スイッチ③
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朝になり、鏡の前で確認したが、頬の腫れは一見してわからないほど引いていた。シャワーを浴びるついでに例の腹部の引っ掻き傷も見てみたが、こっちもほとんど消えている。
どちらもライムさんが手当てしてくれたところだ。
私は途端に嬉しくなって、今日何着ていこうかと考えた。自室に戻ると、早速持っている服を片っ端から広げてみる。けれど、動きやすさを重視したような服しか見当たらなかった。
この船に乗る時に、自分は女を捨てる覚悟だったからだ。
それでも捜しに捜すと、一枚だけスカートが出てきた。それを見るなり、晴れやかだった心に影が差す。
これは前の職場の制服だ。この船に乗る直前に着ていたから、そのまま荷物に詰めて忘れていたものだった。
黒一色のスカートが、心にも黒いものを広げていく。私はそれを元あったところに引っ込めた。
ついでに出した服をすべて片付けてしまうと、小さなクローゼットをそっと閉じる。今日はあくまでも観光についてきてもらうだけで、デートとは違うのだ。
いつも通りの服装で身支度を整え、ライムさんがいつ来るかと甲板から顔を覗かせてみる。けれど、何度島の方を確認してもその姿は一向に見えなかった。
もしかして、昨夜は遅かったのだろうか。いや、よく考えると待ち合わせの時間を特に決めていなかったかもしれない。
船に戻ってきていたクルー達に宿泊しているホテルの場所を尋ね、そこに向かってみようと考えた。
わざわざ迎えに来てもらうのも申し訳ないし、エントランスで待っていればそのうち会えるだろう。
しかし。ホテルの前の通りに着いた瞬間、私はここまで来たことを後悔する羽目になる。すでにお昼前で人通りが多いにもかかわらず、すぐにライムさんの姿を見つけることはできた。
ただ、彼は一人ではなかったのだ。
ライムさんの傍には、私が着ることのできなかったスカートを優雅に揺らす女性がいた。花柄のワンピースのようだけど、モノトーンだから子供っぽくなく、身体に品良く沿っている。
遠目から見ても、綺麗なことがわかる女性だ。二人はホテルを出てすぐのところで何か話している。
知らない人が道を尋ねてきたとか、そういう感じではない。女性の方がライムさんの腕を甘えるように掴んでいるからだ。
恋人ならぬ、現地妻だろうか。そう考えたところで、すでに船を追い出された例の三人が「女も手配した」と言っていたのを思い出す。
昨夜、幹部の中ではルウさんだけが船に帰って来たことから、みんなが女遊びに興じたのは間違いないだろう。ということは、あの女性はライムさんの相手かもしれない。
もしかして、今から私と会う約束があるから揉めているのだろうか。
私は雑貨屋の壁を背にして佇んだ。なかなか船まで来れなかったのは、こういうことか。
ライムさんは今日の案内役を最終的に買って出てはくれたけど、「面倒くせェこと」とも言っていたし。そういうことなら、申し訳ないことをしてしまった。
やっぱり観光は一人でするべきだろうかと悩んでいたら、少し離れたところから私の様子を見ている男がいるのに気付く。知らない顔だ。
何気なく視線を逸らしてみるが、なぜかその男は逆に近寄って来た。
「ねェねェ、一人?」
「え? いえ……」
やはり見覚えのない男だ。なのに、そんなことを感じさせないような親しい距離感で喋ってくる。
「またまた! ずっとそこに立ってるよね? あ、もしかして友達と待ち合わせ? ちょうどよかった。おれの友達ももうすぐここに来るんだ」
何がちょうどよかったのだろうと首を傾げている私を置き去りにしたまま、ぺらりとした軽薄な笑みは増す。
「地元の子じゃないよね? 観光するんだったらおれが案内するよ。ご飯奢るからさ、一緒に遊ぼうよ!」
「――へェ。お前と一緒に遊んだら飯奢ってくれんのか」
急に地の底から湧いて出たような声が背後からして、向かいの男よりも私の方が驚いた。
「何して遊びてェ? 拳を使った遊びがいいか? それとも武器を使った方が好きかい?」
振り返ると、サングラスを下にずらしたライムさんがとてつもなく好戦的な視線を送っているのが見えた。
ああ、と思う。目の形は優しげでも、視線が凶悪だったらこんな感じになるのか。少し先の未来に地獄しかないと、容易く想像させるような目だ。
昨夜この視線を浴びた後、悲惨な結末を迎えた三人の男の姿を思い出して、私は密かに息を呑んだ。
「……し、し、失礼しました!」
私とライムさんを忙しく見比べていた目の前の男は、軽薄な笑みを消し去ってすぐに逃げ出した。きっと、この何秒かで確実に寿命が縮まっただろう。
逃げる際に何度かつまづいて転びそうになりながら、それでも一センチでも遠くに逃げようとするその人が、なんだか気の毒に見えるほどだった。
「サクラ。なんでお前がここにいる?」
ライムさんの視線は緩まないまま私に向いた。どうやら怒っているようだ。私は目を居心地悪く揺らすついでにホテルの前をちらっと見たが、もうあの女性の姿は消えていた。
「だって……ライムさんなかなか来ないから……」
「おれが今日付き合わさせられることになったのは、お前が一人だと危険だからじゃねェのか?」
「そう……ですけど」
ライムさんはかなり不機嫌だ。やっぱり私に付き合わされるのが嫌だったのかもしれない。本当なら、あの女性とまだ一緒にいられたのだから当然だ。
ライムさんと会えた喜びを一旦押し込めて頭を下げる。
「スミマセンでした。でも……迎えに来てもらうのも悪いと思ったし、それに……」
「それに、なんだ?」
「時間が……惜しくて」
ライムさんと島を回れるのが楽しみで、少しでも早く合流したかった。だけど、そんなのは私のわがままだ。一人でここまで来れるとわかったのに、付き合わなきゃならないのは馬鹿馬鹿しいだろう。
悪いことをしてしまったと俯く私を、ライムさんは何も言わずに見ていた。短く切ったような息が頭上から落とされ、覚悟する。もう、一人で観光して来いと言われるのかもしれない
「……行くぞ」
「え?」
急に手を取られたので、驚いてライムさんを見上げる。
「昨日はお頭達に絡まれて散々付き合わされたせいで朝起きれなかった。……遅くなって悪かったな」
「ライムさん……」
かけ直されたサングラスのせいで表情の大部分はわからない。だけど、前方を見るライムさんの目はきっと、先ほどよりは優しくなっている。
そう思わせる力加減で掴まれた手が、手袋を介しているのにもかかわらずやたら熱かった。