A pickled plums
「――殺されてェんなら……そう言え」
俺は目の前の女にそんな言葉を投げつけていた。
ただの女じゃない。生まれて初めて愛しいと、そう思えた女だ。なのに、甘ったるい台詞を囁くわけでもなく、今自分の口からぽろりと零れ落ちたのは、どうにも脅迫めいたそれ。
そして、目は開ききったまま、唇は震え、喉奥からやっと絞り出した声は自分のものじゃないように掠れていた。
「あら……好き嫌いはダメよ? ロー」
目の前の女、ロビンはいつものように笑み、それを平然と俺の鼻先に突き出した。鼓動は乱れ、嫌な汗が全身に滲む。怒っているのだろうか。いや、怒っているのだろう。
俺の目の前に出されているものは握られた米だ。ただし、それは表面に非常に薄く覆われているだけ。米の合間から覗く赤々しいもののお陰で、全体がそれに近い色となっている。
赤い米が実在するのは知っているが、それとは明らかに違う。夥しい不穏さを隠し切れず、結局もろに前面に押し出す形となったこれは、ただならぬ悪意の産物だ。
この食物の主成分は――、梅干しに違いない。しかも米と具の分量がてんで逆になったかのような代物を、口に運ぶよう迫られているのは今この瞬間、広い世界の中でも俺だけではないだろうか。
瞬間最大梅干し――。
そんな文字を頭に浮かべ、愕然としたままの俺にかまわず、海で好き嫌いしていると命に関わるといった内容を、ロビンは静かに説いてきた。
この場合、好き嫌いで括れる次元をはるかに超越している。どれだけ好きな奴でも必ず二の足を踏むと。そう確信できるだけの力を、こいつは持っていた。
これを食べるくらいなら死んだ方がマシだと睨み付けた俺に、ロビンはにべもなくその皿を押し付けてくる。食べるまで許さないとでも言うつもりか。しかし、こんな仕打ちをしようとする理由は一体なんだ。
揺らぐ視界と同様、脳内もめまぐるしく働いた挙句、わかったのは自分が吐きそうだという事実だけ。俺は生涯最悪の敵を前に、膝から崩れ落ちそうな絶望感を味わわされていた。
「食べてみたら? お酒の後にはいいって聞くし……わたしは美味しくて好きだわ」
それはあくまでも少量の場合だろうと突っ込みたくなりながら、実際は絶句していた。この尋常じゃない塊が身体に良い作用をもたらさないのは、医者でないこいつにもよくわかっているはずだ。
――俺を殺す気か、この女。
「――随分と飲んだんでしょう?」
「あァ……?」
「楽しそうに話してたわね。ついさっきまでみんなと――……ラウンジで」
最後の言葉を聞いて、俺は身の毛もよだつ思いがした。食事の後、残っていた奴等と酒を酌み交わしながら、確かに俺は珍しく話をしていた。大量に飲んでいたせいか、皆ほどよく酔いが回り、いつもより饒舌になっていたのだ。
男が酒の席で語らう話というのは、希望に満ち溢れた夢物語などではない。耳にした女子供は揃って嫌悪するであろう、下世話な内容だと相場が決まっている。だから、先に休むと言った航海士と共にこいつが退室したのを見て、俺達の心と口は一気に緩んだのだ。
「あなたはとてもモてるのねェ……感心したわ」
とても緩やかなわりに、触れたら切れそうなほど鋭く研がれた語気は、目の前の赤い塊と同等の不穏さを出している。
聞いていたのか。調子付いた奴等から煽られて、つい口から滑らせた俺の武勇伝を。
「……見たこともねェ女に、」
「妬いてないわ。感心しただけ」
今のが引き金を引く行為であれば、こいつは躊躇い無く俺を撃っていただろう。それも恐らく、急所に近いところをふんだんに。そう思わせる残虐性をちらつかせながらロビンは続けた。もうその顔にいつもの笑みはない。
「特に感心したのがあの話だわ……。どれだけ時間が経っても脳はその女を忘れない。感情を司る所と嗅覚を処理する所は同じだから、その匂いを嗅ぐといつでもその女を思い出す……」
俺はハッと顔を上げて、そっぽを向いたまま淡々と語っているロビンの横顔を見た。ほんの一瞬絡んだ視線がまた離れたのは、俺がすぐに逸らしたからだ。
「どんな香りで思い出しているのかしら? ……その人は幸せね。あなたの脳にいつまでも記憶されているなんて」
酷くばつが悪い思いがして、今度は俺の方が萎びた横顔を晒した。頬に刺さる視線は相変わらずぴりぴりとした痛みをもたらして、これ以上ない不快感を押し付けてくる。
すぐにでも全身を牛耳ってしまいそうなそれに、もう耐えられそうにない。俺は吸い込んだ量と倍の息を吐き出すと、観念したように項垂れた。
「それは――……お前のことだ」
「え?」
こびり付いた毒が一気に霧散したかのような顔で俺を見たロビンは、思いがけない言葉の意味を反芻しているのか、口を開けて静止したままだ。
気まずく逸らした俺の横顔に、真偽のほどを確かめるように送り続けていた視線が、ややあって動き出したのを感じる。俺が顔を戻すと、視界の大部分を支配していた赤いものが降りていって、測量机の上へと静かに移動したのが見えた。
「わたし……やっぱり好きだわ」
俺はロビンと皿の上の物を見比べると、まだ言うかとばかりに思い切り眉を顰めていた。
「食いもんの好みが合わねェのは致命的だ」
そう苦々しく言った俺に軽く微笑むと、ロビンは小さく首を横に振った。
「違うわ。あなたのこと。……大好きよ、ロー」
その言葉に俺はまた目を見開いていた。唇は震え、喉は掠れたが、それは恐怖によるものではない。
「――犯されてェんなら……そう言え」
にっこりと笑むロビンを引き寄せ、胸にしまった。嫉妬してこんなことをしてきたのかと考えれば、逆に愛しく感じるほどだ。俺は髪を撫ぜながら熱い吐息を漏らした。
しかし、俺はロビンに唇を寄せる前に、悟られない程度の動きで身体を反転させていた。
愛しい女越しに見える赤い不穏を、一秒でも早く、視界から遠ざける為に。
fin.
This short story was written in 2013.
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