Ma Petite Menteuse
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学生の本分は学業だ。苗字名前は来年に控えた大学受験のために、毎週土曜日は米花町駅前の学習塾に通っている。
塾が終わる夕方5時、隣町からわざわざ電車で来ている同塾生であり、江古田高校に通っている男の子・八村がエントランスで名前に声掛け、公園まで並んで歩いてきたところで一言いった。
「俺と付き合ってください!」
夕暮れ時の公園。ブランコや滑り台がオレンジ色に染まる中、勇気を振り絞った大告白。高校生にとっては清水の舞台から飛び降りるような一世一代のセリフだった。
「……付き合う?どこに?」
しかし、目の前の女子高生の反応は、彼の想定していた『はい』でも『ごめんなさい』でもなく、「どこに?」という斜め上すぎるものだった。
八村は一瞬にして固まり、数秒遅れて彼女の疑問に返答した。
「……え、映画とかかな…?」
ひゅう、とどこからともなく風を切った。
「映画?別にいいよ」
いともあっさりとした了承の言葉だった。しかし、八村はまるで春の陽気に当てられたかのようにぱあっと目を輝かせ。両手でガッツポーズを作る。
「えっ! ほ、ほんとに!? じゃ、じゃあ来週の日曜、駅前の映画館でっ!」
「うん、バイバーイ」
声を裏返しながら喜ぶ男子高校生。彼の中では、意中の女の子への告白にOKを貰い、さらには来週のデートまで取り付けることに成功したと脳内変換されている。そんな甘酸っぱい青春の断片を公園のすべり台の裏から見届けた諸伏は、頭を抱えながら空を仰いだ。
《ちがう、ちがうんだよ名前ちゃん!彼が言ってるのはそういう意味のお付き合いじゃなくて…ああもう!》
恋愛感情の機微を完全にスルーし、ただの休日の外出として快諾してしまった名前。そして告白が成功したと思い込み、有頂天になって帰っていく八村。
なんとも不毛で平和なすれ違いを前に、諸伏は自身の不甲斐なさにただただ項垂れるばかりだった。
◇
休日が明けた月曜日。名前の気分はどん底だった。
中間考査の自己採点があんまりにも調子が悪い。土曜日に塾へ行き、日曜日にはアルバイトを休んで一日中徹底的に自習を重ねてテストに臨んだのに、彼女の背中には『敗北』の二文字がすでに見えていた。
放課後、名前は自身のアルバイト先でもある喫茶ポアロに蘭と園子を連れて顔を見せた。ボックス席のテーブルには教科書が広げられていて、いかにも学生らしい日常が送られている。
そんな華やかな高校生活を送る三人組を、安室はカウンター越しに虎視眈々と見つめている。彼の監視対象は言うまでもなく、あの苗字名前という謎の存在だ。
彼女があのオムライスの合間に作り上げたハムサンド。先週の金曜日からずっと、彼女が亡き親友の味を完全に再現した謎をどうやって暴いてやろうかと、頭脳をフル回転させて尋問のシミュレーションを重ねていた。
彼の中で、ただの『ちょっと変わったアルバイトの女子高生』だった名前の存在は、今や『絶対に正体を暴かなければならない最重要参考人』へと昇格していた。
そんな安室の思惑など露知らず、思春期真っ只中の純粋な女子高生たる名前はカウンター越しからグラスを磨く彼の姿をちらりと見た。
(…安室さんがカウンターの立ってる姿、やっぱりカッコいいな)
不意に視線が鉢合いそうになり、慌てて逸らす仕草も、安室にとっては猜疑心を募らせる判断材料に代わる。
そんな二人のことなどお構いなしに、明るい園子の声がポアロの店内に一石を投じるかのごとく響いた。
「ねえ、中間テスト終わったらさぁ、今週の日曜日どっか遊びに行かない?」
「あ、賛成!名前ちゃんも行くでしょ?」
「…え、私は…」
名前は頭の中でカレンダーを思い浮かべながら、アイスティーのストローをかき混ぜた。冷房の良く効いた店内に、からんと涼し気な音が落ちる。
「ごめん、行けないや。同じ塾の男の子に、映画に付き合って欲しいって言われたんだよね」
からん、とまた氷が落ちる音がした。
「……えっ、えええ!?」
ポアロの店内に、鼓膜を突き破らんばかりの黄色い悲鳴が響き渡る。
「男子と映画!? そっ、それって完全にデートじゃない!!」
「えっ?」
「ねぇっ、名前ちゃん! どんな子なの!?」
身を乗り出して食いつく園子と、両手を合わせて目を輝かせる蘭。女子高生特有の恋バナモードが、一瞬にしてテーブルを支配する。
ポアロの端っこでは、もはや事の経緯を始めから終わりまで見届けるつもりの幽霊がひとり、《やっぱりただのお出かけなんじゃないか…男子生徒が不憫でならないよ…》と他校の男子生徒に同情していた。
カウンター越しにそんな青春の一幕を垣間見た安室は、ほんの一瞬だけグラスを磨く手に力を込めた。キュッとダスターが擦れる音がする。
(…い、いや、ちょっと待て。つい先日まで僕の行動を監視し、時に顔を赤くして意味深な視線を送ってきていたはずだ。それが突然、別の男とデート?)
安室の頭の中じゃ、約束されたデートそのものが名前の誤解だということも知らず、目まぐるしい思春期の恋愛事情についていけないだけの三十路手前のたたの男に成り果てている。
しかし、彼の中の疑念は完全に拭い去られた訳じゃない。『自分に向けられていたはずの好意が他へ向いた』という無自覚な面白くなさと、『実は相手の男も共犯者かもしれない』という飛躍しすぎた推論が彼の平静を乱す。
「…お冷、失礼しますね」
これ以上遠くから観察していても拉致が明かないと判断したのか、安室は極上のスマイルを顔に貼り付け、水の入ったピッチャーを手に女子高生三人の輪に混じった。
「なんだか、楽しそうなお話ですね。お友達と映画ですか?」
「あっ、安室さん。うん、そうなの、江古田高校の男の子と一緒に…」
コップに水を注ぐ所作はひたすらに平静を装っていたが、その目は探りを入れている冷めたものだった。そんな冷ややかな視線も他所に、名前は彼の手元に見惚れるかのように釘付けになって、制服のスカートをキュッと握りしめる。
「最近流行りの、ミステリーものの映画だって。ほ、ほら、名探偵修行の身だし、ちょうどいいかなって…。
…あっ、そうだ、安室さんも観に行きませんかっ?」
「…はっ?」
コップに水を注いでいた安室の手が、ピタリと空中で静止した。あと数ミリで水が溢れそうになっていることにも気づいていない。
「ちょ、ちょっと名前!? 彼氏との初デートに、他の人を
誘ってどうするのよ!」
「えっ?い、いや…人数多い方が楽しいかなって…」
「だ、だめだよ!相手の男の子、絶対にびっくりしちゃうよ!」
そんな女子高生たちの常識的なパニックなど、今の安室の耳にはまったく届いていない。彼は今、脳内で構築されていた『同級生を装った組織の人間との密会』というハードボイルドな仮説に対し、さっきの女子高生の発言をどう辻褄合わせをすべきかを考えている。
もし本当に相手の男が共犯者であり、何かしらの組織の人間や情報屋であるならば、監視対象である安室本人をその場に同席させるなど、通常なら有り得ない。
(いや…待てよ。あえて僕を『密会』の場に引きずり込むことで、こちらの出方を窺う罠か? あるいは、映画館という暗闇を利用して、こちらに何か接触を図るつもりか…?)
明後日の方向に思考が振り切っている安室には、ただ好きな人を遊びに誘って照れているだけの可愛らしい女子高生の気持なんかわからない。
「……僕も、ですか」
ようやく水差しをテーブルに置き、安室は優しく、しかしどこか底知れない凄みを帯びた笑みを名前に向けた。
「せっかくのお誘いですが、あいにくその日はポアロのシフトが入っていまして。それに、その男の子も、君と二人きりで映画を見たいはずですよ。僕のような大人がお邪魔しては、彼に恨まれてしまいますからね」
完璧な大人の対応で、やんわりと、しかし絶対に隙を見せない拒絶。
相手の『罠』には乗らないという、安室なりの静かな宣戦布告であった。
《違う、違うんだよゼロ…。この子はただ単に、相手の男の子の好意に気づいてない上に、ミステリー映画なら『名探偵』の君と見た方が勉強になるって、本気で思ってるだけなんだ…》
諸伏の必死の弁解は誰にも届かず、空しくも店内の有線放送から流れてくるジャズ音楽に溶け込んでしまった。
◇
約束の日曜日、午前10時。
米花駅の改札口の前で柱の側に立っている名前を見つけた八村は春の陽気に当てられたように晴れやかな顔をしていた。勿論、彼には名前の隣に立って《何かあったら親御さんに申し訳ないからな…》と保護者面をしている幽霊の姿など見えない。
上映開始前の真っ暗な映画館。名前はここ最近の話題作だというミステリー映画には、一抹の不安を覚える。
彼女は犯人を捜すサスペンスドラマも、謎解きが醍醐味のミステリーもあまり好きじゃなかった。幽霊が語り掛けてくれないからだ。死んだ人が死因を教えてくれれば、事件なんかすぐに解決出来るのに。
そんな身も蓋もないことを考えながら、甘い匂いのするポップコーンを口に放り込む。
程なくして、最新映画情報のコマーシャルが流れる。隣に座る純情な男子高校生は、青春の甘酸っぱい一大ミッションをどう決行すべきかと指先が白むほどに考えた。そんな彼も、名前と同じように犯人捜しにはさほど興味がない。
コマーシャルが終わり、いよいよ画面が暗転する。導入は静かで暗く、吹雪の吹き込む山荘のシーンから始まった。
《お隣、失礼しますよ》
「………」
物語が始まるという時に、名前の隣には小太りの眼鏡をかけた中年男が、空席をようやく見つけたとばかりによいしょ、と腰掛けた。
《いやぁ、かくいう私はこれで8回目の鑑賞になるんですがね!やはり話題作というだけあって、このアッと引き込まれるような導入いつみても圧巻!さすが、監督の演出技術の賜物と言えます!》
「………」
大迫力のスクリーンから突然放たれる猟奇的な殺人シーンに、誰もが手元にある飲食を手放すほどには引き込まれるものが確かにあった。
《ここ!今見ましたか?被害者の瞳に反射したあの独特の光の入り方。これを念頭に置いて続きを見ておきたい。いやぁ、まさかこのちょっとした場面が伏線だったとは…かくいう私も3回目の鑑賞にしてようやく気付いた演出なのですがね…》
「………」
《アッ、この物置小屋から出てきた人物ですが、彼は実は…あ、いやいや、なんでもありません…》
名前は隣で興奮気味にぺらぺらと喋り倒す、厄介なミステリーマニアの独り言に目の前のスクリーンで起きる事件への意欲を失くした。果てには、犯人の名前までほとんど言ってしまったも同然のような失言までくれて、名前はいよいよ諦めて目を瞑った。
《実を言いますとね、あの凶器のトリックは物理的に不可能でして……おや、お嬢さん寝てしまいましたかな?》
◇
上映が終わったのは二時間後。名前はスタッフロールで席を立ち始める観客たちの足音でようやく目を開けた。映画の内容など、何一つ頭の中にはない。映画が終わってからも、彼女の隣でミステリーマニアの幽霊はべらべらと喋り倒している。
「た、楽しかったねっ」
「え?あ、うん…面白かったね」
隣に座っていた八村は、上映中静かに目を閉じていた名前の事ばかり気になって、こちらも全く内容なんて頭に残っていない。暗闇の中、手を握るべきか、肩を抱き寄せるべきか、いや今こそ唇を合わせるチャンスでは…と、殺人事件そっちのけで下心満載のことばかり考えていたのである。
時刻はまだ昼の12時を回ったばかり。八村は映画館を出てすぐ、真昼の陽気が燦々と降り注ぐ大通りで、ごくりと息を呑んだ。
「あっ、あのさ…このあと、どうする?」
それは恋に初心な男子高校生が、背伸びした知識で口にした次のステップへの糸口だった。
「え?映画見終わったから帰るでしょ?」
「…え?」
「じゃ、また塾でね。バイバーイ」
「あっ、う、うん。バイバイ…」
駅前の広場で、完全に石化したまま立ち尽くす男子高校生・八村。
初デートが、文字通り「映画を観るだけ」で強制終了し、昼食に誘う隙すら与えられなかった彼の背中は、初夏の陽気とは裏腹に木枯らしが吹いているようだった。
未成年の健全な交際を見届ける為に自ら引率係を引き受けた諸伏さえも、その後姿に向かって《強く生きろよ、少年…》と、深い哀愁と同情を込めてこっそりと敬礼を送った。