勝者の行方
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カリカリといった小さな音が耳に届くほどの夜の静寂。正確な機械のように動き続ける羽ペン。
それを握る手から順に辿っていって、下ろした髪の合間から覗く横顔は真剣そのものである。
ただいま、ベックさんは粛々と仕事中だ。隣にいる私は特にやることもないので、いや。本当は雑用が残っているのだけど、やる気がないので。メモ帳をもらって落書きに勤しんでいる。
好きな動物と花。あと、イチゴがいっぱい乗ったパフェも。こうやって好みのものを書いていると欲の輪郭が鮮明になっていい。
宝石とか高級なものはデザインまで詳細に描くと、それだけでなんだか満たされる。
ハートの形のダイヤとかいいかも。縦長じゃなく、横長のぷっくりした可愛いやつね。
この形にするには原石が大きいものじゃないといけないし、削ぎ落す部分を考えるとすごく贅沢。
海賊だから欲は多く、野望は高くて正解だ。
そうだ。ベックさんが好きなかまぼこも忘れずに書いておこう。
私は特に好きってわけじゃないけど、好きな人の好きなものだから、これから好きになるかもしれないし。
ベックさんはパフェは好きだろうか。このまま付き合っていけば、食べ物の好みも擦り合わせることができるかもしれない。
溢れるパッションに任せて、かまぼこがいっぱい乗ったパフェを書いてみる。
たっぷりの生クリームの中に、規則正しく並べられた半月。甘味の顔をした、魚介のうまみとぷりっとした歯応えの祭典。
そんな私の落書きを横目でちらっと見ると、ベックさんはふっと笑った。これは食べてくれる合図と受け取っていいだろう。
タワーのように盛られたそれを「悪くねェな」なんて言いながら。彼がモキュモキュ食べるところを想像するだけで幸せになる。
これはスプーンで食べるのだろうか。とりあえず、もしその日が来たらわさびは持参しよう。
一通り書ききって手持無沙汰になると、今度は彼の表情を見てこっそり吐息を漏らした。
男の人が何かに没頭する顔っていいよなと思う。
集中しているようで無防備なようで。カッコいいのになんだか可愛い。邪魔したくないような、でも、やっぱりかまって欲しいような。その狭間でむずむずする。
少し前の自分からしてみれば、こうして隣にいさせてもらうだけでも贅沢なことだ。だけど、しばらくこちらに向かない視線にもどかしさを感じてしまうのも事実だった。
罰ゲームで告白した私をすんなり受け入れて、全員の前で「付き合うことになったからよろしく頼む」と宣言したベックさんは、それ以来本当に恋人として隣にいてくれるようになった。
初めは戸惑っていた私も、最近では彼の甘さにすっかり溶かされてしまっている。
以前から優しかった彼は、付き合い始めると私をさらにどろどろに甘やかして。耐性がないこちらとしては、常に血糖値がレベルMAXで意識が朦朧としているような状態だ。
抱き締めて欲しい、キスして欲しい。普段はそんな欲を我慢させられることはない。自分の頭に浮かんだ時には実行されているからだ。
あれから一週間。そのたかが一週間の間に私は一生分の幸せを味わったんじゃないかと思う。
だけど。
今やってる仕事っていつ終わるのだろう。ちらっと見るけど、動き続ける手が止まる素振りは一ミリもない。
話しかければ普通に答えてくれる。そろっと頭をすり寄せると無言で撫ぜられるし、空いた方の手に触れればすぐに手を繋いでくれる。
しかし、羽ペンは止まらないし、視線は手元に固定のままだ。
普段難解なことにぶち当たっても、眉一つ動かさずに処理できるところには惚れ惚れしている。でも、こんな時だけは器用な彼が疎ましい。
ずっと私に優先的に使っていた時間のツケがきているのだろう。それを感じながらも、触れたい欲求は高まってくる。私はベックさんの髪に手を伸ばした。
入浴を終えたこの時間にしか下ろされていない髪。水分をたっぷりと含んだように、とても艶があって滑らかだ。
私が手の甲でするすると撫ぜると、ベックさんは何も言わず口角を上げて応えた。
女の私より綺麗なのはなぜだろう。髪って女性ホルモンじゃないのか。雄の代表格、というべきベックさんの髪がこんなに綺麗なのはズルいと思う。
結んでいるのも下ろしているのも様になってしょうがない。アップにしても、逆に短くても似合うかも。そう思ったところで、ちょっとした悪戯心が芽生えた。
「なにしてんだ?」
勝手に髪を結い始めた私に、ベックさんは手を止めずにそう言った。
「三つ編みです。ベックさんっておさげにしても似合うのかなあって」
笑いを押し殺してそう言った私に、ふとベックさんの手が止まる。
「おさげ」
反射のように口から出たその言葉は、疑問ではなく、文句でもなく、三つの文字が転がり落ちただけ、といった感じだ。
ベックさんは虚空に問いかけるように目を浮かせている。手を止めることに成功した私はしめしめと笑った。
しかし、それはほんの数秒のことだった。ベックさんは小さく頷くと、手をすぐにまた動かし始める。
「なら、とびきり可愛く頼む」
そう言ったきり、またカリカリと走る羽ペンを見て、私はついに白旗を振った。三つ編み途中の髪を離して、重い腰をどうにか持ち上げる。
「……今日は自分の部屋に戻りますね」
しおしおと言った私に、ベックさんは「そうか」と残念そうに返した。けれど、やはり手は止まらず視線は落としたままだ。……うん。それだけ忙しいってことだろう。
本当は今日も一緒に眠りたかったのだけど、基本的に眠るだけじゃ済まないし。ここ一週間私とべったりしていて仕事が追いついていないのは知っているし。サクラと付き合い始めてベックは仕事しなくなったとか言われるのは不本意だし。
どちらかというと、サクラと付き合ったからベックはよくなったよなとか言われたい。すげェいい彼女じゃん。ベックには勿体ねェよみたいな称賛も募集している。
そんなあげまん称号への野望が私を扉の方へと動かした。でも。
いざ扉を前にして、私は自らの胸に視線を落とす。
「今日は可愛いのつけてたのにな……」
扉相手に小さくぼやいた。恋人を飽きさせないように下着一つにも気を遣える女、サクラ。そんな称号もまたいい。
そうやって自分を慰めながらノブに手を掛けた時だった。急に背後でガサッ、カチャカチャ、パタンと忙しく音がする。
何の音? と私が振り向くのと、身体が浮くのは同時だった。いつの間にか、私はベックさんに抱え上げられている。
そのまま当然のように部屋に引き戻されるので、近くにあるベックさんの顔を見上げた。
「……え? ベックさん仕事は?」
「終わった」
見れば、羽ペンはペン立てに、インクの蓋はきっちりと閉められている。けれど、さっきまで山積みになっていた書類はただ分けて置かれただけといった感じだ。
「絶対嘘ですよね?」
「終わったよ。今日の分はな」
ベックさんはそのまま私をふわりとベッドに下ろす。特に抵抗もせずに見上げると、口角を僅かに上げている様子が窺えた。さっきまでは乾いていた目も、キラリと光を弾いている。
これはとても楽しみな時に出るやつだ。
「じゃあ、可愛いのを見せてもらおうか」
軽いキスを落とされて、シャツのボタンが流れるように外される。今日も血糖値がレベルMAXになる予感を抱きつつ、彼の上がった口角を見ながら、私も笑って目を閉じた。