
ディスプレイに映る意外な人物名に、慌てて通話ボタンを押して耳に当てると、電話口の向こうの人物も想像以上に慌てていた。
「ち、ちょっと落ち着きなさいよ、ね?」
そういう彼女の発言に、サバイバーにいる誰もの視線が一直線に集まった。
電話口の相手は一番製菓の現秘書・えりだった。
事の発端は一番製菓の年次決算のため、領収書の仕分けを春日の恋人である名前に依頼したのが始まりだった。
業務の内容はさして難しくもない、パソコンの会計ソフトの入力欄に必要事項を打ち込んでいくだけで、ただレシートの通りに文言を写していけばいい。
ただ素人目にもそれが何の領収書なのか分からない事がある、出来る限り内訳が分かるようにとえりも名前にお願いしていたが、それが一体何に使ったお金なのかは本人しか知らない。
それで例えば「〇月□日コンビニ××円」と書かれていたら、名前は逐一春日やえりに内訳を尋ねていたのである。
ところがその夥しい数の領収書の中に、不穏なレシートが紛れ込んでいた。
「この焼肉屋さんの領収書って、使えるの?」
春日もえりも、今更なんでそんな事を聞くんだろうと揃いにその領収書を確認しに行くと、なんと総額9万円の文字がくっきりと刻まれている。
えりは思わず驚いて、「こんな高級焼肉店なんて、異人町にありましたっけ?」なんて春日に聞く。
そして目を泳がせる春日も何とか誤魔化せば良いものを、彼の長所は素直なところで、今回はその長所が仇になってしまった。
「い、いや~、実はその…この前不動産屋の社長と新しい物件を紹介して貰いにメシ食いに行った時に、その社長サンが急に『ソープに行きたい』なんて言う出すもんだから…」
と、いうことである。
電話越しにも背後から聞こえる謝罪の声は、紗栄子はその現場を知らないが、えり曰く株主総会でレベル3の謝罪スキルを発揮する場面以上の熱量の籠った物だそうだ。
しかし名前のガードは硬い、ついでにいうとHPゲージも長い。
春日はきちんと弁明した、ソープには付き合いで行って確かに指名もしたが、サービスを受ける事はなく、相手の嬢とは雑談をして終わったと。
ただそんな事、女からしてみれば「宿題やったけど忘れました」くらい信憑性のない言葉だった。
「…今回のはイッちゃんが悪い」
それはソープに行ったことに対してなのか、それとも上手く誤魔化せなかった事か。
全身全霊の極謝罪を使い果たしても、結局名前との仲は修復出来ずにサバイバーにたった一人帰って来た。
酒もろくに強いわけではないのに、今日だけはやけにペースが速く、あっという間にべろんべろんに酔っ払っている。
おまけに泣くわ、鼻は垂らすわ、喚くわ、これには密かに彼に思いを抱いていたはずの柳いろはも少し引いた。
「しかしまぁ、男にとっちゃいつの時代でも重大な問題だわな。結婚後もいかにカミさんにバレずに風俗に通うかっていうのは」
「こればっかりは風俗が不倫に当たるかどうか、相手次第ってところだな」
ナンバと足立がしみじみ言う、それに対して紗栄子は「私は不倫だと思うわ」なんて言うので、ここで男女の対立が生まれてしまった。
「まー、そもそも不平等だよねぇ。男の性風俗はたくさんあるのに、女の子はないもんねぇ」
「強いて言うなら…ホストぐらいなもんか?」
趙の言葉に、ナンバが答える。
じゃあ名前がここで春日と張り合うなら、ホストクラブにでも行けばいいのかという話に辿り着くが、そう言うとありとあらゆる液体で顔をびっしょり濡らす春日が「じゃあ俺が名前ちゃんのホストになってやる!シャンパンウェーブで盛り上げてやる!」なんて言い出すので、そんなことしたら名前が風邪引くだけだろうとハローワークに駆け込みそうになるのを足立が必死に引き留めた。
そもそも、ホストクラブじゃ性的サービスを行ってはいないのだから、今回のソープランドとは同等にはならないだろう、と趙はようやくツッコミを入れた。
別に張り合わせるつもりもないのだが、と一同が思っている最中、これまたいまいち空気が読める男なのか分からないハン・ジュンギが「ありますよ」とさらりと言った。
「あるって、何がだよ」
「女性向け風俗です」
さすがはコミジュル、様々な最先端の情報をインプットしている。
男どもはごくりと生唾を吞み込んだ。
「そ、それはどういうのなんだ」
「ええ、基本的には男性向けと変わりません。本番行為はありませんが、口や手、オプションで道具などを使って…」
「あー、あー!もういいよ!そんな顔立ちでサラッと言わないでくれ、俺らが悪かった!」
なぜだか、男性向けのそれよりも生々しく聞こえて、ナンバは思わずストップをかけた。
紗栄子なんて外に煙草を吸いに行ってしまったし、唯一取り残されてしまった柳いろはなんて聞こえないふりしてカラオケ機器の音量を弄っている。
「うっ…うう…、そんなの俺ぁイヤだぁ…名前ちゃんがイケメンに口や手でナニされてるなんてよぉ…」
「一番、まずされてもいないし、あんまりそんな事言うと生々しくてよ…」
「ああ!?テメーら人の女で妄想してんじゃねぇよ!」
酔っ払いには何を言っても無駄なのだと一同は思い知った。
そんな呆れた一同の中で、趙は「それだよ、春日くん」と一言。
「は?」
「今、春日くんは名前ちゃんが風俗に行ってイケメンにやらしー事された想像して、嫌な気持ちになったわけでしょ?」
「お、おう」
「だから、それと同じ。君が何て言ったって、風俗に行ったって事実が分かった以上、名前ちゃんが想像して怒るのは仕方がないんじゃない?」
だって実際そうかどうか、見てもいないし、確かめる方法もない。
「…お、俺は…」
ぐちゃぐちゃになった顔を自分の背広の袖で拭って、目も真っ赤なうちに春日はサバイバーを飛び出した。
店内にはドアベルの音だけが響いて、一瞬で静けさが襲ってきた。
飲みかけの水割りウイスキーをマスターが手に取り、ふうとため息を吐いた後、流し台に置く。
夜更けに似合うゆったりとしたジャズサウンドが、本来の店の雰囲気をようやく取り戻してくれた。
「…俺、働こっかな…」
女性向け風俗に。
趙の呟きに、声には出さずとも、ほとんど男たちは賛同した。
夜更けの異人町を春日は駆けた。
途中喧嘩に絡まれそうになるのも必死に逃げ切って、辿り着いたのはすでにシャッターを閉め切った一番製菓本店、その2階の事務所部分に今日名前は1人で寝泊りしている。
力強いノック音と近所迷惑になりかねない大声で彼女を呼ぶと、「うるさい!クレーム入るから辞めて!」と思った通りにドアが開いた。
「名前ちゃあああん!ホントに悪かったぁあああ!」
ドアの隙間に上手く体をねじ込み、少し埃臭い年季の入った事務所に入ると、それは綺麗に土下座を決めた。
さすが殺しの荒川組で鍛え込まれた男だ、キレが違うとほとんどの人が感心するであろう美しい座礼も、対象である彼女には露程も効かない。
「…もう帰って」
「おっ、俺…分かったんだよ!名前ちゃんが女性向け風俗に行って、イケメンに口や手や、はたまた大人オモチャなんざであんな事やこんな事をされてたらどう思うかって…!」
「…なんの話?」
一瞬呆気に取られたが、彼の全身から漂うアルコールの酸い臭いに納得した。
「俺ぁ、確かにあの夜はソープに行ったが何もしてねぇ、何だったら今からそのソープ嬢に一緒に会って話聞きにいってもいい!ドラクエの話して盛り上がってたんだ!アイツはフローラを選びやがったから、俺はずっと説教してやってたんだ!」
「いや、もうその下りはいいって…」
ろくに掃除もしていない床に頭をゴリゴリ擦り付けるもんだから、頭がクイックルワイパーみたいに埃だらけになってしまっている。
「でも…でも違うんだよな。見てもいない事を信じてくれって言ったって、信じられるワケねぇよ。やっぱり、想像しちまうよな…」
大の、それも40代のそれなりにガタイの良い男が、髪の毛を埃まみれにしながら、泣くまいと涙を堪えて声を震わせている。
名前は大きな溜息を吐いて、唇を固く結んで正座をする春日に近寄り、頭についた埃を払ってやった。
「…もう、分かったよ。一番も私の気持ちわかってくれたんでしょ?」
「ううっ…名前ちゃあん…」
「次はないからね」
まるで大型犬のようだ、勢い良く抱き着いてきた春日のおかげで、名前の体はシャワーを浴びたばかりだというのに、埃まみれの床に倒れ込んだ。
おまけに酒臭い唇で顔のあちこちにキスをしてくる、きっと本当に犬なら、尻尾が引きちぎれるくらい振っているんだろう。
でも仕方がない、人懐こくて、素直で、真っ直ぐな彼に惚れたんだから。
今回の事は彼を信じてやろう、と名前は思ったのだった。
が、さっきまで泣きじゃくる勢いだった春日は突然起き上がって、真っ直ぐな目で名前を見つめた。
そして何とも気まずそうに、目を泳がせている。
「どうしたの?」
「………い、いや…」
その様子に、当然名前は訝しんだ。
「そ、その…さっき、俺が…名前ちゃんがイケメンに…って」
再三言うが、この春日一番という男の長所は素直で真っ直ぐなところだ。
「想像したらよ………あの…、勃っちゃった、へへ」
「………」
次の日、えりは二日酔いで酒の臭いをさせたまま出社してきた春日に対し、「まず一つ」と咳払いをして畏まった。
「なんでも領収書を切れば計上されると言うものではありません」
そして2つ目。
「……この焼肉店の領収書は使えません」
接待交際に関わる飲食代は、あくまで仕事の話などを行える環境のみに通じるらしい。
ソープなんかで商売の話ができるか、だったらなんだ、社員のリフレッシュのための福利厚生か。
何にせよ、もう何でもかんでも領収書を切るのはやめようと、春日はかたく誓った。
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