スイッチ②
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「……あァ。わかった」
子電伝虫をしまいながら、ライムさんは小さく舌打ちをした。
「すぐ戻るから冷やして待ってろだってよ」
私はライムさんと一緒に医務室へと向かっている。
あの後、散々痛めつけていた三人がうんともすんとも言わなくなると、ライムさんは急に興味を失ったように私の方に来て、腫れてきた頬を見た。そこで、また眉間にしわを寄せた。
今頃生死の境を彷徨っているだろうあの三人は放置しておきながら、有無を言わさず私を医務室に促してきたライムさんは、実際冷酷なのか優しいのか計り兼ねるところだ。
静かな船内に私達の足音だけが響く。これまで避けていた人物と並んで歩くというシチュエーションに、なんだか落ち着かなかった。
横を黙って歩きながら、同じように無言のライムさんをちらと盗み見る。私より上背はかなりあるし、シャツから覗く身体は無駄なく鍛え上げられていて、まるで筋肉の見本みたいだ。
うちの海賊団の幹部なのだから、凄まじく強いだろうというのはわかっていた。だけど、私が全力で抵抗してもまったく敵わなかったあの男達が、この人一人にまるで相手にならなかったのだ。
武器も特別な技も使ってなかったのに、元々の戦闘力が規格外なのだろう。あと、情け容赦もないらしいのは、見ていてよくわかった。
医務室に着いて私を椅子に座らせると、手袋を外したライムさんは小さめの氷嚢とボウルに入った氷を手に戻って来た。きっとホンゴウさんに指示されたのだろうけど、その眉間にはやはりしわが寄っている。
「認めてやる」とは言われたけど、「女なんているだけ邪魔だ」というのも彼から出た言葉である。面倒なこと全般好きではなさそうなライムさんに、私は頭を下げた。
「あの……スミマセンでした」
本来なら、みんなで楽しく飲み食いしている頃なのだ。向かいの椅子に座ったライムさんは静かにこちらを向いた。
「私……女だと思わないでくださいなんて言っておきながら、結局助けてもらっちゃって……。それに……あの人達に反撃した時、本気で思ったんです。『死ね!』って。少し前まで仲間だと思ってたのに……それなのに私、許せなくて」
ライムさんは何も言わずに聞いていたけど、ある時、ふ、と笑った。
「おれだったら『死ね!』って思う前に殺してるけどな?」
「え……?」
「いいか? どんだけ女と思うなって言おうが、お前は女であることに変わりねェ。だから、弱いとこにはつけ込まれるし、恨まれたりすることもあんだろ」
はい……と素直に頷いた私に、ライムさんはまた笑った。
「できることなら甘えずやれ。でもな、無理なことは誰かに助けを求めろ」
かけていたサングラスを額にずらすと、ライムさんは持っていた氷嚢に氷を詰めだした。氷同士が干渉する音が静かな室内に小気味良く響く。
「それで助けてくれない奴は仲間じゃねェ。お前の足引っ張る奴も同じだ。だから謝るな。許さなくていい」
わかったか? そう言って頬に氷嚢がそっと押し付けられると、私は反射的に目を瞑った。
腫れた熱を奪うそれが気持ち良くて、押し付けられた力加減が優しくて、なんだか泣いてしまいそうだ。
「ライムさんも……ですか?」
「あ?」
「ライムさんにも……助けを求めていいですか?」
伏せていた目をたどるように動かし、胸元から首、顎の先までいって、ようやくライムさんの顔まで届かせる。
束の間眉間に寄っていたしわがさっと引く様子は、曇り空から太陽が出るかのように清々しかった。
「いいぜ? 高くつくけどな」
レンズを通してないライムさんの目と目が合うと、驚くほど心臓が大きく跳ねた。ライムさんは優しく笑んでいるわけではない。どちらかというとその顔には悪い笑みを浮かべている。
なのに、そこから目が離せなかった。
サングラスを外しているところはこれまでも何度か見かけたことがあったけど、こんなに間近で見たのは初めてだ。少し垂れ気味の目がやけに優しい印象をもたらして、薄い金の虹彩がとても綺麗だった。
この人は険しい表情という鎧がなければ、ただの好青年なのではないだろうか。端正な顔を縁取る長い金糸が、なにやら神々しさまで感じさせてくる。
そこから仄かに漂ってくる良い匂いにあてられて、こうして近くにいるだけでも心臓がうるさくてかなわない。
「おい。他にも痛むところはあるか?」
「はい……心臓が苦しくて痛いほど……あ、じゃなくて、えっと」
おかしなことを口走りそうになって慌てた私は、ふと思い出して腹部に触れた。デニムを脱がされそうになった時にあの男の指が食い込んだところがいまだヒリヒリしている。
首元を引っ張って中を覗いてみると、引っ掻かれたような何本もの赤い筋が腹の上部から下部へと渡っていた。思ったよりもはっきりと残っているそれを見て、強い執念みたいなものを感じてゾッとする。
今頃になって恐怖がどっと込み上げた。あの時ライムさんが来てくれなかったら、私は――。
「そこか? 見せろ」
私の様子をじっと見ていたライムさんがTシャツの裾に触れようとする。
「あ、いや……」
とっさに身体を引かせたけど、ライムさんがTシャツの裾を掴む方が早かった。素早く捲ったそこを見て、眉を上げた拍子に額にあったサングラスがすとんと落ちる。
「あの……見た目より痛くないので……」
裾を捲ったまま動かないライムさんが、レンズ越しに目を剥いているのがわかった。肌を凝視されていることが恥ずかしくてワタワタしている私をそのままに、ライムさんはようやく手を離したと思ったら急に立ち上がる。
「ライムさん……?」
「……ちょっと用事思い出しちまった」
頬に押し付けていた氷嚢を私に持たせると、ライムさんはすぐに背を向けた。
「ちょ、ちょっと待ってください! どこ行く気ですか!? まさか……」
「止めんな。あいつらボコし足りねェ!」
「えェ!? 待ってくださいって! あれ以上やったら人の形を失くしてしまいます!」
私はとっさにライムさんの腕を掴んだ。
「るせェ! 許すなっつったろ! あいつらが人の形失くしたら何だってんだ!? あァ!?」
「ダメですって……! ライムさん!」
このままでは我が海賊団の格納庫が殺人現場になってしまう。今でさえそれに近いものになっているのだ。私も立ち上がって、ライムさんの腕を抱き締めるみたいにして必死に止めていた時だ。
「おーい。……そろそろ入ってもいいか?」
その声にハッとして顔を上げると、いつからいたのか、ホンゴウさんが扉の隙間から顔を出してこちらを見ているではないか。しかも、その顔はニヤニヤと笑っている。
私とライムさんは慌てて身体を離した。
「……てめ、ホンゴウ! いるならいるでさっさと声かけろや!」
「いやー楽しそうだったからなかなか声かけらんなくってさ。ホント、お前らがこんなに仲いいなんて知らなかったよ」
その言葉にギョッとして、私とライムさんは互いに目をうろつかせた。その様子を見て、ホンゴウさんはまた笑っている。
「てめェ……余計なこと言わずにさっさと治療しやがれ!」
「わかったわかった。ああ、そろそろお頭達が戻ってくるから状況を説明しに行ってやってくれるか?」
「チッ! ……あァ! わかったよ!」
わかりやすくイライラしながらライムさんが出て行く。ホンゴウさんに揶揄われたのがよほどお気に召さなかったらしい。この二人はよく一緒にいるけど、大体いつもこんな感じだ。
だけど、なんだかんだ言いつつも、ライムさんがホンゴウさんの言うことはきちんと聞くのを知っていた。
「ほら。見せてみろ。ああ……思ったよりは腫れてないな」
「冷やしてもらってたので……」
言いながら、自分の手にあった氷嚢を見た。これが頬に触れた優しい感触と、目の前で笑ったライムさんの顔を思い出して、また鼓動が乱れ始める。
「そっか。じゃあライムのお陰だな。……それにしても、酷い目に遭ったな? 怖かっただろ」
ずっと笑みを絶やさなかったホンゴウさんが急に心配そうな顔付きをしたので、この人にも腹部にある引っ掻き傷は見せられないなと思った。
「はい……。でも、すぐにライムさんが来てくれたので大事には……」
「ああ。ライムがあの三人の後つけてくるって、突然店から飛び出して行った時は驚いたよ」
「え?」
「多分、何かあるってわかってたんだろ。あいつは良くも悪くもこの世界がよく見えてる。綺麗ごとだけで通用しないってこともな?」
「ライムさんが……」
「要は心配してんだよ。……元々お前がいた島はあんな状態だったんだからな」
そう言って目線を下げたホンゴウさんに何も返せなかった。
今でも五感に染み付いている。焼け付く喉。見慣れた風景が炭になって崩れる音。目を何度も拭った痛み。むせ返るような血臭はすぐに腐敗で満たされた。
私が当時いた島は政府に名も上がってないような海賊に突如襲われたのだ。破壊や殺戮が遊び半分で行われる光景に、その場にいた誰もが絶望しただろう。
しかし、その支配は長くは続かなかった。時を同じくして上陸した赤髪海賊団と鉢合うなり、その海賊達は滅ぶこととなったからだ。
「だから、お前がこの船に乗るのをあんなに反対してたんだろ」
ホンゴウさんが言いたいことはわかる。海賊に酷い目に遭わされたのに海賊船に乗りたがるなんて、正気の沙汰じゃないだろう。
だけど、違う。私はあの時救われたのだ。偶然にも、襲いかかってきた海賊達の暴挙によって。
「でもライムさんは……女なんているだけ邪魔だって」
「邪魔に思うほど気になるんじゃねェか? あいつ口悪ィけど面倒見いいから、ほっとけねェんだろ」
そう言って笑うホンゴウさんは、ライムさんのことがよくわかっているようだ。互いに深いところではとても信頼し合っているのが見ていてよくわかる。
「まァ……素直じゃねェ奴だけど、よろしく頼むよ」
ホンゴウさんが最後にため息交じりにそう言ったので、私は頷きながら笑った。あんなに頼もしいライムさんも、ホンゴウさんからしてみればとても手の焼ける存在みたいだったからだ。