お頭の右手になる話
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四皇に数えられる大海賊団。そのお頭の右手である私。
ということは、実質ナンバーツー? それはもう副船長。いっそベン・ベックマンと呼んでもらって遜色ない。
それが広まれば、「あの人が赤髪のシャンクスの右手だぜ?」なんて、どこへ行っても羨望の眼差しで見られるようになるのか。
そのうち、「伝説の女海賊、サクラさんですよね? 憧れてます!」とか言われて、急にサイン求められたらどうしよう。今からおしゃれなやつを練習しておくしかないな。
私は様々なサインの形を思い描きながら、そして少しニヤつきながら、肉や米を盛った大きなスプーンを差し出した。
「はい、あーん」
すると、期待を込めた目で見つめていたお頭がバクッと食らいつく。
頃合いを見てそっとスプーンを引くと、一粒の米も残っておらず綺麗なものだ。銀色の光を眺めながら、盛った量と引くスピードが完璧だったと自負する。
面倒で重労働だと思っていたけど、これは案外やりがいのある仕事かもしれない。
あと、お頭がまあるい頬袋を作って味わっている様子は普通に可愛い。野望で燃えていたこちらの顔もつい緩んでしまうほどだ。
「美味しいですか?」
「うん! うまい!」
幸せが止まらないといった感じでにっこり笑まれて、きっと私も同様の顔になっていた。自分のこのひとさじが赤髪のシャンクスを生かしている。そう考えるだけで気分が良い。
二人で顔を突き合わしてニコニコしていると、周りで食事を取っていた幹部連中から呆れたようなため息が零れた。
「ラブラブだなァ、お二人さん」
揶揄うように言われて、スプーンを持つ手が引っ込む。周囲からはそういう風に見えるのか。私は嫌々やらされているだけなのに。
「それで? 怪我の具合はどうよ」
その言葉に導かれるように、お頭の指を見た。人差し指と中指にがっちり巻かれている包帯は、この状況に身を落とすきっかけになったものだ。
二日前、島に停泊する際に錨を下ろすのを失敗した。岩の間に引っかかり、固定できないわ抜けもしないわで焦っていた私は、無理にウインドラスで巻き上げようとしたのだ。思えばそれが悪かったのだけど。
強引に引っ張られた船が傾き、足を滑らせた。そこに、急に抜けた錨のせいで、跳ね上がった鎖に挟まれそうになるという大失態。というより、命の危険を伴う大事故に繋がるところだった。
とっさに鎖を握ったお頭の指が巻き込まれるまでは。
ガラガラガラッという重い音と「イテェェェ!」という叫び声。それがいまだに耳にこびりついている。
あの局面で指二本にヒビが入っただけなんて、考えようによっては軽傷だったと思えなくもない。
ただ、船長であるお頭に怪我をさせたことも。隻腕である人の大事な指を使えなくしてしまったことも。この船のクルーとしては、かなり致命的なミスだった。
それでも自分は医者じゃないし、一日は無視していたのだけど。周囲の重い圧力に耐えかねて、私は渋々お頭のお世話を買って出た。そこから丸一日経って今に至るわけだ。
つまり、物理的な「右手」。そういった位置にいる。
軽く掴むくらいは自分でできるが、指を使う細かい作業は全般無理。ということで、朝、顔を洗うところから始まり、着替えと毎度の食事補助が主な仕事だ。
スプーンは持てないがお猪口は持てるらしいお頭の、椀子そばのような地獄のお酌も重要な任務の一つである。
トイレはなんとか大丈夫と聞いて、人知れず肩の荷を下ろしたのは内緒だ。成人男性のおむつ替えをするのは、さすがにメンタルがやられる。
「――平均より癒合は早いが、完治までって考えるとあと三週間ってとこだな。あくまでも無理しなければ、だが」
咀嚼しているお頭に代わって、ホンゴウさんが答えた。それを聞いて、自分の顔から薄っすらと笑みが引く。
あと三週間もかかるのか。これじゃ当面、島に遊びに行くのも無理だ。練習用にサイン色紙でも買いに行こうと思っていたのに。
そのまま包帯の巻き目をぼんやり見つめていると、隣から気遣うような視線を感じた。
「別にもう痛くねェけどな?」
お頭は私をちらっと見て、指を動かそうとしてみせる。ほとんど動いてはいないが。
二本の指はまとめて固定されている。添え木で固定するのをお頭が嫌がったために、こうなった。
だから、ほとんど動いてはいないが。もう大丈夫だというお頭なりの気遣いなのだろう。
怪我をさせた私にそんな優しさをみせるなんて。この人はなかなか器が大きいと思う。さすがナンバーワン。きっとサインもカッコいいに違いない。
「痛み止めが効いてるだけだ。骨折を甘く見んじゃねェよ。無理するとすぐにまたヒビが入っちまうからな?」
「無理なんかしてねェよ! サクラが全部してくれてるじゃねェか!」
な? と同意を求めるように傾けられた笑みが、殊の外可愛かった。ほんのりと、自分の奥底に眠っていた看護欲求に火がつく。
もちろんですと答えながら、もう少し何かしてあげてもいいかもなと考えた。
「とりあえず、なんかあったらすぐに連絡しろ」
「くれぐれも調子乗って外出んじゃねェぞ?」
「この際酒もやめちまえ」
お頭の様子を見に来たらしい幹部勢は、口々にそう言ってまた街へと繰り出して行った。それを見送るお頭はわかりやすくつまらなそうな顔をしている。
小さく肩を落とす様子を横目に、私は済んだ食器を急いで下げると、すぐにお頭にこう言った。
「あの、今日からお風呂に入っていいってホンゴウさんが言ってましたよ」
「ああ、濡らさないように気をつけろとか言ってたな……。でも、手にビニール被せて髪洗うとか考えると面倒くせェんだよ!」
言葉通り面倒そうに言ったお頭の言葉を遮るように、私は申し出た。
「大丈夫ですよ。私が洗いますから」
「……えっお前が髪洗ってくれんのか!?」
すっかり光を失っていた目がキラキラと輝き出したのを見て、つい笑いが零れそうになる。私はそれを隠すように得意げな顔をしてみせた。
「任せてください! なんなら背中も流してあげます」
「マジかよ! そりゃ嬉しいな……」
言い終わるまでに、柔らかな笑みがこちらに降り注ぐ。それを見て、私も同じように笑みを返した。
「ああっそこ……! もっと強く……!」
はいはいと言って耳の上を強めにわしゃわしゃすると、気持ち良さを極めたような恍惚とした声が響いた。
さっきから、これを偶然聞いてしまったクルーが腰を抜かすレベルの喘ぎが、湯気とともに立ち込めている。
「はい、流しますよー」
ざっとお湯をかけると、もこもこした泡が床に広がった。それを見ながら、ふうと汗を拭う。キャミソールに短パンだけど、すぐそこにお湯が溜まっているとさすがに暑い。
でも、お頭の髪は長くないし、量も多くないから洗いやすくて助かる。泡切れも早いし楽勝だ。
これがもし、サラサラロン毛のライムさんだったら大変だった。
しかも、「おい、トリートメントは毛先だけにつけろよ」とか、「乾かす時は根元からだろ? ……キューティクルに逆らうんじゃねェよ! 上から下にドライヤー当てていけ」とか、細かく注文つけられそうで気が遠くなる。
それなら、どれだけクルーが腰を抜かそうと、喘いでもらう方がだいぶマシだ。
何度か流した後タオルで軽く顔を拭いてやると、お頭はうまい酒でも飲んだ後のような、ぷはーっといった息を吐き出した。
「お前……めちゃくちゃうまくないか!? プロだろ!?」
「あ、プロですよ? 私、前は美容師目指していたので」
「マジか!? すげェな!」
「海賊で四皇の方がすごいです」
実際は目指していただけで、シャンプー係までで終わったのだけど。でも、その時は極めるつもりでやっていたので技術は確かだ。
それにしても、久々やると手が疲れる。あんまりお頭が喜ぶもんだから、つい全力でやってしまった。
明日筋肉痛になるかもしれないなと考えていると、お頭が満面の笑みで振り返った。
「自分で洗うのとは全然違ェ! なんつうか……お前手ェ小さいから細かいとこまで行き渡るんだよな? しかもすげェ丁寧だし。久々すっきりしたよ!」
その言葉を聞いて、ふと、普段から片手で洗うのは大変だったのかもしれないと思った。
というより、生活全般そうなのか。たとえば右の肩甲骨が痒かったらどうするのだろう。動物みたいに壁に擦りつけるのだろうか。
上機嫌なお頭の背中を流してあげながら、右手だけだと届かない場所を特に丁寧に洗うように心掛けた。
喘ぎ声には困ったけれど、気持ち良さそうにしているお頭を見ると、そのうち疲れは感じなくなっていた。
一応ビニールを手に被せたので、後は自分で洗えるというお頭を脱衣所で待って、身体を拭いてあげてドライヤーをかけた。
手櫛で整えている間、鏡をちらっと見ると、安心しきった顔で目を閉じているお頭が見える。上気している頬と相まって、幸せの二文字が顔に張りついているようだ。
私は髪を整える振りをして、お頭の頭をよしよしと柔らかく撫ぜた。
「はあ……なんか眠くなっちまった」
子供みたいに目をトロンとさせているお頭を部屋まで送っていって、ベッドに寝かせると上掛けを首までかけてやった。
別にそこまでしろとは言われてないけれど、早く寝て欲しかったのでそうした。お頭が寝てくれさえすれば、今日の任務は終了だからだ。
ありがとなと言って微笑むお頭を見ながら、これからゆっくりお風呂に浸かって、冷やしておいたアイスを食べようと考える。
今夜は見張り以外いないし、静かに本でも読もう。その前にパックして、いや、歯磨きを先にしてから部屋に――。
そこまで考えて、ハッとした。
「お頭……! 起きてください! まだ歯磨きしてません!」
「あ……? いいよ明日するから……」
「ダメですよ! さっき色々食べたでしょ!? 虫歯菌は明日に持ち越せませんから!」
寝ぼけているお頭を叩き起こすと、そのまま横に引きずって、ベッドから頭だけを出させた。
「はい。ここに頭を置いてください」
ベッド脇まで寄せた椅子の上に、まだ半分夢の中といった表情のお頭の頭を転がす。
「お口あーんして」
食事の時とは違って、渋々開けた口に歯ブラシを突っ込んだ。思ったより綺麗な歯だと思う。歯並びがいいせいだろうか。
だけど、普段右手だけでやると、どうしても右側に磨き残しがあるものだ。
右側を中心に力を入れずに丁寧に磨き上げ、洗面所まで連れて行って口をゆすいでもらう。
その頃にはもう、お頭は寝ぼけた顔ではなく、また幸せが溢れたような笑みに変わっていた。
「お前はなんでもうまいな! 歯磨きが気持ちいいなんて初めて知ったよ!」
「私、歯科助手のバイトもしてたので」
「マジか!? すげェな!」
「ここで船長やってる方がすごいです」
あらためてベッドに連れて行って、縫いつけるように上掛けで固める。顔から笑みがゆっくりと落ちていき、重そうな瞼が下りていく。それを見て、私は静かに扉に向かった。
手が使えないと、知らず知らず他の部位を駆使することになる。それは案外疲れるはずだ。
ゆっくりとノブを引いた時、ふと名を呼ばれて足を止める。
「お前がいてくれてよかったよ……」
静謐にそっと滑り込むような穏やかな声だった。耳から流れたそれが、胸をじんわりと温める。
振り返ると、お頭はもう目を閉じていた。私はしばらくその顔を見つめていたが、おやすみなさいと囁くと、船長室を後にした。