fiction

 真太郎は他人とのパーソナルスペースが広い。他人との距離をとりたがるし、不用意に近付いてくる人間には、不信感を抱くタイプだ。

 そもそも、彼は神経質な性質で、おそらく根本的に、人間のことは好きじゃない。

 それが、彼と幼なじみを長年やっているオレから見た『緑間真太郎』の印象だ。

 けれどまあ、何事にも例外というものはある。この件に関すると、真太郎にとっての例外はオレだ。

 真太郎は指を大切にしている。それはピアノを弾くためでもあるし、彼のこだわりでもある。

 彼の指に触れられる権利を持つのは、ごくごくわずかの人間だけだ。真太郎の家族以外なら、たぶんオレだけ。

 オレはその真太郎に、彼の指にテーピングを巻くという作業を任されている以上、何よりも真剣にしなくてはならない。

 たぶん、オレが今までの人生で、いちばん真剣にしていることは、勉強とか部活とかじゃなくて、真太郎の指を気遣っていることだと思う。

 丁寧にテーピングを行って、目線を下に落としている、真太郎に声をかける。

「真太郎」
「ああ」
「できたよ」

 オレの端的な言葉に、真太郎はまじまじと自分の指を見ている。それから少し指を動かして、手を握りしめたり、開いたりしている。テーピングの巻きの加減を、確認しているみたいだ。

「相変わらず、おまえは上手いな」
「そりゃそうでしょ。真太郎の手は、オレにとっては自分の手より大事だからね」

 自分の手はいい。骨が折れようが、怪我しようが構わない。でも、真太郎の手は別だ。

 オレの手と真太郎の手、どっちが大切かといえば間違いなく真太郎の手だ。

 それに真太郎は、バスケだけじゃなくてピアノも上手い。だから余計に、彼の手先には価値がある。

 けど、オレがこの手の発言をすれば、いつも真太郎は眉を寄せる。真太郎の手を軽んじているわけでもないのに、どうしてそんな顔をするんだろう、とさえ思った。

「おまえな」
「テーピングするのは、真太郎のだけだからね」

 そして、これも特別だ。

 オレは真太郎だけが特別だと、わかりやすく示すために、オレは他の誰にもテーピングはやらない。たとえ虹村さんに頼まれたって断る。

 真太郎は鈍感だから、これぐらいやらないと、オレからの特別扱いには気付いてくれないだろうなって思って、そうしてるのに! 真太郎は全然、気付いてくれる気配もない。

 でもいい。気付かないからこそ、オレの好きな真太郎なんだし。

「だからおまえ、他のやつにテーピングを頼まれても、やんわり断るか、他のマネージャーに押し付けているのか」
「言い方悪いな。これは真太郎だけ特別なの」

 きみだけ! って言って、きみを見つめれば、レンズ越しの視線が動く。それから少しだけ、ほんのり頬が赤くなる。

 え、もしかして、ちょっと照れてる? 真太郎、ツンデレの気があるからなあ。

 ツンデレは往々にして面倒くさいって、深夜に起きて、適当に付けたチャンネルのアニメでしてたけど、真太郎なら全然オッケーだ。

 幼なじみだから、彼の扱いは誰よりもわかってるつもりだし。

 実際、他の人が手を焼く真太郎の態度や、刺々しい発言の意図も、オレはぜんぶ理解できる。真太郎のことで、わからないことなんてないぐらい。

「なッ……! ぅ、……、そう、か」
「そうだよ。オレが幼なじみを、特別扱いしないわけないじゃん」
「そういうものか」

 少しばかり疑問に思ってそうなトーンだったから、そうだけど、と言葉を続ける。

「逆にさ、真太郎は考えたことない?」
「は?」
「中学で一緒になった他のみんなと、小学生のときから付き合いがあるヤツとは、距離感っていうか、信頼感が違うって」

 声が、自分が思っていたよりも冷たいものになってしまって、内心焦る。まあ真太郎は、いちいちオレの声のトーンなんて気にしてないんだろうけど。

 でもこればっかりは、昔から考えていたことだ。

 小学校から一緒のやつと、中学に上がって一緒になったやつとは、正直分かり合えないと思う。

 たとえどれだけ仲良くなったとしても、脳内の冷静な部分が、でもコイツとは付き合い短いしな、と思ってしまう。

 そういう意味では、小学校一年から今まで、ずっと真太郎とクラスが一緒のオレは、たぶん運命かなにかなんだろう。

「……そう、だろうか」
「もっとわかりやすく言うとさ、今でこそ一軍のみんなとはつるんでるけど、真太郎はオレと、赤司ちゃんとか青峰ちゃんとかは、区分けしてるでしょ」

 真太郎はオレの言葉に懐疑的だけど、オレが見ている真太郎は、かなりわかりやすい。

 まず例外枠として、幼なじみのオレ。次に、将棋仲間でもあって、同じく一軍の赤司ちゃん。あとは一軍メンツの、青峰ちゃんとか紫原ちゃんとか灰崎ちゃんとか。それからその他大勢。たぶんこんな感じだ。

「オレは赤司とはそれなりに仲のいいつもりだが」
「それは知ってるよ。赤司ちゃん、育ちいいしね。真太郎とつるむのも納得だよ」

 これに関しては、悔しいが納得するしかない。家柄というのか、そういうのが裕福な家庭同士、話が合うところがあるんだろう。

 オレの家は真太郎のとこほど裕福じゃないから、どうしても時折、アレ? 話が合わないなと思う瞬間はある。

 小学生のときは、あんまりそういうの、考えなかったのに。成長するってやだな。

 けどまあ、そんなことを気にしていない真太郎は「おまえは赤司を毛嫌いしているだろう」なんて言う。

 ……毛嫌い、ねえ。

 真太郎の言葉は、間違いではないけれど、決して正解でもない。テストで言うと、五十点ぐらいの解答だ。

「オレ個人の感情としては、赤司ちゃんは嫌いじゃないよ?」
「嘘をつくな。おまえ、たまに赤司を、すごい目で見ているのだよ」
「まあそれはそうだけど。それでも感情としては、赤司ちゃんのことは嫌いじゃない。理由、わかる?」

 ね、と問いかけて見れば、真太郎は首をかしげている。

「やっぱり真太郎は鈍感だね。ほんとそういうとこ」
「なぜいきなり罵られなくてはならない!」

 おまえはいつもそうなのだよ! と真太郎は叫ぶ。その言葉に、周囲にいた部員がオレたちのことを見ては、ああまたいつものか、と視線を外す。

「オレはね、真太郎のことが好きなの。だから、真太郎と仲のいい、赤司ちゃんのことが気に入らないの。でも、赤司ちゃん自体は嫌いじゃないの。……こんな感じ? ぜんぶ説明させないでよ」

 ちょっと恥ずかしいんだよね、こういうこと言うの、と告げると「おまえ……」なんて真太郎はつぶやく。

 恥ずかしいのは事実だけど、それでもよかった。これぐらいストレートに言わないと、真太郎には伝わらない。

 下手に伝わらないような態度を取っていたせいで、気付いたときには、真太郎が別のヤツに取られていた……。みたいなことになったら、最悪以外の何物でもないし。

「なに、真太郎」

 言葉下手な真太郎に、続きを促す。オレはたとえ、彼の言葉がどれほどわかりにくかったとしても、理解できる自信があるから。どんな言葉だって大丈夫だ。

「あまりこういうことを言うのはどうかと思うが、その、かわいいな、おまえは」

 かわいいな、と告げる真太郎の顔は真っ赤だし、オレとまったく視線が合わない。いやいやいや、そんなこと言う真太郎の方がかわいくない!?

 そりゃ、背丈とかはオレの方が小さいけど! かわいさで言えば、真太郎の方がすごいはず! それなのに赤司ちゃんはともかく、他の一軍のみんなはわかってくれないし!

 全員真太郎の良さを理解しろという気持ちと、いや、まあ、真太郎の良さをわかってるのはオレだけでいいんだけどという気持ち、心がふたつあってどうしようもない。

「は? 真太郎の方がかわいいに決まってるじゃん」
「何を言っている、おまえの方が……!」

 かわいい、かわいいとふたりで言い合うのは、いったい何やってるんだろうと、冷静になると思う。

 けど、かわいいの座は真太郎に譲らないといけない。だってどう考えても、オレより真太郎の方がかわいいし。

 ぎゃあぎゃあと、ある意味ヒートアップする言い合いに割り込んだのは、先ほど話題に出した赤司ちゃんだった。

「もう休憩終わるよ、ふたりとも」

 凛とした声がして、彼の視線はオレと真太郎を見ている。オレたちはふたりで息を合わせて、赤司ちゃんの名前を呼ぶ。

 赤司ちゃんはオレたちの反応を見てから、ひとつ息を吐いては「にしても、そういうことだったのか」なんてつぶやいた。

 ……そういうこと? そういうことって、どういうことだろう?

 そんなことを考えている、オレの思考は読まれているのか、赤司ちゃんがオレをじっと見ていた。赤司ちゃん、ちょいちょい真顔気味で怖いんだよな。

「いや、たまに睨まれてるなとは思ってたからね。でもそのわりには、嫌悪感がある視線じゃないから、どういうものかとはかりかねていたんだ」
「……赤司ちゃん。今の話を聞いてたなら、オレの言いたいこと、わかるよね」

 牽制はしておくに越したことはない。ライバルはひとりでも少ない方がいい。オレは真太郎の幼なじみだけれど、幼なじみという恵まれた位置に、あぐらはかかない。

 恋愛とは何が起こるかわからない、ギャンブルみたいなものだ。いつどこでどうなるかわからない以上、油断はできないから。

 特に、赤司ちゃんみたいに、真太郎と、生活レベルが近くて、趣味の合うヤツとは。

 じろと赤司ちゃんを眺める、というか睨みつけると、赤司ちゃんは笑う。

「そうだな、さしずめ『真太郎を取らないで』あたりかい? 心配しなくても、オレはそういった意味で緑間に興味はないよ」

 おまえとは違うからね、と言う赤司ちゃんには、どうにもオレの気持ちは見透かされているみたいだ。

 まあそれはいい。もし、恋愛レースに赤司ちゃんが乗り出してきたら、勝ち目がなかったかもしれないから。興味はないらしくて助かった。

「赤司、おまえ、オレに興味はないのか……?」
「緑間、ややこしくなるから口を挟まないでくれ。オレの話の文脈を聞いてから、発言してくれないか」

 いいかい、という赤司ちゃんに「真太郎は昔からそうだから。頭いいのにアホなんだよ」とだけ教えておく。

 そしてそんなオレの言葉が気に入らなかったのは、もちろん真太郎だ。

「誰がアホなのだよ!」
「真太郎に決まってるじゃない。この場に真太郎って名前の子は、きみしかいないだろ」

 言い合いをしているオレたちを見て、赤司ちゃんが片手で顔を覆う仕草をした。それから、ようやくといった感じで口を開く。

「というか、こんなことをしていると、」

 そこで言葉を区切った赤司ちゃんの視線が、不自然に動く。いったいどこを見てんの? と考えたのも一瞬で。

 彼の視線を追う暇もなく、頭を軽く小突かれる。そしてそれはオレだけでなく、赤司ちゃんと真太郎も同様だった。

「おまえら三人! 練習再開だ! 何いつまで話してんだ!」

 オレたちの頭を――オレと真太郎はともかく、赤司ちゃんの頭を小突く人なんてそうそういない。

 そう、ウチの部活でも、こんなことをできるのは、虹村さんぐらいだ。

「……すみません、虹村さん」

 虹村さんにひとこと謝ってから、赤司ちゃんは一足先に練習に戻った。あとを追うように、真太郎も動く。オレのことを、ジト目で見ながら。

「おまえのせいで怒られてしまったのだよ」
「オレのせいじゃな――。いや、うん、そうだね、オレのせいだね」

 真太郎は変人とはいえ、優等生だから、あんまり怒られるって経験がない。だからこうして、虹村さんに怒られる、というイベントに巻き込んでしまった以上、たぶん真太郎は機嫌が悪い。

 これがきっかけで、一緒に帰ってくれなくなったりしたら困る。正直、オレだけが悪いとは思ってないけれど、とりあえず真太郎には謝っておく。

「じゃあオレは戻るから。真太郎も練習、頑張ってね」
「……ああ。言われなくともなのだよ」

 ひらひらと手を振って、オレはマネージャー業務に戻った。今日のやることも山積みだから、頑張らなくっちゃな。




緑間とマネージャー // 20260405
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