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今日は、舞踏会の当日。学内が浮足立った雰囲気だ。イロモノなお祭りだと思ったけれど、そうでもないんだろう。多くの生徒が待ち遠しく思っている。
この数日の出来事を思い出す。
終わるとわかっていれば、なんでもない日常すら愛しいような気がした。長いようで短い学園生活だったと思う。
雑用係として置いてもらって、初日からトラブルに巻き込まれて、死ぬ思いをした。入学を認められてからも、彼らと距離を取ろうとして失敗した。いつの間にか、相棒が出来て、友達が出来た。各寮の揉め事に首を突っ込んだり、突っ込まざるをえなかったりして、楽しい記憶より、苦労したことのほうが多かったかもしれない。それでも、今は笑って話せることがたくさんある。
それでも、私はいつかこの世界から消える存在だ。たとえ前の世界に戻れなくても、もうこれ以上関わるつもりはなかった。私はこの学校におけるスキャンダルの塊。彼らは魔法士のエリートで、私はただの魔法が使えない人間。私に関わっていたことで、彼らの経歴に瑕がつくようなことがあっては困るのだ。だから、いっそ忘れてほしかった。それか、元の世界帰ったと思って、もう会えないことを理解してほしかった。そうしたら、長くかからずに私の記憶は風化するだろう。
いつか忘れられるなら、いっそ今なくしてしまっても変わらないだろうと思う。それは、私の我儘でしかないこともわかっていたけれど。
喧騒のなかで、笑いあう彼らを見て思う。私は彼らの傍にいてはいけない。
いつも通りを装いながら、しかし終わりの時間は着々と近付いていた。
彼からもらった香水に、小瓶の薬を混ぜ込む。そうして、その香りを体に纏う。女性らしい、華やかな香りが広がる。学内を歩いていると、様々な話が聞こえてくる。お化粧のこととか、衣装のこととか。
当日だけあって、話題は舞踏会のことで持ちきりだった。参加は任意。ここは男子校だから、女の子はいないはずだが、一緒にダンスしよう、と、そういった需要があるのだとか。各寮長、副寮長も例にもれず、参加は任意だという。
…だから、運動が苦手な彼は絶対に出てこないと思っていたのだ。
何度か彼から遠回りのお誘いがあったのを無下にしていた。冗談だと思ったし、行くつもりがなかったし、ダンスなんてできないから。でも。
あの日を思い出す。あの、退学を言い渡された日、学園長に会う前。モストロ・ラウンジから帰るとき、腕を掴まれて、耳元で言われた言葉。
「僕は、待っています。例え、あなたが来なくても。」
真っ赤になって、泣きそうな顔で言うなんて反則だ。それを無意識でやるなんて、卑怯だ。もちろん断ることだってできた。だって私は、舞踏会の翌日には退学になる身分。行ったってどうしようもないのはわかっていた。どうせ行き先も告げずに、いなくなるだけだから。
行かない理由はいくらでも言えた。それなのに、なんで私は断ることができなかったのか。返事もできずに、何も言えずに、踵を返してしまったのか。
しばらく前から、ずっと気付いていた。何か困ったことはありませんか、対価はいただきますが、なんて言いながら、実際頼ったって対価を求めなかった。困ったら向こうから声をかけてくれたし、頻回にモストロ・ラウンジに誘われるようになった。流石におかしいと気付いていた。何度リーチ兄弟に揄われたかわからない。
それでも彼は、私を誘うことをやめなかった。やめてくれなかった。一緒に話をしているとき、ひどく熱い視線を向けておきながら、何事もないように装っていた。
私は不器用な彼の精一杯を、無下にできなかった。いつの間にか絆されて、その熱さに溶かされた。だから、傍にいてしまった。叶わないとわかっていても。
私は彼に恋をしていた。きっと、随分前から。
退学を聞いたとき一番に考えたのも、誰より彼のことだった。どんな顔をするだろう。どうやって別れを告げよう。いや、告げないほうが良いんだと。
関わりすぎて、彼の前から綺麗に消えることなんてできなくなっていた。だからと言ってこの恋に縛られて、学園に居たい、なんて泥臭く足掻くこともしたくなかった。せめて彼には綺麗に見えていてほしかったけれど、同時に全部の記憶を消したかった。
手に持った香水を見る。記憶を混濁させる薬を香水に混ぜた。これなら、今日起こったことはすべて夢だと思うだろう。
…そう思って香水を付けてきたけれど、やはり踏ん切りがつかないのだ。
学内を歩いて、思考をまとめる。馬鹿なことは考えないほうが良い。安全な方法をとるべきだ。今からでも間に合う。やっぱり行くのをやめよう。寮に戻って、いつも通り過ごそう。大きく息を吸って、踵を返した瞬間。真後ろにピッタリくっ付いていた金髪が、歩を止めた。
悲鳴を上げなかったのを褒めてほしい。
「ひ…?!」
「こんにちは。トリックスター、こんなところで何をしているんだい?素敵な香りだね?」
「ルーク先ぱ…いつから…!」
「この女性的な華やかな香り…もしかして今日は舞踏会へ?」
「あ、そんなことはないです、よ?」
今は舞踏会開始の3時間前。もう準備しないと間に合わない時間だ。本当に行く気があるのなら。
「参加しないのかい?“努力の君”は君を待っているのに?」
「いや、ちょっと待ってください。ルーク先輩、そんなことは…」
「そんなこと聞かずともわかるよ。彼が君を誘わないわけないじゃないか。」
「な、なんで、先輩、ちょっと!声が大きいです!」
「おやおや、まるで熟れたリンゴのようだね。トリックスター、大丈夫だよ。ちょうど私も毒の君の所へ行くつもりだったんだ。一緒に行こう。」
「待ってください、話を聞いて、ルーク先輩、ルーク先輩!!!」
ーーーーーーーーーーーーーーー
結局ヴィル先輩の部屋の前に連れてこられた。ルーク先輩は、「少し用事があるのでね」、なんて言って、連れてきたくせにフラッと消えてしまった。扉の前には私だけが残されている。
もうやめるって決めていたのに。ルーク先輩が言っていた言葉が過る。
「今日は舞踏会。華やかに飾っても許される日だ。この日のために、一時的な性別変換薬を飲む生徒だっている。この日だけは、先生もお目こぼししてくれるというのに、それを生かさないなんて勿体ない!そうは思わないかい?」
それが本当なら、私以外にも女性として踊る人間がいるということ。私だけじゃないなら…、なんて思ってしまう。少しずつ、自分の我儘が顔を出す。あと一日、我慢すればいいだけのことなのに。後たった一日なのに。
「青春ですねぇ」、なんて、笑顔の学園長が頭を過った。苛立つ。そうだ、これはそういう感情でしかない。
一緒にいたいと思う。でも、一緒にいてはいけない、とも思う。どんどん感情がぐちゃぐちゃしてくる。今後のことを思うなら、やめるべきなのだ。
でも、でも。最後なのに。もう会えないのに。どうせ、夢になるのに。
「あら誰かと思ったら。アンタ、そんなところで突っ立ってどうしたの?」
部屋から顔を出したのは、もちろんこの部屋の主であるヴィル先輩だ。もう支度は完璧に整っていて、美しいという他ない。
「ヴィル先輩…お綺麗です…。」
「そんなの当然じゃない。それよりアンタ、そんな格好であたしに何か用?」
「…さっき、ルーク先輩と話をしていたんですけど…舞踏会の話をしたら…。」
「ここに連れてこられたって?」
頷くとため息をついた後に、とりあえず入りなさい、と部屋に通される。椅子に座るよう促され、そのまま高そうな椅子へ腰を下ろす。
「ふぅん、なかなかいい香水をつけているのね。有名ブランドのだなんて。」
「これは、その、いただきもので。」
声が徐々に小さくなるのがわかる。有名ブランド、そうだろう。パッケージが高そうだったもんな、なんて思う。匂いでブランドを当てるヴィル先輩はやはりすごい。
「そう。…誰にもらったかなんて野暮なことは聞かないわよ。着飾ったアンタによく似合うでしょうね。で、今日の舞踏会、出るの?」
「そのつもりでいたんですが、悩んでいて…。」
「香水なんかつけているんだから、参加してもいいと思っていたんでしょう?悩む原因は?」
「私は服も持ってないし、踊れないし。行ったところで…と思うと…。」
「あっそ。できない理由はわかったわ。なら、行きたい理由はなに?」
行きたい理由。行きたい理由。それらしい理由を探す。
「…一度参加してみたいと思っていました。本当は、普段着でいいからいつものメンバーと一緒に行こうって言っていたんです。でもその…誘われてしまったら、逆に気恥ずかしくなってしまって。」
ヴィル先輩が、片眉を上げたのがわかる。美人の凄み顔は圧が強くて困る。
「アンタ、そう言いつつアイツに応えるつもりはないんでしょう?応えるつもりもなく、期待させるだけなんて酷よ。」
「わかっています、でも…」
あとで何か言われるのも嫌なんですよね。と苦笑すると、「本当に、アンタも強情ね。」とため息をつかれる。
「わかると思うけど、アタシも暇じゃないの。わかる?アンタは今日参加する。ここに来たってことは、その気持ちに変わりはない?」
「…そう、ですね。」
「わかったわ。」
「でも私、服も何も持っていなくて…」
「そんなの、貸してあげるわよ。」
「え?」
聞くと、例年ポムフィオーレ寮は舞踏会の貸出ドレスの管理を任されるのだという。そして今年、ヴィル先輩がやらない代わりに、ルーク先輩が管理をしているのだと。タキシードから、ドレス、靴、装飾品まで一通り揃っているのだと言う。
「だから、アンタができない理由はもうないでしょう?」
そういわれてしまったら、もう戻れない。ヴィル先輩が、メイクポーチと思しきものを持ってくる。それを開くと、思ったよりシンプルな、でも輝くような化粧品が並んでいる。
「すごい…」
「アタシは自分でいいと思ったものしか使わない。そこに座りなさい。」
大きな鏡台のある椅子を指さされる。
「え?あの、私自分で…」
「今から自分でやってどうにかなるの?ファンデーションくらいしか塗ったことがないアンタが。」
「ウッ。」
今からアイラインを引けるか?今からアイシャドウをつけられるか?マスカラは?チークは?リップはどうする?きっと無理だ。失敗する。
鏡台まで手を引かれ、椅子に座らされる。肩に手を置かれて、鏡に私と先輩が映る。
「わざわざ、ルークがアタシのところに連れて来たってことはそういうことよ。全く、アタシも暇じゃないっていうのに。」
「で、でも。」
「つべこべ言わない。あたしがやるからには中途半端は許さない。完璧を目指す。どんなふうになりたいの、言ってみなさい。」
鏡越しのヴィル先輩が私を見ている。どうなりたいのか…そんなの、決まっている。
「その…どうにか、並び立てるようにしてください。」
「そう、言ったわね。なら覚悟を決めなさい。」
凡人である自分でも、彼に並び立てるくらいに。せめて彼を引き立てられるように。どうせ夢なのだから、いいじゃないか。それくらい望んだって。
ものすごい勢いで、ヴィル先輩が下地を仕込んでいく。一つくらい、先輩のメイクの秘訣を学びたいところだったが、そんなことできないくらい丁寧かつ素早い。私が普段やっていることと同じとは思えない。するりするりと顔立ちが整っていく。果たして私はこんな顔をしていただろうか。
あっという間に支度が終わる。髪までセットしてもらって、あとは着替えるだけ。
先輩に魔法をかけてもらった今の私は、今までで一番かわいい。ただの、かわいい女の子だ。
「すごい…!」
「上出来ね。もちろん、あたしには及ばないけれど。化粧崩れなんか、絶対にさせないわ。帰ったら必ず化粧を落とすこと。」
そういって、クレンジングを渡してくれる。化粧水や保湿は?と聞かれ、ありますと答える。
「当然ね。ほら、立って。次の部屋に行くわよ。」
周囲を気にしながら、ヴィル先輩の部屋を出る。
更衣室の扉の近くには、何人か人が立っていた。その中に、さっき見た姿を見かける。
「あぁ、トリックスター!待っていたよ。準備は万端さ!」
「ルーク先輩?!あの、」
「いいから、早く来なさい。」
周りの視線から隠すように、ヴィル先輩に部屋に引っ張り込まれ、試着室にそのまま押し込まれる。
「他に人がいるから、手短に話すわ。この場所では、服がアンタを選ぶ。…願いを心に。」
私の願い。それなら…
ふわりふわりとドレスが飛んでくる。「普通に着て、着終わったら声をかけなさい」、と言われる。不思議なことに、髪に引っかかることはなかった。袖を通すと、体を包むように布が揺蕩って、瞬間腹をギュッと絞められる。「うっ」という声が出てしまった。コツコツ、と自分で歩いてきた靴は、シンプルかと思いきや、履いた瞬間に可愛いヒールに変わる。どこからどう見ても、女の子になった。
これでもう、戻れない。
「あの…できました。」
「開けるわよ。…ふぅん、なかなか様になったじゃない。あとは装飾品だけど…」
「Belle fleur!!あぁ、やはりヴィルの見立ては流石だね。ドレスと靴が喜んでいるよ。ほら、飾りにはこれを使うと良い。きっと君に似合う。」
手渡された装飾品は、ドレスに似合いそうな色で纏まっている。それを付けると、ルーク先輩は頷いた。
「とても似合っているよ、Belle fleur。」
「そのべ、べるふぇ?ってどういう意味ですか?」
「そんなのはどうでもいいわ。仕事に戻りなさい、ルーク。」
「oui.」
ニコニコしながら戻っていくルーク先輩。しつらえた様に準備しているとは。
まさか、初めからそのつもりで?ルーク先輩が考えることはわからない。
「このドレスには、魔法が充填されている。今日の夜までは持つわ。脱ぐときは普段通りに脱げばいい。靴も一緒よ。クリーニングは寮ごとで出すから、アンタは明日にでも学園長に言いなさい。」
「はい、ありがとうございます。」
最終チェックをしたヴィル先輩は、試着室の布をもう一度しめる。布越しに、囁くように言った。
「アタシは仕事があるから行くわ。人通りがなくなって、落ち着いたら出てきなさい。」
「ありがとうございます。あの、なんとお礼をしたらいいか…」
「アンタ、アイツに似てきたんじゃないの?楽しかったから、いいわ。それに、乙女の柔肌に触れるのは久しぶり。やっぱり男とは違うわね。アタシには及ばないけれど。」
「あの、ヴィル先輩…それは」
「胸を張りなさい。寮長に並び立つってそういうことよ。そのドレスに選ばれた。それがあなたの願いなんでしょう。」
そう言って場を離れる先輩に、結局十分な感謝も伝えられない。ここまでしてもらっておきながら、私は彼らの記憶を消そうとしている。きっと夢になるのに、きっと忘れてしまうのに。罪悪感ばかりが残る。
「ルーク、仕事は?」
「滞りなく。毒の君。すべて終わらせたよ。」
「ならいいけど。あんまり面倒なことに首を突っ込まないでくれるかしら。よくもアタシまで巻き込んだわね。」
「おや、きっとあなたも気に入ると思ったけど?」
「…まあいいわ。今回に関しては不問にする。」
「それは良かった。なら私たちは先に会場で待つとしよう。」
「あの子が一体何をする気なのか、興味があるわ。」
「私もさ。楽しみだね。」
先輩たちがそんな会話をしていたことなんて知らずに、私は試着室で部屋が静まり返るのを待った。
この数日の出来事を思い出す。
終わるとわかっていれば、なんでもない日常すら愛しいような気がした。長いようで短い学園生活だったと思う。
雑用係として置いてもらって、初日からトラブルに巻き込まれて、死ぬ思いをした。入学を認められてからも、彼らと距離を取ろうとして失敗した。いつの間にか、相棒が出来て、友達が出来た。各寮の揉め事に首を突っ込んだり、突っ込まざるをえなかったりして、楽しい記憶より、苦労したことのほうが多かったかもしれない。それでも、今は笑って話せることがたくさんある。
それでも、私はいつかこの世界から消える存在だ。たとえ前の世界に戻れなくても、もうこれ以上関わるつもりはなかった。私はこの学校におけるスキャンダルの塊。彼らは魔法士のエリートで、私はただの魔法が使えない人間。私に関わっていたことで、彼らの経歴に瑕がつくようなことがあっては困るのだ。だから、いっそ忘れてほしかった。それか、元の世界帰ったと思って、もう会えないことを理解してほしかった。そうしたら、長くかからずに私の記憶は風化するだろう。
いつか忘れられるなら、いっそ今なくしてしまっても変わらないだろうと思う。それは、私の我儘でしかないこともわかっていたけれど。
喧騒のなかで、笑いあう彼らを見て思う。私は彼らの傍にいてはいけない。
いつも通りを装いながら、しかし終わりの時間は着々と近付いていた。
彼からもらった香水に、小瓶の薬を混ぜ込む。そうして、その香りを体に纏う。女性らしい、華やかな香りが広がる。学内を歩いていると、様々な話が聞こえてくる。お化粧のこととか、衣装のこととか。
当日だけあって、話題は舞踏会のことで持ちきりだった。参加は任意。ここは男子校だから、女の子はいないはずだが、一緒にダンスしよう、と、そういった需要があるのだとか。各寮長、副寮長も例にもれず、参加は任意だという。
…だから、運動が苦手な彼は絶対に出てこないと思っていたのだ。
何度か彼から遠回りのお誘いがあったのを無下にしていた。冗談だと思ったし、行くつもりがなかったし、ダンスなんてできないから。でも。
あの日を思い出す。あの、退学を言い渡された日、学園長に会う前。モストロ・ラウンジから帰るとき、腕を掴まれて、耳元で言われた言葉。
「僕は、待っています。例え、あなたが来なくても。」
真っ赤になって、泣きそうな顔で言うなんて反則だ。それを無意識でやるなんて、卑怯だ。もちろん断ることだってできた。だって私は、舞踏会の翌日には退学になる身分。行ったってどうしようもないのはわかっていた。どうせ行き先も告げずに、いなくなるだけだから。
行かない理由はいくらでも言えた。それなのに、なんで私は断ることができなかったのか。返事もできずに、何も言えずに、踵を返してしまったのか。
しばらく前から、ずっと気付いていた。何か困ったことはありませんか、対価はいただきますが、なんて言いながら、実際頼ったって対価を求めなかった。困ったら向こうから声をかけてくれたし、頻回にモストロ・ラウンジに誘われるようになった。流石におかしいと気付いていた。何度リーチ兄弟に揄われたかわからない。
それでも彼は、私を誘うことをやめなかった。やめてくれなかった。一緒に話をしているとき、ひどく熱い視線を向けておきながら、何事もないように装っていた。
私は不器用な彼の精一杯を、無下にできなかった。いつの間にか絆されて、その熱さに溶かされた。だから、傍にいてしまった。叶わないとわかっていても。
私は彼に恋をしていた。きっと、随分前から。
退学を聞いたとき一番に考えたのも、誰より彼のことだった。どんな顔をするだろう。どうやって別れを告げよう。いや、告げないほうが良いんだと。
関わりすぎて、彼の前から綺麗に消えることなんてできなくなっていた。だからと言ってこの恋に縛られて、学園に居たい、なんて泥臭く足掻くこともしたくなかった。せめて彼には綺麗に見えていてほしかったけれど、同時に全部の記憶を消したかった。
手に持った香水を見る。記憶を混濁させる薬を香水に混ぜた。これなら、今日起こったことはすべて夢だと思うだろう。
…そう思って香水を付けてきたけれど、やはり踏ん切りがつかないのだ。
学内を歩いて、思考をまとめる。馬鹿なことは考えないほうが良い。安全な方法をとるべきだ。今からでも間に合う。やっぱり行くのをやめよう。寮に戻って、いつも通り過ごそう。大きく息を吸って、踵を返した瞬間。真後ろにピッタリくっ付いていた金髪が、歩を止めた。
悲鳴を上げなかったのを褒めてほしい。
「ひ…?!」
「こんにちは。トリックスター、こんなところで何をしているんだい?素敵な香りだね?」
「ルーク先ぱ…いつから…!」
「この女性的な華やかな香り…もしかして今日は舞踏会へ?」
「あ、そんなことはないです、よ?」
今は舞踏会開始の3時間前。もう準備しないと間に合わない時間だ。本当に行く気があるのなら。
「参加しないのかい?“努力の君”は君を待っているのに?」
「いや、ちょっと待ってください。ルーク先輩、そんなことは…」
「そんなこと聞かずともわかるよ。彼が君を誘わないわけないじゃないか。」
「な、なんで、先輩、ちょっと!声が大きいです!」
「おやおや、まるで熟れたリンゴのようだね。トリックスター、大丈夫だよ。ちょうど私も毒の君の所へ行くつもりだったんだ。一緒に行こう。」
「待ってください、話を聞いて、ルーク先輩、ルーク先輩!!!」
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結局ヴィル先輩の部屋の前に連れてこられた。ルーク先輩は、「少し用事があるのでね」、なんて言って、連れてきたくせにフラッと消えてしまった。扉の前には私だけが残されている。
もうやめるって決めていたのに。ルーク先輩が言っていた言葉が過る。
「今日は舞踏会。華やかに飾っても許される日だ。この日のために、一時的な性別変換薬を飲む生徒だっている。この日だけは、先生もお目こぼししてくれるというのに、それを生かさないなんて勿体ない!そうは思わないかい?」
それが本当なら、私以外にも女性として踊る人間がいるということ。私だけじゃないなら…、なんて思ってしまう。少しずつ、自分の我儘が顔を出す。あと一日、我慢すればいいだけのことなのに。後たった一日なのに。
「青春ですねぇ」、なんて、笑顔の学園長が頭を過った。苛立つ。そうだ、これはそういう感情でしかない。
一緒にいたいと思う。でも、一緒にいてはいけない、とも思う。どんどん感情がぐちゃぐちゃしてくる。今後のことを思うなら、やめるべきなのだ。
でも、でも。最後なのに。もう会えないのに。どうせ、夢になるのに。
「あら誰かと思ったら。アンタ、そんなところで突っ立ってどうしたの?」
部屋から顔を出したのは、もちろんこの部屋の主であるヴィル先輩だ。もう支度は完璧に整っていて、美しいという他ない。
「ヴィル先輩…お綺麗です…。」
「そんなの当然じゃない。それよりアンタ、そんな格好であたしに何か用?」
「…さっき、ルーク先輩と話をしていたんですけど…舞踏会の話をしたら…。」
「ここに連れてこられたって?」
頷くとため息をついた後に、とりあえず入りなさい、と部屋に通される。椅子に座るよう促され、そのまま高そうな椅子へ腰を下ろす。
「ふぅん、なかなかいい香水をつけているのね。有名ブランドのだなんて。」
「これは、その、いただきもので。」
声が徐々に小さくなるのがわかる。有名ブランド、そうだろう。パッケージが高そうだったもんな、なんて思う。匂いでブランドを当てるヴィル先輩はやはりすごい。
「そう。…誰にもらったかなんて野暮なことは聞かないわよ。着飾ったアンタによく似合うでしょうね。で、今日の舞踏会、出るの?」
「そのつもりでいたんですが、悩んでいて…。」
「香水なんかつけているんだから、参加してもいいと思っていたんでしょう?悩む原因は?」
「私は服も持ってないし、踊れないし。行ったところで…と思うと…。」
「あっそ。できない理由はわかったわ。なら、行きたい理由はなに?」
行きたい理由。行きたい理由。それらしい理由を探す。
「…一度参加してみたいと思っていました。本当は、普段着でいいからいつものメンバーと一緒に行こうって言っていたんです。でもその…誘われてしまったら、逆に気恥ずかしくなってしまって。」
ヴィル先輩が、片眉を上げたのがわかる。美人の凄み顔は圧が強くて困る。
「アンタ、そう言いつつアイツに応えるつもりはないんでしょう?応えるつもりもなく、期待させるだけなんて酷よ。」
「わかっています、でも…」
あとで何か言われるのも嫌なんですよね。と苦笑すると、「本当に、アンタも強情ね。」とため息をつかれる。
「わかると思うけど、アタシも暇じゃないの。わかる?アンタは今日参加する。ここに来たってことは、その気持ちに変わりはない?」
「…そう、ですね。」
「わかったわ。」
「でも私、服も何も持っていなくて…」
「そんなの、貸してあげるわよ。」
「え?」
聞くと、例年ポムフィオーレ寮は舞踏会の貸出ドレスの管理を任されるのだという。そして今年、ヴィル先輩がやらない代わりに、ルーク先輩が管理をしているのだと。タキシードから、ドレス、靴、装飾品まで一通り揃っているのだと言う。
「だから、アンタができない理由はもうないでしょう?」
そういわれてしまったら、もう戻れない。ヴィル先輩が、メイクポーチと思しきものを持ってくる。それを開くと、思ったよりシンプルな、でも輝くような化粧品が並んでいる。
「すごい…」
「アタシは自分でいいと思ったものしか使わない。そこに座りなさい。」
大きな鏡台のある椅子を指さされる。
「え?あの、私自分で…」
「今から自分でやってどうにかなるの?ファンデーションくらいしか塗ったことがないアンタが。」
「ウッ。」
今からアイラインを引けるか?今からアイシャドウをつけられるか?マスカラは?チークは?リップはどうする?きっと無理だ。失敗する。
鏡台まで手を引かれ、椅子に座らされる。肩に手を置かれて、鏡に私と先輩が映る。
「わざわざ、ルークがアタシのところに連れて来たってことはそういうことよ。全く、アタシも暇じゃないっていうのに。」
「で、でも。」
「つべこべ言わない。あたしがやるからには中途半端は許さない。完璧を目指す。どんなふうになりたいの、言ってみなさい。」
鏡越しのヴィル先輩が私を見ている。どうなりたいのか…そんなの、決まっている。
「その…どうにか、並び立てるようにしてください。」
「そう、言ったわね。なら覚悟を決めなさい。」
凡人である自分でも、彼に並び立てるくらいに。せめて彼を引き立てられるように。どうせ夢なのだから、いいじゃないか。それくらい望んだって。
ものすごい勢いで、ヴィル先輩が下地を仕込んでいく。一つくらい、先輩のメイクの秘訣を学びたいところだったが、そんなことできないくらい丁寧かつ素早い。私が普段やっていることと同じとは思えない。するりするりと顔立ちが整っていく。果たして私はこんな顔をしていただろうか。
あっという間に支度が終わる。髪までセットしてもらって、あとは着替えるだけ。
先輩に魔法をかけてもらった今の私は、今までで一番かわいい。ただの、かわいい女の子だ。
「すごい…!」
「上出来ね。もちろん、あたしには及ばないけれど。化粧崩れなんか、絶対にさせないわ。帰ったら必ず化粧を落とすこと。」
そういって、クレンジングを渡してくれる。化粧水や保湿は?と聞かれ、ありますと答える。
「当然ね。ほら、立って。次の部屋に行くわよ。」
周囲を気にしながら、ヴィル先輩の部屋を出る。
更衣室の扉の近くには、何人か人が立っていた。その中に、さっき見た姿を見かける。
「あぁ、トリックスター!待っていたよ。準備は万端さ!」
「ルーク先輩?!あの、」
「いいから、早く来なさい。」
周りの視線から隠すように、ヴィル先輩に部屋に引っ張り込まれ、試着室にそのまま押し込まれる。
「他に人がいるから、手短に話すわ。この場所では、服がアンタを選ぶ。…願いを心に。」
私の願い。それなら…
ふわりふわりとドレスが飛んでくる。「普通に着て、着終わったら声をかけなさい」、と言われる。不思議なことに、髪に引っかかることはなかった。袖を通すと、体を包むように布が揺蕩って、瞬間腹をギュッと絞められる。「うっ」という声が出てしまった。コツコツ、と自分で歩いてきた靴は、シンプルかと思いきや、履いた瞬間に可愛いヒールに変わる。どこからどう見ても、女の子になった。
これでもう、戻れない。
「あの…できました。」
「開けるわよ。…ふぅん、なかなか様になったじゃない。あとは装飾品だけど…」
「Belle fleur!!あぁ、やはりヴィルの見立ては流石だね。ドレスと靴が喜んでいるよ。ほら、飾りにはこれを使うと良い。きっと君に似合う。」
手渡された装飾品は、ドレスに似合いそうな色で纏まっている。それを付けると、ルーク先輩は頷いた。
「とても似合っているよ、Belle fleur。」
「そのべ、べるふぇ?ってどういう意味ですか?」
「そんなのはどうでもいいわ。仕事に戻りなさい、ルーク。」
「oui.」
ニコニコしながら戻っていくルーク先輩。しつらえた様に準備しているとは。
まさか、初めからそのつもりで?ルーク先輩が考えることはわからない。
「このドレスには、魔法が充填されている。今日の夜までは持つわ。脱ぐときは普段通りに脱げばいい。靴も一緒よ。クリーニングは寮ごとで出すから、アンタは明日にでも学園長に言いなさい。」
「はい、ありがとうございます。」
最終チェックをしたヴィル先輩は、試着室の布をもう一度しめる。布越しに、囁くように言った。
「アタシは仕事があるから行くわ。人通りがなくなって、落ち着いたら出てきなさい。」
「ありがとうございます。あの、なんとお礼をしたらいいか…」
「アンタ、アイツに似てきたんじゃないの?楽しかったから、いいわ。それに、乙女の柔肌に触れるのは久しぶり。やっぱり男とは違うわね。アタシには及ばないけれど。」
「あの、ヴィル先輩…それは」
「胸を張りなさい。寮長に並び立つってそういうことよ。そのドレスに選ばれた。それがあなたの願いなんでしょう。」
そう言って場を離れる先輩に、結局十分な感謝も伝えられない。ここまでしてもらっておきながら、私は彼らの記憶を消そうとしている。きっと夢になるのに、きっと忘れてしまうのに。罪悪感ばかりが残る。
「ルーク、仕事は?」
「滞りなく。毒の君。すべて終わらせたよ。」
「ならいいけど。あんまり面倒なことに首を突っ込まないでくれるかしら。よくもアタシまで巻き込んだわね。」
「おや、きっとあなたも気に入ると思ったけど?」
「…まあいいわ。今回に関しては不問にする。」
「それは良かった。なら私たちは先に会場で待つとしよう。」
「あの子が一体何をする気なのか、興味があるわ。」
「私もさ。楽しみだね。」
先輩たちがそんな会話をしていたことなんて知らずに、私は試着室で部屋が静まり返るのを待った。
