The One
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「普通」とは都合がいいものだ。誰かにとっての普通は、また違う誰かの普通によって覆され、淘汰される。その際影響するのは、数の持つ力によるところが大きいだろう。十人のうちの一人が常識を訴えたところで、残りの九人からしてみれば、それは非常識となる。
大多数の「普通」だった自分も、淘汰された側の人間だ。「天竜人には逆らえない」。この恐怖をどれほどの数の人が抱いていることか。ずっと人間として生きてきたあたしはある日、”人間以下”の烙印を押された。
酷い火傷のようだったそこは知覚が損傷したお陰で痛み続けることはなく、何もないようにも思えた。しかし、忘れた頃にずくずくとした痛みを思い出させては、あたしの心を殺し続けていた。
揺れる感覚はベッドに寝そべるとより顕著に感じる。以前、忍び込んだ船の船底に隠れて木の床で眠った時よりは随分とマシだが。小さな船だったせいか、その時はどこかに掴まっていないと身体が転がって眠るどころじゃなかった。黴臭さが鼻をつき、重い湿気が肌にも髪にもまとわりついて気分が悪かったのを覚えている。
だけど、今このベッドで寝ている時よりも気が楽だった。誰にも縛られず、自由だったからだ。
「おい、また寝てるのか?」
ノックはなかった。ここは自分の部屋というわけじゃないから当然といえば当然だが。医務室であるここに寝泊まりしている自分にはまだ個室というものは存在しない。扉を開けるなりずかずかと入ってきた男はデスクの下に収められていた椅子を引っ張るとベッドの傍へ腰を落とした。
「今日は眠れたか? 飯は? 朝はきちんと食べたのか?」
問診のような質問が続くが、この男は医者ではない。なぜなら、ここにはきちんとした船医がいるからだ。窓から差す陽を受けて、朝焼けのように光る目がこちらを覗き込んだ。
「ラズ……お前はどうしたいんだ?」
赤髪のシャンクス。その通り名に違わない緋色の髪が目の横にかかっている。
「あなたこそ……あたしをどうしたいの」
「別に……。最初は家族の元に返そうと思ったが、帰らないって言うし……。あの国でスリなんかしたってどうせろくな生活送れないだろ?」
「あたしの生活があなたに関係ある……?」
「んー……。ま、ないな?」
二ッと笑った男は大人のようで子供のようでもある。思えば、シャンクスにスリを働こうと思ったのが自分の運の尽きだった。海賊なんてものを目にしたことがなかったあたしは、財布を掴んだ手を取られ、船に連れて行かれ、海賊旗を見せられても恐怖を感じなかったのだ。今までの狂った生活で頭のネジが完全に外れていたというしかないだろう。
食堂に引っ張って行かれ、差し出された料理には毒でも入っているのだと思って、逆に手を付けた。生きる為にスリを働くのに、それで殺されてもいいとどこかで思っていたからだ。
しかし、食べても食べても自分を殺さないその料理の味が次第に広がって、胃が熱く重くなったのを感じた時、自分がとても空腹だったと知ることになる。テーブルに何か雫が散ったので不可解な気持ちで頬を押さえると、それは自分の目から零れた涙だった。
ちょうど出航するところだったらしいその船は、あたしを乗せたまま島を離れた。何かの手違いと思ったが、そこから何日経っても一向に解放する気配が感じられないと、あたしは一人納得した。この海賊は明確な目的を持ってあたしを攫ったのだと。見たところ、ここは男だけのようだから、自分の役割はそういうことかと。
何か言いたげにこちらをじっと見詰めてくるシャンクスに、来たか、と思う。いつでも起きれるにもかかわらず、私は身体を起こさなかった。シャンクスの気配が揺れたので、静かに目を閉じるだけだ。
「――見ろよ」
瞼を重く開けた瞬間飛び込んでくるものに虚を衝かれた。自分の目の前には花の集合体が浮いている。小さくて可愛らしい白い花をつけた一房は、目の前で見ると大きな花束のようだった。花の種類に明るくない自分でもこの花は知っている。カスミソウ。よく他の花の引き立て役のように周りに添えられている、とても小さな花だ。
「お前に似てるだろ?」
「え……?」
酷く戸惑っているあたしの手に花を握らせると、シャンクスは立ち上がった。
「今日中には個室を用意させるよ」
そう言い残して部屋を出て行った男の背中を、あたしは理解できずに見詰めていた。
部屋を移ってからもシャンクスは毎日のように顔を出し、色んな話をしてきた。補給目的で寄った島から帰ってきた時なんかは、土産と称して色々なものを渡してきたりもする。それは服やお菓子や、時には下着などもあったが、あたしはその都度無感動に受け取るだけだった。ニコリともしないあたしを見て、シャンクスの方はというと、なぜか必ず嬉しそうに笑っていた。
シャンクスの不可解な言動にあたしはまともに礼も言わなかったが、もらったものをわざわざ粗末にするようなこともしなかった。服や下着はちゃんと身に着けるし、お菓子だって口にする。以前もらったカスミソウも、シリンダーのように細い花瓶に入れて毎日水を変えていた。
しかし、今日渡されたものは、初めて受け取らなかった。
「これは……着られないわ」
「気に入らなかったか?」
「……そうじゃない」
シャンクスが渡してきたのは、シンプルだが、背中の大きく開いたドレスだった。髪である程度隠れるといっても、完璧に覆い隠せるわけではないだろう。しばらくあたしの様子を見ていたシャンクスが、そうか、といって引っ込めようとしたところに、別の男が割って入ってくる。
「おいおい、気に入るものしかいらねェってことか? 随分とお高くとまってんなァ、あんた」
金色の髪が襟足まで伸びているこの男は、確かライムジュースという名前だった。あたしを船に乗せることに最後まで反対していた一人だ。
「やめろ、ライム」
とめたのは、また別の男だった。ベン・ベックマン。副船長というポストにいるだけあって、いつも冷静で寡黙な男である。
「ああ。おれが勝手なことをしただけだ……。それに、ラズにだって断る権利くらいあるだろ?」
取りなすように言ったシャンクスはいつものように笑っていたが、ライムジュースはよほど納得がいかないのか、後ろに引きながらも続けた。
「お前が今身に着けてる服だって、いつも食ってる飯だって、タダじゃねェんだよ……」
「ライム」
再度窘められて、返事の代わりにチッという音がする。
「おい、どうした?」
ちょっとした騒ぎに反応して、他のクルーも集まって来た。平和な航海が続くと、ここの連中は揉め事を求める傾向にある。こんなことになるのなら、部屋から出なければよかった。あてがわれた部屋からあまり出ることもないあたしが外に出たのは、シャンクスに呼ばれたからだ。大きな声で。何度も。
「やっぱり、それもらうわ……」
シャンクスの手にあったドレスを引っ手繰ると、あたしは身に着けていた方の服に手を掛けた。突然脱ぎ始めたあたしに、男達はわかりやすく目を剥いた。
「うわっ! 何やってんだお前!?」
「着替えるのよ」
「ちょ、ちょっと待て! ……バカ! お前ら見るな! 見るんじゃねェ!」
騒然となっている男達を尻目に、あたしは淡々とドレスを身につけた。
「――どう?」
「おい、お前、指の間から覗いてんだろ!」
「いや、お前もだろ! ……って、え?」
「……感想を聞いてるのよ」
最初から背を向けていたあたしは、髪を肩の前に流した。平然とやってみせながら、髪に挿し込んだ手に緊張が奔る。背に陽射しを感じた。久し振りに感じる、焦げ付くような熱だ。知覚がないはずの傷が痛んだ。表面の黒く変色した皮がメリメリとめくれて中から水膨れが盛り上がり、弾け、いまだじゅくじゅくとした組織から体液が流れる様を想像した。
本当にそうなるのではないかと思った時、その気配がふと消える。見覚えのある黒いマントが、そこにあるすべてのものを遮っていたのだ。
「……悪かった」
マントに添えられた手に肩を包まれると、あたしはそこで初めて、自分の身体が震えていたのに気が付いた。
それからというもの、あたしに何か言う人間はいなくなった。代わりに腫れ物に触るような扱いをされることも増えたが。唯一変わらないのはシャンクスで、相変わらずあたしの部屋にちょこちょこ顔を出しては一方的に喋ったり、ちょっとしたプレゼントを渡してきた。自分がここにいる理由は依然として見付からなかった。しかし、シャンクスという男に対しての抵抗は日ごとに薄れていった。
「――うわァァっ! デケェ! おい、そっち! そっち行ったゾ!!」
「ゲッ! おれの方来た!! ああっ! 飯に近付くんじゃねェ!!」
ある日のここは朝から騒々しかった。寝ぼけた目を擦り部屋から出ると、キッチンの方から複数人が騒いでいる声がする。どこかから襲撃でも受けたのかと思ったが、悲鳴に近い切実な声の中に笑い声も混じっているところをみると違うらしい。あたしはその声の方角へと足を伸ばした。
「よし! おれが仕留めてやる! ……うわ! こいつ飛びやがった!」
「わわ! こっち来るなって……」
――ぱしっ。
扉を開いた途端に飛んできたものを手で掴むと、それまで騒々しかったのが嘘のように静かになった。
一瞬の後、今までよりも大きな悲鳴が上がる。主に、ガブという強面の男から上がったようだ。
「げェ! お前、手で……!」
「そ、それ……怖くないのかよ!?」
あたしは自分の手の中の物を見る。黒く光沢のあるボディからわしゃわしゃと動く手足。これはいわゆる、「G」というやつだ。自分の掌からはみ出るほどの大きさだが、掴めるサイズには違いない。
「……怖い? こんなに小さいものが?」
人間の方が怖いじゃない、という言葉は続けないでおいた。自分の手の中でもがくことしかできない生物はか弱くて、哀れだ。食事中だったらしい皆は、一斉に手を止めてあたしの挙動を見守っている。あたしはその視線を振り切るように傍にある窓までツカツカと近付くと、手の中の物を放り投げた。可哀想だけど、多少飛べたとしても海の中では生きられないだろう。
「――なァ、ラズ。何ですぐに殺さなかったんだ?」
シャンクスだった。彼がずっと面白いものを見るような目で自分を見ていたのは知っていた。
「虫が嫌いな人は、死骸を見るのも嫌でしょ?」
あたしがガブの方をちらと見て答えると、ビビり過ぎて半泣き状態だったガブはさらに目を潤ませた。
「ありが……とう。ラズ」
感極まった顔でそんなことを言われると、どうしていいかわからなかった。いまだ引いている様子の皆の中でどうにも気まずさを感じ、そのまま出て行こうとすると、すぐにシャンクスに引き留められる。
「せっかく来たんだ。ここで一緒に食ってけよ」
「え……」
戸惑うあたしに、ベックマンがすぐに席を立って近寄って来た。
「お頭。女性にはエスコートが必要なんだぜ?」
手慣れた感じであたしを優しく促すと、ベックマンは空いていた席の椅子を引いてくれた。ぎこちない動きでなんとか腰を下ろしたのはいいものの、ずっと注目されているようで落ち着かない。背の焼印を見せて以来、シャンクス以外の人とはあまり関わらないようにしていたからだ。この船で自分のことをお荷物だと思っている人間がどれほどの数いるのだろう。
――コトッ。その時、目の前にグラスに入った水が置かれたので、その手を辿って斜め後ろを見上げる。
「ほら。飲めよ」
ライムジュースだった。あたしを一瞥してすぐに目を逸らした彼は、とてもきまりが悪い顔をしている。
「その……前は悪かったな」
去り際にぼそりと呟いた男をキョトンと見上げていると、入れ替わるようにしてルウという男が食事を運んできた。彼は確かコックだったと思うが、あたしの前に食事が盛られた皿を置く仕草がどうも不慣れな感じがして仕方ない。なんなら、あたしにできるだけ近寄らないようにしてるみたいだ。丸みを帯びた巨体は遠い。
「はは! ルウは女が苦手なんだよ!」
急に隣に腰掛けてきたのはヤソップという男だった。外見からしてすでに陽気な雰囲気を持つ男が座った拍子に、がたがたっと一斉に椅子を引く音に囲まれる。
「じゃあ、あらためて食うか!」
気付けば、あたしを中心とした輪が出来上がっていた。虫騒動で席を立っていた皆が戻ってきてテーブルを囲ったのだ。
「ほら。食えって! ああ、お前しっかり手ェ拭けよ?」
向かいに座ったシャンクスが自らも食べてみせながらそう言った。あたしは傍に置かれていたおしぼりできちんと手を拭くと、スプーンを持ち上げて、まだ湯気が立っているオムレツを一口頬張った。
「……美味いかよ?」
咀嚼するあたしを見て目を細めたシャンクスに頷く。どうしてこの人は、食べてる自分を見ただけでこんなにも嬉しそうに笑うのだろうと不思議だった。しかし、ふと周りを見渡して気が付く。嬉しそうに笑っているのは、シャンクスだけではなかったのだ。
周囲にいる皆は、関係ない話をしたり、嫌いなものを押し付け合ってふざけたりしながら、時折あたしの方を見て笑っていた。相槌を求めるように。反応を見たくてそうしているように。――この輪の中に、自然と溶け込めるように。
「みんなで食うと美味いだろ」
再び目を細めたシャンクスに、あたしはもう一度頷いてから口を開いた。
「ありがとう……みんな」
「えっ……」
そんなに声を張ったつもりはなかったが、周囲から驚いたような視線を一斉に浴びる。何年振りかわからないが、自分は自然と笑っていたのだ。
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