fiction

「え、千尋?」
「はよ」

 下駄箱に靴を入れていると、手をひらひらと振る千尋と出会った。

 オレの登校する時間帯は、いつもこれぐらいだけど、千尋がこの時間に、ここにいるのは変な話だ。大抵、教室に荷物だけ置いてから、朝練に行っているはずなのに。

「あれ、今日来るの遅くない? 朝練は? サボり?」

 千尋はまあまあ真面目に練習はしてるみたいだけど、ウチのバスケ部は強豪校みたいで、千尋はスタメンどころか、一軍に入ることもなかったらしいから、サボりたくなる気持ちもわかる。

 まあそういうこともあるだろう、と思って問いかければ、千尋は少し視線をさまよわせたあと「……あー。辞めた」とだけつぶやいた。

「え、辞めたの? どうせなら最後までいればよかったのに」
「もういいんだ。だいたい、ここのバスケ部は、オレの身の丈には合ってなかったんだよ。レギュラーどころか、一軍だって夢のまた夢だったな」
「そう? なら、放課後も一緒にいられるね」
「だな」



 千尋と横並びになりながら、教室に行く道を歩く。三年生は三階だから、二回も階段を登らないといけないのがだるい。でも幸い、教室で千尋とオレは、席は前後だ。

 不思議なことに、何度くじを引いても、オレたちは毎回前後になる。必ずオレが前で、千尋が後ろ。オレの方が背が低いから、逆じゃなくてよかったとは思うけど。

 朝のチャイムが鳴るまで、千尋はラノベを読みたいのか、机の上に本を出した。けれど、彼の目線は本には集中していない。むしろ、千尋を見ている、オレをじっと見ている。

「それでさ」
「なに?」
「おまえの正体って、オレ以外気付いてねーわけ」

 おまえ。正体。

 なんでもない世間話のように語られる言葉。それに一瞬動きが止まって、それからオレは目を細めた。

「んー……。たぶん、千尋しか知らないと思う」
「だよな。さすがに誰かが気付いてたら、何かしら反応するだろうし」

 おまえ、ばけものだもんな、と小声で言われる。たしかにその通りだ。オレはばけもの以外の何物でもない。元々は由緒正しき神の類だったのに、いろいろあってこのザマだ。

 今の身体は、人間のものだから、千尋以外に視えないということはない。だから普通に振る舞えるし、周囲もオレの存在がおかしいとは思わない。

 でも、めったにいないとはいえ、視える側の人間には、オレが人間じゃないって気付かれる。気配までは人間の真似ができないせいで。

 とはいえ、この高校には、視える側の人間はいないみたいだった。いちばんそういう可能性がありそうな、あの目立つ赤髪の子も、オレのことには気付かなかったのだから。

「偶然装って、赤髪ちゃんに近付いたこともあったけど、無反応だったよ」

 残念だったよと告げれば、本当に面白いものを見たかのように笑われる。千尋がこんな顔をしているのは珍しい。

 表情筋が仕事してないことが多いのに、こういうときだけは、表情がころころ変わって面白い。

「赤司ですら無反応だったのかよ。ウケるな」
「え、そんなに?」
「だって、あの二次元みたいなスペックの赤司ですら、おまえのことがわかんねえんだろ? なのにオレだけわかるなんて、変な話もあるもんだな」

 オレは普通の高校生なのにな、と千尋は笑う。なにがそんなに、ツボに入ったんだろうか。

 それに、赤髪ちゃんは、千尋の話を聞く限りでは、いろいろな意味で人間離れした人物らしいけど、オレの正体を看破できるかどうかは別問題だろ。

 千尋がオレの正体を知っているのは、実は彼が普通の高校生じゃないとか、たとえば特別霊感があるとか、そんな理由じゃない。

 千尋本人に自覚はないだろうけど、オレだけはその理由に、心当たりがある。彼には言わないけどさ。

「千尋の家系さ、神父さんとか、神主さんとかじゃないよね?」

 神やら何やらに縁が深い家系なら、時折視える子も産まれてくるけれど、オレは今まで、千尋の家がそういった家庭だとは聞いたことがない。

 実際、千尋はなんでもないふうに「教会とも神社とも関係ねーな。ついでに寺の息子でもねーよ」と教えてくれた。オレはそれに、そっかとだけ返事をした。

 結局、千尋がラノベのページをめくる手は、全然進んでいないまま、時計の針だけが動く。あと一分もすれば、チャイムが鳴って、朝のホームルームが始まる時間だ。

「おい、そろそろチャイム鳴るぞ」
「スマホ隠しとかないと、没収されちゃうねえ」
「……いつも思うが、おまえはどうやってスマホとか契約したんだ?」
「ん? 気になる? でも内緒」
「木曜深夜のアニメよりかは気になんねーよ」
「あ、そう」

 このトーン、間違いなく冗談抜きで、深夜のアニメの方が気になってるときの千尋だから、わざわざ説明はしなくてもいいみたいだ。



 やっとのことで、六時間まである授業が終わった。いつもなら、ここで千尋は部活に行くから別れるところだけど、今日からは千尋と一緒に帰れる。もう彼は部活を辞めたから。

 そう思ったのに、千尋の向かう先はなんと屋上だった。え、帰らないの? と言えば、ひとりで帰ってればいいだろ、なんて言われた。

 千尋のばか。そんなこと言われたら、オレも行かなきゃいけなくなるじゃんか。

 けど、じゃあ屋上に行って何をするのかというと。ただ千尋は、そこで本を読んでいるだけだった。

「せっかく部活辞めたのに、放課後にやること、それでいいの?」
「あ? いいよ、オレは好きで読んでるんだ。文句あるんなら帰れ」

 おまえがいると集中できねえんだよ、とは言いつつも、オレを無理やり追い出したりしないあたりが好きだ。

「文句とかじゃないけどさ。それ、たしか『けのとと』だっけ?」
「ちげえよ。けのとととは絵が全然違うだろ」
「見分けつかないんだけど」
「おまえからすりゃ、全部一緒だろうな」

 呆れたような声で言われる。千尋は、ぜんぶ見分けが着くらしい。オレはそのへんの人間のこともそうだけど、こういうアニメっぽい絵も、まったく違いがわからない。

「オレからすれば、千尋かそれ以外かだもん。人間でも、二次元でも一緒なの」
「んなわけねーだろって言ってやりたいところだが、おまえが言う以上、無闇に否定もできねーな」

 神さまだかばけものだかと、オレは視点が違うからな、と皮肉げに言われる。

 たしかにそうだ。見た目を人間に近付けて、人らしく振舞ったって、結局のところオレは人間にはなれない。人間のふりをしているばけものにしかなれない。

 そしてそんなオレに、思うところがあったのか、千尋は「……なあ、おまえさ」なんて言う。

「なに?」
「この先、どうすんの」

 彼の言う『この先』は、おそらく進路のことだろうと見当をつける。普通の高校生なら、受験する大学がどうのみたいな、先のことを考えなくちゃいけないけど、オレはどうともできるし。

「どうするも何もないかな。何も決めてない」
「……なら、人間みたいに大学行って、そのうち働いて暮らす可能性もあんのか? ばけもののくせに」

 人間になりたいなんてバカバカしいな、と吐き捨てられる。こういうとき、千尋が何を考えているのかわからない。

 オレが人間じゃないという事実を、きみはどう思っているのか。どうにも怖くて聞けやしない。

「んー。でもそうだね。強いて言うなら、オレは千尋のそばに居たいかな。それがオレの進路ってやつ?」

 笑えば、先を考えなくていい神さまは気楽でいいな、なんて言われる。

「そうかよ。……そんなに物珍しいのか」

 ぽつり、と彼がつぶやいた言葉は、本当に疑問に思ってそうな声だった。だから、オレもそれに、茶化したりなんてせずに答える。

「珍しいよ。まあ、オレの本当の姿が視える人間、って括りだと、千尋以外にもいるかもだけど」
「この学校にもか?」
「この学校だと千尋だけだと思うよ。赤髪ちゃんですら、オレの正体は知らないんだから」
「……おまえまで赤司を基準にするのかよ。んで? それだけじゃねえだろ、言いたいことは」

 苦虫を噛み潰したような顔。ああやっぱり、千尋はそういう顔が似合う。皮肉げな顔も好きだけど、オレは千尋の、こういう、少し困ってそうな顔が、ずっと前から好きだった。

 そして同時に、千尋はひどく賢い、と思う。

「うん。やっぱり千尋は賢いね。本当に、きみは珍しいよ。視えるかどうかってところがじゃなくてさ」
「そうかよ」

 千尋はオレから目を逸らす。そのためだけに、ラノベを読むふりをしている。こういうとき、すぐ本に逃げるのは、千尋の悪い癖だ。

「オレの正体を知っても、こうやって普通に接してくれる人間って、本当にいないの。だから特別」

 ――これだ。

 オレが千尋を、特別だと思っているのは、こういう理由だ。

 視えるだけなら、全国を探せば、たぶん千尋以外にもいる。けれど、そういう視える人間は、当たり前だけど、オレみたいな存在は警戒する。

 だから、視えるにも関わらず、普通に接してくる千尋は、オレにとっては異質そのもので、特別だった。

「そうか? ……まあ、オレは自分が大好きだからな。オレに危害を加えないなら、人間でもばけものでもいい。おまえはオレに危害は加えねえ、そうだろ?」

 そしてこういう、自分がよければいいという、ひどく利己的なところが、オレは本当に大好きで仕方ない。

 オレとこうやって付き合いを続けている以上、どこかおかしいのは間違いない。

 けれど、千尋は正気だ。正気のまま、ばけものと知っていながら、普通に接している。それはきっと、何よりも難しいことだ。

 少なくとも、一年生でバスケ部の主将になったらしい、赤髪ちゃんよりも難しいことを、千尋はなんなくやってのけている。本人に、きっとその自覚はないんだろうけど。

「まーね。千尋はオレの理解者だもん。暴力を振るったりなんてしないよ」
「だな。オレ、おまえのそういうとこ、好きだぜ」
「オレも千尋の自分本位なとこ、大嫌い」

 なんて嘘だけど、と続けたら「そこは好きって言えよ」と眉を寄せられる。嘘でも嫌いって言うな、なんて言うきみのことが好き。本当に好き。

「いや、千尋のことは好きだけど、本当に本当に好きだけど、ちょっと昔の知り合い、思い出すんだよね」
「は?」

 きょとん、とした顔が見えた。千尋のこういう顔は珍しい。なんだか今日は、千尋のいろんな表情が見られるな。屋上なんて、って思ったけど、着いてきて正解だったかな。

「うんと前にさ、オレはいろんなところの村滅ぼしてたんだけど」
「唐突だな。そして所業がめちゃくちゃすぎるだろ」

 おまえ、ラスボスだったりする? それで主人公の陰陽師に封印されてたとか? なんて千尋は言う。陰陽師に封印されたような過去はない、と否定しておいた。

 村を滅ぼした、という言葉に嘘はない。滅ぼす、ということは、当然その村にいた、何の罪のない人間もたくさん手にかけている。目的があったわけでもなく、ただの気まぐれで。

 そこまで理解しているだろうに、深く突っ込まず、めちゃくちゃすぎる、なんて簡単な言葉で、千尋は流してくれる。

「滅ぼした村の生き残りに、千尋に似た子がいたなって。オレさ、その子の啖呵の切り方が好きだったから、彼が死ぬまで一緒にいたんだけど。……もしかして千尋、あの子の転生体だったりする?」

 よく考えなくても、きみとあの子は似ている。

 灰色の髪も、ハイライトのない瞳も、儚げな雰囲気も、見た目のわりに口が悪いところも、皮肉げなところも。

 そしてなにより、オレの正体を知りながら、なんでもないように接してくれるところも。ぜんぶ、ぜんぶ。

 もしかして、あの子の生まれ変わりなんじゃないかと思ってしまうオレを、どうかゆるしてほしい。

 思わず転生体、なんてつぶやいてから、千尋の顔を見る。どうせまた、訳わかんねえこと言うんじゃねえよ、ぐらいにあしらわれると思っていた。

 けど、千尋の顔を見ると。表情がすとん、と抜け落ちている。いつもの無表情気味ともまた違う。これは、この顔は何?

 一瞬考えて、答えを出す。

 ああそうか、……これは怒りか。

 千尋は大事に読んでるだろう、ラノベを屋上の床に置いて、オレに詰め寄る。

 ぐ、とネクタイを引っ張られた。

「おまえ、オレを誰と重ね合わせて見てんだ。オレはそいつとは関係ねえよ」
「そう?」
「そうだろ」

 ムカつく、とだけ吐き捨てた千尋の顔が近付いてくる。それでそのままオレの額に唇を落とされる。へ? と思ったあと、唇同士がくっ付けられた。

 と言ってもそれは一瞬のことで、まるで幻覚みたいだった。

「そいつとは、こういうことすんのか?」
「しなかった、けど」
「そ。じゃあ、オレじゃねーだろ。本当にそいつがオレなら、たぶんこういうこと、してただろうからな」

 だからオレじゃねえよ、と念を押すように再度千尋は言った。

 ……ん? 待って、ってことは、千尋はオレのこと。

「は? えっと、千尋はオレのこと……。好きなの?」

 そういう意味で? と聞くと、アホかおまえ、と告げられる。

「嫌いなやつにこんなことしねーよ。それが答えだ。ったく、ラノベ読むって感じでもなくなったな。責任取れよ」
「それオレのせい?」
「ああ、おまえのせいだ」

 間違いなくな、と言い切る千尋が面白くてたまらない。

 今や全盛期ほどの力はないとはいえ、人間ひとり程度なら、息をするぐらいに圧殺できるオレに対して、普通こんなこと言う? しかもそれを知らないのならともかく、千尋はオレのそういう性質も知ってるのに。本当に面白い。

「そっか。ねえ千尋」
「なんだよ」
「オレも千尋のこと、オレのこと見てくれるきみのこと、すっごく好きだよ。だから責任取って、ずっと大事にするからね」

 ぎゅう、と抱きつけば、子どもをあやすみたいに抱き返してくれる。これだとばけものが、まるで幼子だ。

「期待はしねえ。期待した挙句、裏切られるのはごめんだからな」
「期待なんてしなくていいよ。オレが勝手に、やりたいだけだから」

 千尋は期待はしない、と言ったけれど、オレが離れないことなんてわかってるくせに、と思うだけにした。うっかり言葉になんて出したら、千尋は怒ってきそうだったから。





 ――■■■年前 とある村にて



『おまえ何? 神さま? ばけもの? ふーん』

 オレに声をかけてきた人間は、間違いなくオレを視認していた。その人間は、やけに影が薄いというか、存在感がないというか。

 オレを視える人間か、珍しいな、とは思いつつ、俯いていた顔を上げて、上から下まで、じろじろと人間のことを見た。

 すると、人間はオレの態度が気にさわったのか、軽く眉を寄せた。

『怖くないの? オレ、きみの村の人間、全員皆殺しにしたんだけど』
『そ。なら、オレも殺すのか?』

 人間の問いかけは、怯えてるとか、命乞いをしようとか、そういうトーンじゃなくて、本当にただ疑問に思ってるだけの声だった。

 オレはその問いかけに、どうしようかな、と言ったけれど、正直目の前の人間を殺す気なんてなかった。

 そもそも、この人間の住んでいる、村をひとつ壊滅させたのも気まぐれだ。

 生き残りがいたからって、それも皆殺しにしようというほど、気が向いていない。村を壊すのももう飽きたし、今度からやめておこうかな。

『殺す気はねえんだろ。なんで皆殺しにしたのかは知らねえけど。気まぐれとかか?』

 言い当てられて、まあそんなとこ、とオレは言葉をこぼした。

『だとしたら迷惑な話だな。村壊滅してんぞ。これから先、オレにどうしろって言うんだ』
『生きてるだけ幸せって思えばいいんじゃない?』
『そんな性格じゃねーんだよオレは。おまえのせいだぞ』

 ばけものに襲われずに生きてるから幸せだなんて思えねーよ、と言って。人間はオレを軽く小突く。

 憎悪や嫌悪が混じった手つきではなく、ただ、人間の友人同士がやるような、軽い態度だった。

 それを、初対面のばけものに、なんなくやってのける。こんな人間、はじめてだ。

 大半の人間はオレが視えないし、視えたとしても、大抵はオレに対して、なんらかの強い反応をする。こんなふうに接してくる人間なんて、今までいなかった。

『なんだよ』

 黙りこくったオレがおかしかったのか、人間は微妙な顔をしていた。気配と同じく、表情も薄いとばかり思っていたけれど、そうでもないのかもしれない。

『きみ面白いね、ばけものってわかってる相手に、そんな態度取るの? 気に入っちゃったなあ』
『やめろ。ロクでもねえもんに好かれても、ロクな末路辿らねえって、相場が決まってんだよ』

 うげえ、と言いつつも、彼はオレの手を振り払わない。それはもうオレのことを諦めているのか、許容しているのか。おそらく、前者だろうな。

 喋っている感じだと、なんとなく賢いのはわかる。そして彼は賢いから、オレから逃げられないと踏んで、必要以上にオレを刺激しないようにしている、といったところか。

『そういうとこだよ』
『は?』
『そういう態度を取るから、オレみたいなのに気に入られるんだよ』
『……ゾッとする話だな』

 そう言った彼の瞳が、やれやれと告げていた。

 にしても、オレも、人間の肉体を持つ必要があるのかも。

 今、彼はちゃんとオレのことが視えるけれど、これから先、どうなるかわからない。

 見たところ、七はとうに超えている見目だから、幼さゆえにオレが視えているわけではないのは、安心材料のひとつではあるけど。

『そのうちさ、オレ、ちゃんと人間の肉体を持とうかな。そうすると、見た目が変わっちゃうけど』
『人間の肉体? どうやって……。いや、いい、あえて説明とか、いらねえからな』

 吐き捨てるように言う彼は、今発言したオレの言葉から、人間の肉体を持つ手段について、まあなんとなく察しがついたんだろう。

 余計なことをわざわざ聞かない態度と、自分じゃなければそれでいい、と切り捨てる判断能力が好ましい。

『きみ、本当に賢いね。ねえ、名前、なんて言うの』

 いつまでも人間と呼称するわけにもいかないからと、名前を問うと、短く名前らしき名称が、ぽつりとかえってきた。




黛は人外のお気に入り // 20260411
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