ある。


 私は苛立っていた。たまたま上陸した島で、たまたま町に出たタイミングで、たまたま以前付き合っていた人に出会って。

 「愛してる」、「別れたくない」。そう言って別れた人だった。互いに進む道が違ったのだと、そう結論付けられるまでには、どれほど泣いただろうか。
 なのに、今になって、一緒に来ないか? と誘われた。私はもちろん断ったけれど、もしあの時そう言われていたら、きっと何を捨ててでもこの人について行ったのだろう。

 何も感情が動かない振りをして、軽く笑って別れた。自分を捨てたこの人にそういう態度を取ることで、小さな復讐をしたような気持ちもあったと思う。
 そんなことを考える時点で、未練があるのは私の方だったのに。


「――それで? きちんとお別れできたのかよ? 気ィ引きたくてあんな態度取ったんだろ。……ったく、未練たらたらだな、お前」


 私は目の前の男にそうとは気付かれないように歯を食いしばった。たまたま以前付き合っていた人に会って、再びお別れをしたタイミングで、たまたまそれを見ていたのがこの男、ゾロだ。
 普段はそんなことないのに、こういう時に限って間が悪い人っているんだなとか思う。


「気引きたかったし、未練たらたらだった。……でも、きちんとお別れしたから。あと、ゾロには関係ない!」


 そう言ってゾロの脇をすり抜けようとした。過去の傷が思いがけず現れて、今は人といたくなかったのだ。特に、事情を知られてしまったこの男とは。


「待て。関係ないってことはねェだろ? あの男は海賊だよな? ……命取られるかもしれねェって時に、お前はあいつを手にかけれんのか?」


 ぐ、と独りでに口が結ぶ。
 ゾロはお喋りな方じゃないけど、たとえ苦言を呈す形になったとしても、言うべきことは言う人だ。その潔さが今は忌々しく感じてならない。

 悪いことをしてるわけではないのに、ゾロに見詰められるだけで酷い罪悪感がじりじりと自分を追い詰めてくる。こういう、ゾロの人を見透かすようなところは苦手だった。自分がずっと感じている苛立ちは、一番見られたくなかったところを一番見られたくなかった人に見られたからだ。

 きっと、見られたのが他の仲間ならばこんな思いはしなかっただろう。


「……今は答えられない」

「どういう意味だ?」

「嘘は……つきたくないから」


 これ以上話してたらブチ切れるか泣き出すかしてしまいそうだ。私は目の前からどきそうにない男から顔を逸らした。だいたい、少しそっとしといてやろうとか、見なかったことにしてやろうとか、ゾロにそういう優しさはないのだろうか。


「……仲間より自分より、あの男が大事ってことか」


 呆れたような怒ったような言い方をしたゾロに、私はただ俯いた。空気が読めないわけじゃない。どちらかというと、空気を壊してでも一度引っかかったことは先延ばしにしないのだ。この、ゾロという男は。


「そんな簡単じゃないでしょ……」

「はっ! 難しくしてんのはお前だろ!」


 ああ言えばこう言う。そんな問答に嫌気が差した。この人の質問に真っ向から答えても、そうかわかった、とはならない気がする。私は深く息をついた。


「……ゾロは人を好きになったことがないの?」


 少し疲れてきて、呆れたような言い方になる。すぐに何か言い返されるだろうと思ったのに、予想に反して、ゾロは何も言わなかった。
 急にゾロが黙ってしまったので、おかしな静寂が二人の間に生まれる。言い合いになった時より、取り巻く空気が一段階重くなった気配がした。自分は何かまずいことを言ったのか。そんな思いでゾロを見上げる。


「――今、おれになんつった?」

「え……?」

「もう一遍言ってみろ」


 うわ。チンピラとかが喧嘩する時に言うセリフだ。目の前の男の顔付きも相まって、私は縮み上がりそうになった。何もなければ精悍なゾロの顔はどこから見ても人相の悪いそれになっている。
 何か言うのは憚れる気もしたが、かといって、言わなければもっとまずい状況に陥りそうな何かを孕んでいる。私は仕方なく繰り返すことにした。


「だから……ゾロは人を好きになったことが……っ」


 その時、視界に何かが飛び込んできて、私は言葉を詰まらせた。もう一遍言ってみろと言ったくせに、こちらが言い終わるのを待たず、ゾロが手を伸ばしてきたのだ。あまりに急な出来事だったので、私はとっさに動けない。もしや殴られでもするのかと、そんな恐怖が目を見張らせる。
 しかし、ゾロの手は私の頬に触れたと思ったら、そのまま滑って行って後頭部を包んできた。ぐい、と後頭部を押さえつけられて驚く暇もなく、ゾロの顔が目前に迫る。

 ――ある。

 その短い言葉が聞こえた瞬間、それを発した唇が自分のそれと重なる。え? え? と目だけ動かすけれど、思いがけず柔らかくキスされて、私はいつの間にか目を閉じていた。
 戦闘中は鬼神のように刀を振るゾロの手が、私に優しく触れる。いつも厳しい言葉を発する唇は、今は私を甘やかすように柔らかく動いた。

 ふと、唇を離されて、そっと抱き締められる。展開に思考がまるで追い付かないのに、胸が勝手に熱くなった。ゾロの高い体温がとても心地いい。服越しでもわかる卓越した筋肉にとてつもない安心感が募る。


「……もし嫌なら、おれにわかるように抵抗してみろ」


 いつでも離してやる。そう言われて、私は抵抗しなかった。
 私があの人を忘れられたのは、ゾロがいたからで。苛立っていたのは、前の恋人を今好きな人に見られたからだから。





fin&nextstory→バカは余計だ
This short story was written in2024.
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