黒の白さを抱いていけ
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その女に会ったのは今思えば必然だったのか。夜に会った女と言うよりは、夜みたいな女だった。漆黒の髪、黒尽くめの服装。なのに、肌だけは抜けるように白く眩しい。
闇から顔を出す青月のような女だった。
街の雑踏が視界の端で通り過ぎる。誰かの小さな悲鳴を自分の荒い息遣いがまた遮った。
俺は久し振りに踏みしめる大地を疾走している。楽しくて走ってるわけじゃない。単純に追われているだけだった。
「いたぞ! 回り込め!」
どこをどう曲がったのか。上が北なら右が東は正しいはずだが、振り切った奴らになぜか後方から追いつく自分がいる。
「チッ……! なんでここにいやがる……!?」
自動販売機。電柱。マンホール。目印にしたそれらを頼りに進んでも、シャッターの下りた「くすり」という看板の店舗に必ず行き着く。なぜだ。
首を捻り、回れ右してまた駆け出す。こんなことをしばらく続けていた。
海上で遭遇した海軍艦を適当にいなして撒いたつもりだった。だが、ここに上陸して仲間がバラけた途端に包囲されたのは偶然じゃないだろう。
海軍といっても一括りにはできない。勧善懲悪を信条にしているやつもいれば、属した組織がたまたま海軍だっただけのやつもいる。街中でもお構いなく発砲してくるあたり、今回は後者の方だろうと俺は踏んでいた。
やり方は気に入らないが、海軍は自分の中で殲滅させるべき対象でもない。適当にいなして撒く。それが妥当だ。
しかし、また「くすり」という看板が見えてくると、俺は重い疲労を感じた。この街は一体どうなってる。
自らの方向感覚に逆らうのは癪だが、半ばやけくそでその店の手前で曲がった。その途端、ぐるぐる巡っていた景色が急に色を失くす。入り込んだのは家が並ぶ裏路地だった。
目的地じゃない場所に立つ。これは自分としては非常に慣れた感覚だが。急にひと気もない薄暗い道に入ったことで、少し冷静さを取り戻した。
「……ったく。あいつらどこに行った」
上陸した時はナミとウソップが傍にいたと思うが、いつの間にか姿はない。こんな風に仲間とはぐれるのもいつものことだった。あいつらはすぐ迷子になるからだ。
薄暗い路地にはゴミが散乱し、まばたきを繰り返すように点滅する街灯が一つ。そいつが消えてしまえばきっと、ここいらは闇に包まれるのだろう。
――たんっ。背後から微かな気配を感じ反射的に振り向くと、小さな闇がのそりと動いた。周囲の暗がりに溶け込むような漆黒の毛の猫だ。
この路地に結構な勢いで飛び込んできた俺に驚くでも怖がるでもなく、ゆったりと眺めている。息を弾ませているこちらを安全な檻の外から見物でもしているかのようだ。
「……見てんじゃねェよ」
古びたライトのような黄色い目が、静かな視線のお陰で知性まで感じさせてくる。大人しくしているようで、手を伸ばせば確実に引っ掻かれるのだろう。
黒猫を縁起が悪いというやつもいるが、俺はそうは思わない。こいつはたまたま黒い毛が生えてきた猫ってだけだ。もし他の猫との違いがあるとすれば、やたら気位が高そうだってところだろう。
今も迷信に踊らされる人間を揶揄うかのように悠々と前を横切ってくる。普通は人間を警戒すると思うが、舐めてんのか。
俺の傍を平然と通過する猫が、目の前にあるゴミ箱に飛び乗った。その着地した音が、一瞬で空を切る音に掻き消される。ゾッと肌が粟立ち、俺は考えるより先にゴミ箱の前で身体を張っていた。
「――おい! こっちにいたぞ!」
「く……、」
銃弾に抉られた肩が燃えるような痛みを生み、それが逆に精神を研ぎ澄ませた。小さな気配が遠ざかる音に安堵しながら、瞬時に抜刀する。牽制に振った刀がそこらにあったゴミを派手に撒き散らし、追ってきた奴らが僅か怯む。
――こんなのは自分の剣じゃねェ。俺は渦巻く闘志を押し込みながら、一瞬の隙をついて路地の奥へと駆け込んだ。
細い路地は蛇行しながらどこまでも続いている。分岐した道の先に何度か明るい方角はあったが、俺はそっちには進まなかった。路地の出口を封鎖されている可能性を考えたからだ。
しかし、それが誤りだったとすぐに気付く。行き着いた先にはもう道がなかったのだ。
「クソッ……!」
押し迫る複数の足音に腹を決める。壁を背に剣の柄に触れた時だった。ガチャッという音と共に背に押し付けていた硬い感触が消え、俺は一瞬バランス感覚を失う。反転する世界の中、確かに温度が変わったのに、闇であることは変わらなかった。
背中を無様に打ちつけつつ目を見開くと、闇に浮く小さな炎に息を呑む。すぐ傍に誰かいる。即座に身を起こし構えたが、俺は声を発さなかった。蝋の上で揺れる炎が見せたのは緩く持ち上がる赤い唇で、その前に細い指が一本立っていたからだ。
ばたんという音と施錠する音。扉だったらしいそこのすぐ外から騒がしい足音が迫った。
「――こっちへ来て」
女であるということを示す鈴の音のような声に振り返ると、小さな炎はすでに先の方へと進んでいる。俺はそれと扉を見比べ、大人しくついていくことにした。
時折見える家具などから察するに、ここは一般的な家屋らしい。この女の家だろうか。ならば、なぜ照明をつけないのかという疑問は持たなかった。この家の窓の一つがさっきの路地に面していたからだ。
落とされていた照明がタイミングよくつけば、追っていた奴らが不審に思うだろう。つまり、この女は俺を匿おうとしているのか。
足元を灯しているせいで先を行く女のシルエットは曖昧だ。それは炎が生み出した影と何ら変わりなく、闇のように黒い。か細いヒールから覗く白い足首。そのすぐ上まで覆う衣服の裾が、女の肌の情報をそこだけに限定させている。
闇に慣れてきた目が腰まである髪を捉えた。一定のリズムで揺れていたそれが、ふと止まる。
ぼんやりと見える足元には階段が伸びていた。どうやら二階へ連れて行く気のようだ。いくつも続くそれが踏みしめる度にぎしりと音を立てる。慎重に耳を澄ますが、他に音はない。どうやらこの家の中には目の前の女一人しかいないようだ。
ぎいと開いた扉の前で女は横に避けたまま立っている。俺は毛ほども警戒を緩めることなくその前を通ると、先に室内に入った。すぐに扉を閉める音が聞こえ、次いで照明がつけられる。
暗闇に慣れていた目が一瞬眩まされるが、俺は構わず目の前の女を凝視した。羽織ったロングコートも腰まである髪も漆黒なのに対し、肌だけは抜けるように白く眩しい。伏せた目に金の光を垣間見せ、蝋の火を吹き消した唇は紅を引いている様子もないのに赤かった。
何か言葉を発そうとして、すぐに呑み込む。扉を叩く大きな物音が下から響いたからだ。女はハッとしたように燭台を棚に置くと、羽織っていたコートをその横に脱ぎ捨てた。
薄手の黒いワンピースから覗く陶器のような肌が露わになったが、それが見えたのは一瞬だった。室内の照明がまた落とされ、代わりに再び開かれた扉の先の照明がつけられる。
先ほど上がってきた階段の下に大きな扉が見えた。俺が入ってきたのが裏口ならば、あっちが玄関のようだ。そこからまた乱暴なノック音がする。
女は俺に振り返りもせず扉を閉めると、足早に階下に降りて行った。
応対するやり取りが短く聞こえ、次いで玄関が開く音がする。俺は姿勢を低くし、扉をほんの僅か開いて様子を窺った。すると、すぐに白い軍服が目に飛び込む。海軍だ。俺の手配書を女の前で掲げている。
「この男を見なかったか」
「いいえ」
「ここにはお前だけか? 今日はずっと家に?」
「ええ。もう寝るところでした」
その言葉に、女がコートを脱ぎ捨てた意味を知る。留守宅に俺が忍び込んだと思われれば、有無を言わさず中をあらためられるだろう。
「我々はそこの裏路地までこの男を追い込んでいた。いつもと違う外の騒ぎに警戒しなかったのか?」
「気にならなかったので」
「……この男は怪我をしている。ここいらは旗竿地で他に抜け道もない。何か知っていることがあれば正直に話せ」
「ここには私一人です。もし家の中でおかしな物音がすればすぐに気付くでしょう」
「言っておくが、我々に何か隠し立てをしようとすればどうなるか……」
海兵の一人が女に厳しい視線を向けた。すると、取り成すようにして別の海兵が前へ出る。
「まァまァ。いいじゃねェか。おれらはあんたの身を心配してんだよ。女の一人暮らしなんて物騒だろう? なんなら、おれらが傍にいて守ってやったっていいんだぜ?」
軽薄な言い方に海兵達の表情がふと緩んだ。顔の上半分は厳格なわりに、口は含むように笑っている。
「怪我をしてる奴はそう遠くにはいけねェ。もしかしたら、あんたが気付かない間にこの家に入り込んで息を潜めてるだけかもしれねェだろ。そう思うと怖いよな? だから、ここで朝まで仲良くしていようぜ」
疑い半分、下心半分てとこだ。俺は静かに歯を噛み締めた。
さァ、どうする? と形だけ問いつつ、海兵達が家の中に一歩踏み込んだ。俺は立ち上がる。相手は三人。だが、都合よく扉付近に固まっている。階上から奇襲し一振りで蹴散らせば、そのまま外に逃走できるだろう。
しばらく脈打つ度に訴えてくる痛みは忘れろ。次誰かが動いた時。それが合図だ。
海兵の一人が女に手を伸ばしたのと、俺が音もなく抜刀したのは同時だった。その時、張り詰めた糸を断ち切るようにして女がぽつりと呟く。
「……みんなあっちに走ってる」
「あ……?」
「――おい、そこ! 何してる!? あっちで目撃情報だ!」
「あ、はい! ……チッ。行くぞ」
外からの呼び掛けに海兵は去り、女が静かに扉を施錠する。そこまで確認すると、俺は大きく息を吐き出した。
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